熊本県、天草地方には、河童の伝承や民話が数多く残されている。それは、現在も「河童街道」と名づけられた場所が存在することからもよくわかる。

なぜ天草地方は、河童と関わりが深いのだろうか? これは筆者の推測だが、熊本地方に残された「仁徳天皇の時代、中国黄河(あるいは揚子江)流域の河童が東シナ海を渡り日本へやってきた」という伝説が関係している可能性が高いのではないかと思われる。
中国大陸から渡って来た河童たちが、天草地方を経由して球磨川流域へも入ってきた――そう考えれば話の辻褄が合うわけだ。
その天草地方のとある神社に、「河童の手」が伝わっているという。それに関する伝承は以下のとおりである。
――はるか昔、その神社の宮司が悪さをする河童を懲らしめた。その際、河童の両手を切り落としてしまった。
その後、件の河童がやって来て頭を下げる。
「手がないと不便です。片手でいいですから、手を返して下さい。もし返して下されば、そちらに残したもう片方の手で、病気が治るようにいたしますので」
宮司は河童の願いを聞き入れ、片手を返してやった。以来、この神社の宮司は周辺に疫病が流行るたび、河童の手を使い病気を治した――。
「病を治す河童の手」とは、いったいどのような姿なのだろうか。
河童の手が伝わるのは、熊本県天草市の志岐八幡宮である。熊本地震のこともあって、なにかとお忙しい中ではあったが、今回、筆者は特別に宮崎國忠宮司にお話を伺うことができた。
「いらっしゃるということで、用意をしておりました」
にこやかに話す宮司から、まずは拝殿内でお祓いを受け、はやる心を落ち着かせる。
と、筆者の目の前に白木の木箱が置かれた。中にはもうひとつ木箱がある。いかにも河童の手が大切にされており、厳重に保管されていることが、それだけで伝わってきた。
河童の手は異形のものだった!
「こうして直に手を触れないようにしているのです」
白い手袋で取りだされたそれは、完全に干からびていた。が、一見しただけで、きわめて不可思議な姿をしていることに気づく。
サイズは6~7センチ程度だろうか。5本の指には鋭い爪が生えそろい、指の股には水かきらしきものが見える。五指のバランスはあきらかに人間とは違う。
掌側に目をやれば、水かきのせいか指はほとんど目立たない。手首側は鋭利な刃物でスパッと斬られたようで、かの伝承の確かさを裏づけている。
かつては各方面から調査依頼が来たらしいのだが、宮司氏はそのたびに断ってきた。正体を追求する研究心や熱意もわかるが、この河童の手はそういう類のものではないのだと、和やかにおっしゃる。
「持ってみますか?」
手袋を渡された筆者は、恐る恐る河童の手を手にしてみた。軽い。そして、フワリと柔らかさが伝わってくる。指や掌、水かき、すべてが今にも動きだしそうなほど、しなやかさを感じる。まるで赤ん坊の手のようだ、と思えたのはなぜだろう?
ある種の感動を受けながら手をお返しすると、宮崎宮司は笑いながら再び河童の手を持ちあげ、筆者の頭を撫でてくれた。
「お祓いは、先ほど済ませましたけれどね……」
河童の手は疫病を癒やすのだという。筆者にもその御利益が与えられたのだろうか。宮司氏の計らいに感謝しつつ、この手はいつの時代からあったのか、質問をしてみた。
「いつから、というのはハッキリしていません。うち(宮崎家)の先祖がすぐ近くを流れる志岐川で河童の手を斬って、それから伝わっているというだけですね」
以降、この河童の手は代々の志岐八幡宮宮司が護ってきた。調べると確かに志岐川という名前の川が、志岐八幡宮近くにある。
歴史的なことをいうと、志岐八幡宮が現在の場所に遷宮されたのは、あの島原の乱(1637~1638年)以降のことだ。当時、天草の寺社はキリシタンの手で散々に破壊された。そこで乱が終息した後、天草の重要な場所に神社を建立しなおしたのである。
ということは、河童の手が伝えられはじめたのは、少なくとも島原の乱以降の話ということになる。

河童の手で無病息災を願う
現在、この河童の手は神事に用いられている。7月31日、夏越祭に子供たちの頭をこの手で撫で、無病息災を願うのだという。
もともとは希望者のみに施していたが、現在では子供たち全員に行うようになった。だから、毎年約200人もの頭を撫でる。怖がる子供もいるけれど、健やかに成長して欲しいとの思いを込めて、宮崎宮司はこの神事を、ひいては日本で行われる祭りをとても大切に考えている。
東日本大震災、そして熊本地震。ふたつの大災害が起こり、今も被災地には被害の色が色濃く残っている。宮崎宮司も福島などの被災地を歩き、現実を目の当たりにしてきた。
熊本地震では、震源近くで本震に遭った。熊本県の神社が前震で受けた影響を調べている最中のことだった。この本震で880もの神社が被害を受けたという。
熊本県もそうだが、東北でも被災地では以前のような祭りを本格的には行えなくなってしまった。復興はいまだ進まず、人が出ていったまま戻ってきていない土地もある。
「祭りというのは日本にとって大事なものなんですよ。それができないなんて……」
それでも、こう願うのだと力強く言葉にする。
「日本全国、祭りが以前のような形でできるように。そうなるまで髭で願を掛けました」
宮崎宮司氏は平成23年、6月23日から髭を剃っていない。
最後に、夏になったらまたおいでなさいと誘っていただいた。今年も夏越祭で河童の手による神事が行われるから、そのときにはぜひに、と。
河童の手のあるこの神社では、今も、そしてこれからも大事に祭りを伝えていく――。

(「ムー」2017年6月号より抜粋)
文・写真=久田樹生
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