デジタル
2017/5/20 20:00

【小物王のつぶやき】ノキア復活に歓喜!? 日本人が「舶来品」に憧れる理由

まだインターネット上に日本語のサイトなんか数える程しかなかった1994年頃、私たちが何を目的に、高い接続料を払ってネットに繋いでいたかというと、エロと音楽とニュースと通販だった。そして、海外のニュースがリアルタイムで見られる、海外のミュージシャンのサイトにアクセスできるというのは、まあ、オマケのようなものだった。まだ動画の配信なんか僅かしかない(しかも、画面は小さくて遅い)時代、文字と写真の情報なら、少しの遅れでテレビで見ることができたし、ネットを積極的にやっているミュージシャンもまだ少なかった。

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■「最先端」はエロと通販にあった?

しかし、エロと通販は違う。何と、1994年当時、既にアメリカのストリップ劇場が動画の生中継をやっていたりする、インターネット技術の最先端がそこにあったし、日本では売られていない様々なアイテムが簡単に安価に手に入るのだ。それは、確かに、これまでにない未来の何かだった。

 

■Amazonも楽天もなかった時代

当時、初めて触れた海外通販のサービスの良さは、当時の私たちにとってかなりの衝撃だった。まだAmazonも楽天もない時代、日本の通販は、注文してから商品が届くのに1週間なら早い方だったのに、海外通販の場合、注文して中2日で届いてしまうのだ。もちろん航空便の高い送料を払うのだけど、そんなの、向うに行って買うことを考えれば安いもの。そして、国内通販より速く届くのだ。もちろん、送料を入れても並行輸入品の半額程度で手に入る。支払いの手続きが面倒なサイトもあったけれど、日本からの拙い英語での問合せにも丁寧に受け答えをしてくれて、特に問題もなく、IT製品から食品まで、日本では発売されていない製品を気軽に買うことができたのだ。

 

今から考えると、何をそんなに興奮していたのだろうと思わないでもないが、しかし、当時、ディーン&デルーカさえ日本には無かったのだ。で、私はディーン&デルーカのココアなんかをネット通販で取り寄せたりしていたのだった。ヨーロッパの小さな文具店の鉛筆、アメリカ製の日本では売っていなかった電子玩具、ニューヨーク近代美術館の図録などなど、色んなものを買っては、それを記事にして雑誌などに書いていたのを思い出す。メディアでもインターネットの通販とエロは人気記事だったのだ。

 

■日本人が「舶来品」に憧れ続ける理由

明治時代、日本人が「舶来品」好きになったのは当然だろう。国内に無かった珍しいもの、便利なものがドッと入ってきたのだから。そして、当然、それらは日本でも作られるようになるのだけど、見様見真似で作る製品の完成度が低いのは当たり前。国産品は安いけど粗悪品が多く、海外製は高いけれど良いモノだという認識が広まっていく。

 

昭和初期には国産品の品質が追いついてくるのだけど、日本はそこで戦争に向かい物不足に陥ってしまう。そして戦後、アメリカの製品の華やかさ、ヨーロッパ製品の伝統へと傾倒して、再び「舶来品」への憧れが根付いてしまう。経済復興が必要だった日本は、そこからは「良い」よりも「売れる」モノを大量に作る方向になって、高級品は「舶来品」任せになってしまう。ここでもまた、「舶来品は良いモノ」イメージができてしまう。

 

というような歴史はあるものの、私たちがインターネットを手に入れた1990年代には、もう、そういうイメージは一部のファッションブランド以外には、あまり残っていなかったと思う。私たちが、海外通販というか、当時の言葉で言えば「個人輸入」に走ったのは、日本では売ってないものが買えるという面白さだったのだ。良い悪いよりも、「欲しい」と思った海外製品を、企業を介することなく安価に買うことができたのが嬉しかった。そして、それらは、待っていても日本で買えるようになる気がしないものだった。

 

■ノキアにあって日本製の携帯電話にないもの

ノキアの携帯電話が、再び日本でも発売されるというニュースが好意的に迎えられたのも、そういう心理に近いと思う。海外メーカーの日本では発売されていない電化製品やIT機器というのは、それだけでも魅力的に見えるのだ。日本製品のスペック至上主義というか、遊びの無さというか、そういう部分を埋めていたのが、かつてのノキアの携帯電話で、それが売れずに日本から撤退したという事実は、日本の携帯電話マニアを深く失望させた。それは、ノキアの撤退だけでなく、ノキア的なものは「売れない」という烙印を押された、つまり、そういう携帯電話はもう発売されないという絶望だった。

 

そう、私たちが、つい海外製品を買ってしまう大きな要因の一つには、海外製品の「何ともいえない馬鹿馬鹿しさ」や「遊び心」や「突飛なデザイン」といった、便利でシャープでシンプルで多くの人の嗜好を反映した国産製品にはないモノを感じるからなのだ。

 

もちろん、そんな嗜好は少数派なのは分かっている。でも、売れないからといって作られなくなってしまった大好きなものを、私たちは沢山見送ってきた。今、私たちが「舶来品」に期待するのは、国産品とは違った価値観を持つ製品に出会いたいからなのだ。

 

【著者情報】

納富廉邦

フリーライター。グッズの使いこなしや新しい視点でのモノの遊び方などを得意とし、「おとなのOFF」「日経トレンディ」「MONOマガジン」「夕刊フジ」「ココカラ」などの雑誌をはじめ、書籍、ネットなど、さまざまな媒体で、文具などのグッズ選びや、いまおすすめのモノについて執筆。グッズの使いこなしや新しい視点でのモノの遊び方、選び方をお伝えします。

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