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2018/11/23 20:00

【ムー昭和オカルト回顧録】80年代釣りブームと「ツチノコ」

前回は「ツチノコブーム勃発!」までの経緯を解説したが、今回はまずその続きを時系列に沿って見てみよう。

『幻の怪蛇 バチヘビ』(矢口高雄・作/講談社/2000年)。73年に『少年マガジン』に連載開始されたマンガによるドキュメント風「ツチノコ探索記」。同年末には単行本が刊行され、子ども文化における「ツチノコブーム」の起爆剤となった。現在は2000年刊行の文庫版が入手可能。

 

先述したとおり1973年に田辺聖子の小説『すべってころんで』、及びそれを原作としたテレビドラマによって「ツチノコ」はブーム化した。現在も「ツチノコ」話につきものの逸話となっている西武百貨店の「ツチノコ手配書」が配布されたのも同年のことだ。西武が「ツチノコ」に懸賞金をかけ、このことがブームをさらに過熱させるきっかけとなったとされている。広告効果も兼ねた意表を突く企画だが、これはもともと西武側が『すべってころんで』のモデルになった山本素石氏に話をもちかけて実現したもの。彼が率いる「ノータリンクラブ」(前回コラム参照)との共同プロジェクトだった。

 

同じく73年、僕ら世代には『釣りキチ三平』でおなじみの釣りマンガの大家・矢口高雄が、『幻の怪蛇・バチヘビ』を『少年マガジン』に連載する。「バチヘビ」とは「ツチノコ」の別名だ。矢口氏自身、かつて「ツチノコ(らしきもの)」を「チラ見」した経験を持っているという。『幻の怪蛇・バチヘビ』は、そういう彼が仲間とともに行う「ツチノコ探索」をドキュメンタリーとして描いたもので、いわば『水曜スペシャル・川口浩探検隊』風フォーマットのマンガだった。

 

ただ『水曜スペシャル』のように「おもしろければヤラセも辞さず!」と娯楽にフリきった内容ではなく、フィールドワークと目撃者への聞き込みをひたすら繰り返すという、少年マンガとしてはかなり地味で誠実(?)な作風。なんだかんだありがら「結局は見つからない」というオチになるのだが、だからこそリアルで印象に残る作品に仕上がっていた。また、自然と野生動物の描写にかけては右に出るもののない矢口氏が描く「ツチノコ」の想像図が随所に登場し、これがとにかく強烈だった。「ツチノコ」ブームの初期にあった「猛毒を持った禍々しい妖怪」のような恐ろしいイメージ(ブーム初期において「ツチノコ」は「見ても語っても呪われる」という「禁忌」の存在とされることが多かった)と、リアルな爬虫類感が絶妙なバランスで共存している。力感とリアリティに満ちた矢口氏の「ツチノコ」こそ、70年代の子どもたちの「ツチノコ」イメージを決定づけたと言えるだろう。

 

さらに74年、翌75年には『ドラえもん』にも「ツチノコ」が登場する。特に75年に小学館『小学六年生』に掲載された「ツチノコみつけた!」は僕ら世代の記憶に残る傑作だった。矢口氏のタッチとはまったくベクトルの違うF先生ならではのキュートな「ツチノコ」に、多くの子どもたちが魅了されたのである。

 

その後、ブームはますます過熱。多くの「ツチノコ探検隊」サークルが結成され、人々が山深い渓流に繰り出したり、西武同樣、企業が懸賞金をかけたり、町おこし・村おこし目的で自治体が賞金付きのイベントを開催したりといった動きが各地で見られた。ブームが好事家たちの範囲を越えて拡大すれば、「場」が荒らされるのは必然である。とくにメディアとカネが絡めば怪しげな連中も参入してくれるわけで、この時期には捏造した情報やインチキな「証拠物件」を売る「ツチノコ詐欺師」的な人物があちこちで跋扈していたようだ。

 

ブームのオリジネーターである山本素石氏も「ツチノコ詐欺」にあっており、そのあたりで彼はブームに愛想をつかして「ツチノコ探索」からあっさり降りてしまう。彼の「ツチノコ随筆」が『逃げろツチノコ』と題されているのも、ある種の悲しい皮肉だろう。自分と仲間たちが長年追い求めてきた「密かな愉しみ」であった「ツチノコ」を、今はメディアに煽られた素人(?)や商売絡みの連中が血眼になって追い求めている。こんな奴らにシッポをつかまれるくらいなら、「ツチノコ」が永遠に「謎」のままであるほうがよっぽどマシだ。だからこその「逃げろ!」だったのだと思う。

 

過熱したブームがすぐに冷めるのも世の常で、大騒ぎをした人々は2年足らずで「ツチノコ」に飽きてしまったようだ。ニワカ的に結成された無数の「ツチノコ探検隊」も、もちろん成果をあげられないまま次々に空中分解。こうして一世を風靡した「ツチノコ」の狂乱は下火になっていった。ただ、ブーム以降「ツチノコ」が語られなくなったというわけではなく、オカルトネタにおける代表的UMAとして完全に定着し、愛好家たち(?)は相変わらずイベント的な探索ツアーなどを続けていたようだ。

『逃げろツチノコ』(山本素石・著/山と渓谷社/2016年)。第一人者が自らの「ツチノコ探索」の顛末を描いたユーモラスなエッセイ。もともとは1973年に二見書房から刊行、長らく絶版状態だったが2016年に山と渓谷社より新版が発売された。新版の解説は『ムー』の三上編集長!

