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2018/5/5 20:00

【ムーUFOとの遭遇】歴代コスモノートの生々しい遭遇体験!ロシアUFO極秘ファイル

共産主義世界に君臨したソ連の体制が崩壊したのは1991年だが、すでにそのしばらく前から、共産党書記長ミハイル・ゴルバチョフ自らの先導で、ロシア語でペレストロイカ(再構築)とグラスノスチ(情報公開)という改革運動が押し進められていた。

ポール・ストンヒル著『コスモノートのUFO遭遇』。

 

そのおかげもあって、ペレストロイカ以前は官憲当局の厳しい監視をかいくぐって内外のUFO情報の収集を密かに続けてきたUFO研究家たちも、時代の情勢のそんな変化とともに一転、自ら進んでUFO情報を公開しはじめたのだ。

 

新生ロシア出身のコスモノートたちはもちろん、かつてはソ連領だった現ウクライナ出身のコスモノートたちもまた、そんな新時代の趨勢に乗って、彼らが宇宙空間で目撃した謎のUFOをはじめ、宇宙で体験したさまざまな不思議現象を、もはや国家機密としてひた隠しにする必要はなくなった。

 

現在のロシアUFO研究界の第一人者、ウクライナの首都キエフに生まれ育ったポール・ストンヒルは、内外の関係者に宇宙でのUFO体験を漏らしていた退役コスモノートたちを積極的に取材調査して、彼らのUFO体験を綿密なレポートにまとめている。

 

――1979年4月中旬、ヴィクトル・アファナシェフ飛行士はモスクワ郊外の“星の街”バイコヌール(アメリカのケープカナベラルに相当。ただし当時は超極秘の宇宙港)から打ち上げられ、周回軌道上のサリュート6宇宙ステーションにドッキングした。

 

アファナシェフの宇宙船は離陸直後からステーションに到達するまで、奇妙な巨大UFOにずっとつきまとわれていた。UFOは長さ推定40メートル、どこか“翼のない旅客機”に似たような奇妙な形状の金属質の物体で、胴体には窓のような穴が並んでいた。

 

アファナシェフは写真を撮って管制センターに電送したが、後日地上に帰還するとただちに査問にかけられ、カメラもフィルムも没収されて、UFOに関しては他言無用を厳命された。

アファナシェフ飛行士のUFOスケッチ。オリジナルは写真だが、当局に没収されてしまったという。

 

 

――1980年6月14日から15日にかけた真夜中、宇宙ステーション・サリュート6上のヴァレリー・リューミン、レオニード・ポポフ両飛行士は、地上のモスクワ付近から白く輝く発光体が急上昇してくるのを発見した。

 

UFOはサリュート宇宙ステーションの地球周回軌道の高度を通りすぎてからも、そのままどこまでも上昇を続けて、まもなく宇宙の暗黒の中へと消え去った。

 

このUFOは当時、真下はもちろん周辺地域の地上からも多数の住民に目撃されて大騒ぎになったが、宇宙当局は騒ぎを沈静させるために、「いつものコスモス衛星の定期的な打ち上げを誤認しただけ」とにべもなく否定した。

 

しかしこのとき両飛行士は、このUFOを写真に撮って地上の管制センターに送っていた。問題の写真はいまだに公開されていない。しかし、リューミンたちの証言によると、眩しく輝きながら飛翔する噴射プラズマの塊の先端に、いわゆる“空飛ぶ円盤”型を呈した黒い飛行物体が写っていたという。

サリュート6の模型。バイコヌールの"星の街"宇宙博物館。

 

 

――1982年7月12日、ゲオルギー・ベレゴヴォイ飛行士とヴァレンティン・レヴェデフ飛行士は、宇宙ステーション・サリュート7のモニタースクリーンに、水滴型の発光物体を発見した。その白く輝くUFOは、宇宙ステーションと接近してくる無人補給船プログレス14との中間に、割り込むように上昇してきた。ステーションからの推定距離は200メートル前後。大きさはおそらく補給船と同じぐらいと思われた。

 

コスモノートふたりが見守る前で、UFOはそのまま急上昇していくと、宇宙の暗黒の星空に溶け込むように姿を消した。

月刊ムー2018年5月号

 

(ムー2018年5月号 南山宏の綺想科学論「ロシアUFO極秘ファイル」より抜粋)

 

文=南山宏

 

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