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2018/12/29 20:15

【ムー昭和オカルト回顧録】「不幸の手紙」のはじまり

前回も言及したとおり、「不幸の手紙」が流布しはじめたのは1970年代初頭とされている。本稿を書くにあたって参考文献のひとつにしている丸山泰明氏の研究論文(『国立歴史民俗博物館研究報告』第174集/2012年3月)によれば、より正確には「不幸の手紙」の出現は1970年の秋であり、この年の11月26日付の「読売新聞」で「不幸の手紙問題」が取りあげられた。

『ムー』1998年11月号掲載「だれが『不幸の手紙』を始めたか?」より。ムー編集部に届いた手紙。「不幸の手紙」は90年代なかばにも「棒の手紙」という亜種を生んで流布した(「不幸」という字がリレーの過程で「棒」と誤読されたことによって誕生したとされる)。この記事では小池壮彦氏がその経緯を詳細に分析している。

 

この記事が当時の典型例として提示している「不幸の手紙」は「50時間以内に29人にこの手紙を出してください」と命じるもので、もちろん指示に従わなければ「必ず不幸が来る」と強調するお決まりの内容だ。数年後の僕らの時代には「3日以内に10人」といったユルめ(?)の指示が主流だったが、「50時間以内に29人」というのは、またずいぶんハードな要求である。もし指示に従うなら、かなり必死で作業する必要があるだろう。郵送代も馬鹿にならないし、受け取った方はたまったものではない。実際、「こんな手紙をもらったが、どうすればいいのか?」といった読者からの相談が、当時の「読売新聞」には殺到していたそうだ。この種の相談が同年10月から後をたたず、ひと月で百数十通に達したと書かれている。

 

このころを皮切りに主に小中学生の間で「不幸の手紙」はブレイクし、大々的に拡散していく。あくまで推測だが、当初の「不幸の手紙」がタイトな締切と過酷な作業量を要求していたのに、それが徐々に比較的ユルくなっていったのは、「普通の子どもでもなんとかこなせる」といったラインに少しずつ修正されていったという事情があったのではないかと思う。

 

受け手の子どもが「こんなの無理!」と思えば、親や先生に相談するなどして連鎖は断ち切られる。それでは送った側にはおもしろみ(?)がない。手紙に怯えた受け手の子どもが誰にも言わずにこっそりと作業できて、それでも相応の負荷がかかるというほどよい(?)ラインが、おそらく「3日以内に10人」程度だったのではないか。

 

また、バリエーションとして「手紙を受け取ったことを人に言うな。言えば必ず死ぬ」などと釘を刺す「不幸の手紙」も多かったが、これも受け手が誰かに相談することを禁じるためだったのだろう。相談されて大人が介入すれば連鎖は切られる。これに先手を打って、予め防御する目的があったのだと思う。

 

そう考えると、やはり「不幸の手紙」はなんとも陰湿な配慮に満ちているとあらためて思ってしまうが、この「抜け目のない陰湿さ」とでもいうものは、もちろん誰か一人の「犯人」の特性ではない。「不幸の手紙」はリレーされることで徐々に「進化」し、より抜け目なく陰湿なものへと「強化」されていったはずだ。

 

もちろん手紙には「文章を一字一句変えるな」というお決まりの指示があるのだが、それが厳密に守られている限り、この世には「不幸の手紙」の文面は1種類しか存在しないことになる。しかし、現に「不幸の手紙」に無数のバリエーションがあるのは周知の通りだ。途中で文章を変えた仲介者がいたということもあるだろうが、多数の「模倣犯」が新たに連鎖のネットワークを始動させていったということが、バリエーション増殖の主な要因だろう。ひとつのネットワークの外側に、また別のネットワークが生まれる。これもまたリレーだ。

 

「不幸の手紙」は、リレーに加担した人々の悪意あるアイデアの集積の反映であり、「主犯」の不在というか、「中心」が見えないこと、そして加害者と被害者がひとつに溶け合っていることに、なにかやりきれないような嫌ったらしさと不気味さがある。

 

マンガに描かれた「不幸の手紙」

子ども文化に蔓延した「不幸の手紙」は、多くのオカルト・都市伝説ネタ同様、コミックなどのフィクション作品のテーマにもなっている。我々世代の記憶に強烈に残っている代表的なものとしては、まずは『恐怖新聞』だろう。作者はもちろん、つのだじろう先生。70年代の子ども文化において、ブームとなった数々のオカルトネタを矢継ぎ早に提供してきた作家である。「不幸の手紙」に反応しないはずはないのだ。

 