 

釣りのついでに「ツチノコ探索」?

さて、僕ら世代は園児~小学校1年生前後に、この「第1次ツチノコブーム」を体感している。しかし、むしろ僕らが心底「ツチノコ」に夢中になったのは、それから5,6年後のことだ。このタイミングで、主に子ども文化のなかにおいて「第2次ツチノコブーム」が勃発しているはずなのである。これはメディアや企業を巻き込むような社会現象にはなっていないので、当時の雑誌などにも記録はほとんど残っていないと思う。というより、明確なブームとしては認知されていなかったのだろう。が、実態はかなり大規模なブームだったと思うのだ。

 

ごく個人的な体験を書けば、僕や周囲の子どもたちが「ツチノコ探索」にウツツを抜かしたのは小6から中1にかけてのことで、年代でいうと78~80年ごろだ。中学生になってまで「ツチノコ」を探しまわるなんて、どれだけボンクラだったんだと我ながら思うが、しかし同世代の人と話すと、この時期に「ツチノコ」にウツツを抜かした人はやたらと多い。

 

さらに当時のことを思い出してみると、僕らが「ツチノコ探索」をする際、最初から「ツチノコ探しに行こうぜ!」と誘い合って出かけることは皆無だった。当初の目的はいつも必ず「釣り」なのである。「釣りに行こうぜ!」とみんなで集まり、多摩川や相模湖に出かけていき、いつまでたってもフナ一匹釣れないので飽きてきたときに、誰からともなく「ツチノコでも探そうか……」というアホな提案が出てくるのだ。そしていっせいに釣り竿をしまい、さっきまでの「釣り仲間」が瞬時に「ツチノコ探検隊」に変貌して、探索が開始される。このアホ丸出しの展開は僕らの周辺にいたボンクラたちだけの傾向だと長らく思っていたが、大人になっていろいろ取材してみると、この「釣りのついでにツチノコ探索」というアホな体験を多くの同世代が共有しているのである。

 

このあたりのことについては本格的な調査がなされていないので断定は難しいが、ブームのピークから5年以上も経過したあたりで、小学校高学年から中学生にかけての世代限定の「第2次ツチノコブーム」が間違いなく全国規模で起こっている……と僕自身は確信している。

この「第2次ブーム」の重要なファクターとなっているのが、80年前後にティーンエイジャーたちの間で起こった爆発的な「釣りブーム」だ。ブームのきっかけは、もちろん矢口高雄氏の『釣りキチ三平』である。この作品は、それまではどちらかといえば「おっさんのレジャー」というイメージが強かった釣りを、魅力的でスリリングで新しい「スポーツ」に変えてしまった。背景のさらに奥には、欧米ではポピュラーだったブラックバスを対象とするルアーフィッシングが70年代に日本でも普及しはじめたという事情があるのだが、とにかく僕ら世代は『釣りキチ三平』によって「釣りってカッコいい!」ということを実感したのだ。そして、それまで僕ら世代がホビーにおけるステイタスとしていたアイテム、たとえばラジカセとかラジコンとかカメラとかモデルガンとかといったようなものと同樣に、高価なブランドのロッドやリールやルアーがもてはやされるようにもなったのである(こういう価値観は矢口氏の想いや『釣りキチ三平』のコンセプトには反するが、子どものホビー観というのは得てしてそういうものなのである)。

『釣りキチ三平』(矢口高雄・著/講談社/1973年から1983年まで『少年マガジン』に連載)。80年前後に子どもたちの間で「釣りブーム」を巻き起こしたエポックな作品。『少年マガジン』の看板作品として長らく人気を維持し、10年にわたって連載された。80年にはテレビアニメ化され、また09年には実写映画化されている

 

そもそも「ツチノコ」と「釣り」は最初から親和性が高い。というより、ブームの仕掛け人である山本素石氏や矢口高雄氏が筋金入りの「釣り人」であり、初期の「ツチノコ探検隊」の多くが「釣りサークル」の延長であったように、少なくとも戦後の「ツチノコ」は「釣り人」たちの間で語り継がれてきたUMAだ。典型的な「ツチノコ」発見の逸話で語られる目撃場所の多くが、渓流、河、湖、沼、池の近くというのも、要するにそこが「釣り場」だからである。

