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2018/6/3 20:00

【ムー古代石塔の謎】世界各地の石塔遺跡=ラウンドタワーは宇宙エネルギーの受信機か!?

1982年、チベット(当時)に遠征していたフランスの探検家ミシェル・ペイサル(1937〜2011年)は、中国との国境沿いのヒマラヤの渓谷で、奇妙な背の高い石塔が建ち並んでいるのを発見した。

四川省カンゼ・チベット族自治州にある、ギャロン族の石塔。

 

だがペイサルは遠征中に両足を骨折。調査を断念する。そんな折、友人であるフレデリック・ダラゴンが、ユキヒョウの生態調査でチベットに行くことを知り、彼女に石塔を見てくるように勧めたのだ。

 

1996年、ダラゴンは四川省とチベット自治区の境界付近を訪れた。ユキヒョウの調査中、暴風雨に見舞われたので雨宿りできる場所を捜したところ、背の高い石塔がそびえ立っているのを発見したのだ。周辺を調べてみると、同様の石塔がいくつも存在することが判明した。

 

それらはいつ、だれが何の目的で建てたのか。彼女は結局、ユキヒョウの生態調査を投げだしてしまうことになる。

 

1998年、フランスに帰国したダラゴンは、2年間、図書館に通っては石塔に関する文献を読みあさった。そして、150基を超える石塔を調査した。

 

2001年、ダラゴンは石塔調査のユニコーン財団を設立。2004年には中国の研究者および四川大学と協力して、四川大学ユニコーン遺産協会を共同設立した。そして各地で石塔の写真展を開催し、それらの保存と世界遺産への登録を目指して精力的に活動している。

石塔の壁に埋め込まれた木材。石ではなくこの木材ならば、どれくらい古いものなのかがわかる。それが石塔建設年代を推測する助けになるはずだ。

 

それにしても――ダラゴンが魅了された石塔とはどのようなものなのか。

 

分布しているのは「カム」と呼ばれる地域だ。具体的には、四川省成都(せいと)の西に位置するチャンタン(チャン族が暮らす理県、汶川県、茂県)、ギャロン(カンゼ・チベット族自治州のギャロン語圏)、 ミニヤ(九竜県を含むカンゼ・チベット族自治州の雅ロウ江沿い)、そしてチベット自治区の南東部で、ラサの北東に位置するコンポ地区(コンボギャムダ県およびニンティ県)である。

 

いずれも標高1500〜4000メートルほどの山々の斜面に存在する。

 

当然、車で行けるような道は存在しない。夏は多雨による土砂崩れ、冬は豪雪や雪崩(なだれ)があり、アクセスはきわめて困難だ。だが、それでも山岳地帯の中では比較的温暖で、麦やトウモロコシなどの農作物が豊かに実る。

 

そんなところになぜ、彼らは石塔を建てたのだろうか。

 

そもそも石塔は、高いもので50メートルにも及ぶ(それが数百基もある !)。構造も決して単純なものではない。多くの石塔には縦に筋が入っており、断面の形状は星形になっている。

 

地域によってバリエーションはあるが、代表的な断面形状は、正方形と45度ずらしたそれを重ね合わせた形となっている。つまり、90度に張りだした角が8か所あることになる。シンプルな円形や四角形などとは異なり、部分的に壁の厚みが変化することから、建造には手間がかかったことが窺(うかが)われるのだ。

 

石は特別に加工されたものではなく、わずかな粘土質の泥をセメント代わりに、互い違いに積みあげられている。上に向かうにつれて先細りしているが、未加工の石材を使用しているにもかかわらず、きわめて正確な点対称構造を維持し、美しいシルエットを描いている。かなりの技術である。

 

そんな美しい石塔も、いまや多くが地震や風化によって崩れつつある。では、いったい石塔はいつ建造されたのか。

 

現地の人々もそれは知らない。一部の石塔はヤクやポニーの小屋として利用されているが、ほとんどは放置されたままである。彼らは文字を持たず、記録を残す習慣もなかった。近年では標準中国語(官話)が普及しつつあるようだが、隣の村に行くだけで言葉が異なることもあり、他村との交流も少ない。

 

にもかかわらず、4つの地域で共通した石塔が立っているのだから、謎は深まるばかりだ。

 

だが、資料を調査したダラゴンは、石塔については明(1368〜1644年)時代の古文書で最初に言及されていることを知った。つまり、それ以前の建設であることは間違いない。

 

石塔は石でできているため、建造年代を正確に測定することはできない。だが幸いにも内部は空洞で、各階の床は壁に埋めこむように渡された木製の梁はりで支えられている。

 

そこでダラゴンは77基の石塔、家屋、寺、城などから108の木材サンプルを採取し、炭素年代測定を行ってみた。するとそれらは、500〜1800年前のものと判明したのだ。もちろん木材は、必要に応じて交換・修復される可能性があるため、石塔の建造時期そのものというわけではない。だが、ひとつの目安には使える数字だろう。

 

ちなみにヒマラヤの山岳地帯は、地震の多い地域でもある。

 

その中でも石塔が形を保ってきた理由のひとつは、独特の構造、つまり星形断面にあり、壁の厚みの増す部分が控え壁の効果を発揮したためである、と考えられるという。

 

また、床を形成する木製の梁も、構造的な強さに貢献してきたようだ。

 

では、肝心の建造目的はいったい何なのだろうか。これも地元住民の説明はそれぞれだ。

チャン族の石塔。天辺が半分、平らなテラス状になっていることがわかる。

 

たとえばミニヤにおいては、敵の侵入に備えた見張り台であるという人々がいた。コンポや丹巴県ではシンボル的に、富を得た者たちが建てたとする説や、息子の誕生時に基礎が作られ、誕生日を迎える毎に各階が追加されていったとする説もあった。

 

ちなみに無傷に近い石塔の先端部分は半分が削られ、ベランダのようになっている。したがって見張り台としての機能もはたせるが、それだけではデザインや構造までは説明できない。

 

とくに興味深いのは、石塔の入り口や窓がいずれも地面からかなり高い位置にあり、簡単にアクセスできないことである。

 

敵を迎え撃つ際には有利に働いたかもしれないが、他の建造物との通用路はなく、狭く孤立した不便な空間にもなる。

 

しかも石塔の周囲には、多くの場合、麦やトウモロコシなどが実る農地が広がっているだけなのである。そう考えると、建造目的は他にあるのではないだろうかと思える。

 

ダラゴンらは気づいていないようだが、筆者が見るかぎりこれらの石塔の特徴は、奇しくもアイルランドに存在するラウンドタワーと共通している。

 

代替科学の研究者として筆者は6年前、拙著『宇宙エネルギーがここに隠されていた』(徳間書店)を著し、ラウンドタワーの謎について説明した。ヒマラヤの石塔も、基本的にはそれと同じものと考えられる。

 

信じがたいことかもしれないが、それは頭上から降りそそぐ電磁波や磁気エネルギーを受け止める、一種のアンテナではないか、と考えられるのである !

(ムー2018年6月号特集「宇宙エネルギー受信機 ラウンドタワー」より抜粋)

 

文=ケイ・ミズモリ

 

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