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2021/5/28 18:30

読んで思わずニヤけた。日本酒好きは「新政」を避けて通れないとわかる本

かつて筆者は、編集者・ライターの馬渕信彦さんと(死ぬ思いで)日本酒の本を作ったことがあります。その馬渕さんは、いつもおかっぱ頭の息子の写真を飽きずにSNSに投稿していますが、最近やたらと「新政」(あらまさ)の蔵の写真を上げてくる――。新政といえば、現代の日本酒を代表するスター銘柄です。いったいなんのアピールだろう……と思っていたら、なるほど、合点がいきました。馬渕さん、新政のブランドブックの制作を手掛けていたのですね。本の名は「The World of Aramasa 新政酒造の流儀」(三才ブックス)。1年がかりで制作し、つい先日発売になったそうです。

↑「The World of Aramasa 新政酒造の流儀」は、B5変型128ページで税込1540円(表紙撮影:堀 清英)

 

「新政の本を作ろう!」スター蔵元に取材をオファー

秋田県秋田市の新政酒造は、嘉永五年(1852年)の歴史ある蔵元です。筆者が日本酒を飲み始めた2000年ごろは、協会6号酵母の発祥の蔵として有名だよね、昔ながらの味で燗が旨いよね、という至って普通のイメージでした。それがいつの頃からか、ビンのデザインがスタイリッシュになり、味も透明感のある華やかなイメージに。あれよあれよという間にスター蔵元・スター銘柄への階段を駆け上がっていきました。

↑新政の主要銘柄のひとつ、「No.6 S-type 2020」。「The World of Aramasa 新政酒造の流儀」より(撮影:石上 彰)

 

その原動力となったのが、8代目蔵元の佐藤祐輔さん。何でも東京大学の文学部を卒業後は東京でフリーライターとして働き、30歳を過ぎるまで日本酒のことをほとんど知らなかったそう。秋田に戻って家業を継いでからは、添加物を廃し、全量を伝統的な生酛(きもと)造りに切り替えるといったドラスティックな改革を断行。現在の評価を得るに至りました。

↑木桶の前に立つ佐藤祐輔さん。イケメンです。「The World of Aramasa 新政酒造の流儀」より(撮影:堀 清英)

 

さて、そんな佐藤さんに、「新政の本を作らないか」と持ち掛けたのが、先述の馬渕さん。馬渕さんは和酒総合研究室「富士虎」の主任研究員としての顔も持っていて、全国の酒蔵巡りをライフワークとしています。2013年に初めて新政を取材して以来、佐藤さんと親交を深めていたそう。取材を重ねるうち、馬渕氏のなかで「新政は文化を醸造している」と感じ、「その美学を伝えたい」との想いが芽生えたといいます。そこで、「一冊全部新政の本を作ろう!」と佐藤さんに提案したところ、「ジャーナリストの中では馬渕さんが新政のことを一番わかっている。馬渕さんならがっちりと書いてくれるだろう。校正なら自分もできるし(元同業)」ということで、取材にOKが出たそうです。

 

ビジュアルを重視して蔵の美しさを伝えたい

この本を制作するにあたって、新政の佐藤さんからは「ビジュアルを重視したい」と要望があったとのこと。というのも、現在の新政は伝統製法の「生酛(きもと)造り」のみを採用し、木桶を導入するなど、伝統技術への回帰を進めています。その結果、自然に蔵の中が美しくなっていったそうで、そのイメージをダイレクトに伝えたかった、その手段がビジュアル=写真なのだ、というわけです。

↑「The World of Aramasa 新政酒造の流儀」より(撮影:相場慎吾)

 

↑「The World of Aramasa 新政酒造の流儀」より(撮影:相場慎吾)

 