 

また、僕ら世代の多くは73年の『すべってころんで』も知らないし、矢口高雄の『幻の怪蛇・バチヘビ』も連載時には幼すぎて読んでない人が多い。懸賞金の騒動などもリアルタイムでは知らないだろう。にもかかわらず、この世代の男子の多くが「ツチノコ」に夢中になった経験を持っているのは、80年前後の「釣りブーム」を経由して、数年前に社会現象化した「ツチノコ」に遅ればせながら出会っているからだ。

 

『釣りキチ三平』に魅了されて矢口作品を読み漁るようになり、すでに単行本になっている『幻の怪蛇・バチヘビ』を手にしたり、釣り雑誌の小ネタや「釣りエッセイ」で「ツチノコ」目撃談を読んだりといった形で興味を持つ子が急増し、僕ら世代を中心とする「第2次ツチノコブーム」が静かに、しかし広範囲に勃発したのだろう。「釣りブーム」によって、いったん落ち着いた「ツチノコブーム」が再び子ども文化の前面にひっぱり出されたのだと思う。

 

つまり、この時期に「ツチノコ」にウツツを抜かした子たちは、そのまま80年代「釣りブーム」にウツツを抜かした層と重なるはずだ。もっといえば、80年代「釣りブーム」に夢中になった子どもたちのなかで比較的「ボンクラな子」たちが、同時期に「ツチノコ探索」にウツツを抜かしているはずなのである。このあたり、高度成長期の天体ブームにおいて、無数の「天体少年」のなかでも一部の「ボンクラな子」がUFO発見にウツツを抜かしたことにも似ているかも知れない。当時の天体雑誌などを見ると、望遠鏡でUFO探す「UFOマニア」は正統派「天体少年」たちに「天体ファンの風上にもおけない」などと軽蔑される傾向にあったようだが、「釣りブーム」の際に「ツチノコ」を探していた僕らも同じようなもので、要するに一種の「落ちこぼれ」だったのだと思う。

 

野球が流行ると「魔球」を身につけようとするヤツとか、カメラブームのときに心霊写真に夢中になるヤツとか、ハム無線のブームのときに「怪電波」の話ばかりするヤツとか、どんなブームにおいても本道を行かずに「変な方向」に行っちゃう子というものは存在するものだ。

 

ちゃんと釣りのテクニックを磨く努力をすればマットウに釣りを楽しむことができていたはずなのだが、そうはしない。「釣れねぇなぁ」となれば、「もっと練習しよう」ではなく、「じゃあ、ツチノコでも探そうか」となってしまう夢見がちな「ボンクラ組」が、当時の僕らだったのだろう。昭和こどもオカルトにおける魅惑的なアレコレを支えていたのは、やはりこうした愛すべき(?)「ボンクラ組」の子どもたちであり、典型的な「ボンクラ」だった僕などは、この歳になっても「数あるUMAのなかでもツチノコだけは実在するのではないか……?」などと、かなり本気でシツコク思い続けているのである。

『ムー』2018年8月号掲載記事「幻の怪蛇ツチノコを激写!」より。岐阜県「つちのこフェスタ」など、近年になって再び熱を帯びてきた地域振興の一環としての懸賞金付き「ツチノコ」イベント。その詳細を伝えつつ、糸魚川流域で「激写!」された「ツチノコ」(らしきもの)の写真を公開している。

 

初見健一「昭和こどもオカルト回顧録」

◆第19回 70年代「ツチノコ」ブーム

◆第18回 日本産ミイラ「即身仏」の衝撃

◆第17回 1960年代の「古代エジプト」ブーム

◆第16回 ユニバーサルなモンスター「ミイラ男」の恐怖

◆第15回 昭和の「ミイラ」ブームの根源的な謎

◆第14回 ファンシーな80年代への移行期に登場した「脱法コックリさん」

◆第13回 無害で安全な降霊術? キューピッドさんの謎

◆第12回 エンゼルさん、キューピッドさん、星の王子さま……「脱法コックリさん」の顛末

◆第11回 爆発的ブームとなった「コックリさん」

◆第10回 異才シェイヴァーの見たレムリアとアトランティスの夢

◆第9回 地底人の「恐怖」の源泉「シェイヴァー・ミステリー」

◆第8回 ノンフィクション「地球空洞説」の系譜

◆第7回 ウルトラマンからスノーデンへ!忍び寄る「地底」世界

◆第6回 謎のオカルトグッズ「ミステリーファインダー」

◆第5回 東村山水道局の「ダウジング事件」

◆第4回 僕らのオカルト感性を覚醒させた「ダウジング」

◆第3回 70年代「こどもオカルト」の源流をめぐって

◆第2回 消えてしまった僕らの四次元2

◆第1回 消えてしまった僕らの四次元1

 

関連リンク

初見健一「東京レトロスペクティブ」

 

文=初見健一

 

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