エンタメ
2016/6/25 16:00

「ゆとりですがなにか」に学ぶ「ゆとり世代」のジレンマとクドカンの苦悩

テレビが生む名言から人間の生き様を学ぶ、くすぶり系男子ライター福田フクスケの「魁(さきがけ)!! テレビ塾」。今回は、6月19日に最終回を迎えたクドカン脚本のドラマ「ゆとりですがなにか」から学んだ生き様を紹介します。

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【今回の課題番組】

日本テレビ系「ゆとりですがなにか」

 

あの宮藤官九郎がゆとり世代を主役にしたドラマの脚本を書くと聞いたとき、多くの人は“いまどきの若者”であるゆとり世代と、年長者世代との対立やすれ違いが描かれると思い込んだのではないだろうか。

 

しかし、ドラマの主役は坂間正和(岡田将生)をはじめとする1987年生まれ29歳のアラサー男性3人。“ゆとり第一世代”と呼ばれながらも会社ではすでに中核を担い、上司よりむしろ新人との世代間ギャップに手を焼いているという設定だ。

 

「俺らもう、怒られる側から怒る側になってんだよ」というセリフの通り、このドラマは「これだからゆとりは」と“言われる側”だと思っていた彼らが、いつの間にか“言う側”になっていたことに、まだ心が追いついていない戸惑いを描いている。

 

クドカンが描くアラサー男性3人の青春群像劇といえば、01年放送の「ロケット・ボーイ」を思い出す。だが、いまだに東大受験を目指して11浪している道上まりぶ(柳楽優弥)が象徴するように、その“大人になることを引き延ばされたモラトリアム感”は、15年経った「ゆとりですがなにか」の3人のほうがより切実で、出口が見えない印象を受ける。

 

そしてそれは、かつて「若者のリアルを描く脚本家」と言われていたクドカンが、もはや45歳のベテラン作家であるにもかかわらず“ゆとり世代のリアル”を描かなければいけないジレンマと、はからずもシンクロしているようにも見えるのである。

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【今回の名言】

「クズだけど、それぞれ違うクズなんだから、ゆとりなんて言葉でくくらないでください」

by坂間正和(岡田将生)