そんな佐藤さんの要望もあって、撮影を手掛けた写真家さん(3人)も豪華です。人物と蔵の風景をメインに撮影した堀 清英(きよひで)さんは、大手企業の広告写真、ミュージシャンのCDジャケットなどを手掛ける巨匠クラスの人物。ニューヨークでアレン・ギンズバーグという著名な詩人と交流を持ち、そのポートレートを撮ったことでも有名です。

 

造りや風景などを撮影したのは、相場(あいば)慎吾さん。カリスマ的ファッションデザイナー、エディ・スリマン直属のデザインチームに抜擢された経歴を持つ方で、それだけでも美的センスが規格外であることがわかります。現在は衣装デザイン・写真・イラストなど、 様々なアートワークを手掛けているとのこと。

 

もうひと方、新政が酒米を契約栽培している鵜養(うやしない)地区の風景を撮影したのが、松田高明さんです。松田さんは山形在住の民俗写真家で、蔵元の佐藤さんが山形でイベントを行った際、松田さんの作品を気に入って馬渕さんに紹介したそうです。

↑「The World of Aramasa 新政酒造の流儀」より(撮影:松田高明)

 

一読して、情報量に圧倒される

そんな実力派の3名が撮り下ろした写真とはいかなるものか……? 実際の印刷物で見たら、いったいどれほど美しいのでしょう。ここに蔵元が絶大な信頼を寄せる、馬渕さんの文章が加わるわけで、そのクオリティの高さに疑いの余地はありません。これはもう、買うしかないでしょう!

…というわけで買いました。あ、B5版だから、いつものA4の雑誌サイズよりはちょっと小さいんですね。開いてみると、いくつもの神秘的なビジュアルが目に飛び込んできます。ああ、強いインクの香り。いいですね……などと思いながら、一読して衝撃を受けました。「すっごいな、これ…面白い!」と思わずつぶやき、ニヤけてしまったほど。これは、ただのビジュアルブックじゃない!

 

まず、情報量がハンパないです。普通、酒蔵といえば「造り」に焦点を当てればだいたいOKでは? と思われるところ、本書は6つの章に分かれていて、「造り」はそのうちの一つに過ぎません(とはいえページ数は多いですが)。馬渕さんの文章は、写真に合わせてエモーショナルで詩的な感じになるのかな? …などと予想していたらまったく違いました。隅から隅まで情報が詰め込まれた硬派な文章で、これがモノクロを多用した荘厳な写真に合うんです。

 

2008年からのヴィンテージガイドや、「酒米の作付け分布図2021」なんてのもある。酒米や酵母にも深く突っ込んでいて、そこそこ日本酒を知っている人にとっては、興味が止まらない内容です。最上位ラインの銘柄は、知らない人だと買いづらいネーミングにしているとか、裏話も面白い。あと、新政のラベルに使われているオリジナルの文字フォントが本書にも使われているんだよなぁ~。

 

また、章間にあるスタッフのインタビューの端々から、蔵元・佐藤祐輔氏のぶっ飛んだ気性が見てとれるのが興味深いです。そして、最後の最後には蔵元のインタビュー。ここですべてのピースがハマるような爽快感があって、そんな構成の妙も心憎いです。

 

この本を持って、新政を飲みに行きたい

読み通してみると、馬渕さんが「新政は文化を醸造している」と感じたのが腑に落ちました。詳しくは本書に譲りますが、新政は本当にこれ、全部やってるの……? と、ただ驚くばかり。これは確かに伝えるべきだ。そして、本書の存在も多くの人に知られるべきだと思いました。

 

最後に、個人的には「この本持って、新政飲み行きてえ!」と強く思いました。次に新政と対峙するとき、いままでとまったく違う思いを抱いていることは間違いありません。晴れて口にできる日はまだ先のことかもしれませんが、そのときは家族や仲間と、あるいは酒場の店員さんと、その体験を分かち合えたらいいな……と。本書のおかげでひとつ、大きな楽しみができました。

↑「The World of Aramasa 新政酒造の流儀」より(撮影:堀 清英)