しかし、そのものズバリ「不幸の手紙」と題されたエピソード(「少年チャンピオン・コミックス」4巻に収録/1974年刊)では、当時の読者の予想に反してというべきか、先生は「不幸の手紙」をオカルト的事象としてはまったく相手にしておらず、「あんなもので不幸になったヤツなどいない。破って捨てちまえ!」というメッセージを子どもたちに投げかけている。

 

ストーリーとしては、中学校のクラスメートたちに「不幸の手紙」(自分の指を切り、その血で文字を書けと命じる極めて悪質・陰湿な内容)を送りつけた男子生徒が、浮遊霊の罰を受けてしまうという内容だ。「浮遊霊の罰」というのがなにやらわかりにくいのだが(笑)、要するに悪行をしていると悪霊に取りつかれるということらしい。手紙の送り主は夜な夜な怪奇現象に襲われ、ついには発狂してしまうが、改心・反省し、最終的には正気を取り戻してめでたしめでたし……。

 

「心霊写真」「コックリさん」「超能力」といったテーマについてはブームの仕掛け人のひとりとして、むしろ「これでもか!」というほどショッキングな形で信憑性を強調する作品を書いてきたつのだじろう先生だが、「不幸の手紙」については「こんなアホなことを信じるな!」と一刀両断しているのが興味深い。ある意味では非常にマットウで教育的な内容である。もちろん合理主義に徹して諭すのではなく、「そんなことをしてると幽霊に怒られるぞ!」と展開するのがつのだじろう先生ならではなのだが。

 

もうひとつ、「不幸の手紙」を取りあげたマンガとして代表的なのが、またしても『ドラえもん』である(なぜか毎回このコラムには『ドラえもん』の話が出てくるような気がするな……)。1977年に学年誌に掲載され、翌年の「てんとうむしコミックス」単行本15巻に収録された「不幸の手紙同好会」だ(ちなみに、この15巻は我々世代に鮮烈な印象を残した「どくさいスイッチ」も収録されている)。

 

このエピソードでは、まず「のび太」のところに「同じ手紙を29人に送れ」と指示する「不幸の手紙」が届く。流行当初の定番だった「29人」という数字が採用されているわけだ。「ドラえもん」は「気にするな」と手紙を破くが、すっかり怯えきってしまった「のび太」を見かねて「郵便逆探知機」で差出人を特定。差出人は「スネ夫」だ。さらに逆探知を進めて「スネ夫」以前の媒介者もすべてリスト化し、「のび太」はそのメンバーたち(つまりこれが「不幸の手紙同好会」ということになるわけだが)、リスト付きで「不幸の手紙」を送る。要するに、「こんな馬鹿げたいたずらは、こういうことが好きな仲間内だけでやってろ!」というわけだ。リスト内のメンバーが互いに手紙を送り合う事態となり、次々に「不幸の手紙」が舞い込むようになってしまった「スネ夫」が「書いても書いてもきりがないっ!」とパニックになって泣き叫ぶ……というのがオチ。

 

やはりここでも「不幸の手紙」の「効力」は「馬鹿馬鹿しいもの」として完全に否定され、発信者・加担者が「懲らしめられる」わけで、作品の方向性としては『恐怖新聞』と同様である。

 

「『不幸の手紙』なんか気にするな。そんなものに加担するな」というメッセージは、大人の意見としては当然だ。まして子どもたちに作品を届けるマンガ家が、無意味で馬鹿馬鹿しい怯えから子どもたちを解放してやりたいと思うのも当然だろう。実際にこれらを読んで救われた気分になった子も多かったかも知れない。

 

ただ、僕自身の当時の感覚を思い出してみると、この『恐怖新聞』や『ドラえもん』などが提示する「『不幸の手紙』は単なる下劣ないたずらである」という当然の見解は、70年代の子どもたちもすでに重々承知していたと思う。だからこそ、両作品をごく自然に納得・共感しながら読めたのだ。子どもたちも基本的には「不幸の手紙否定論」を最初から共有しており、例えば友人が自分に届いた「不幸の手紙」に怯えていたら、ほとんどの子は「馬鹿だな、そんなもの気にすんなよ!」と笑うことができたはずだ。

 

しかし問題は、その「不幸の手紙」が自分自身に届いたとき、客観的で合理的な「不幸の手紙否定論」はいともたやすく揺らいでしまう、ということだろう。荒唐無稽で馬鹿馬鹿しい脅し文句や、無意味な呪詛などは、客観的には「馬鹿馬鹿しい!」と笑えるが、いざ自分自身に突きつけられると、まったく違う印象のものになる。相応に強固な精神力・判断力がない限り、普段は維持できている客観性・合理性は意味をなさない。簡単に崩壊するのだ。でなければ、「不幸の手紙」があれほど子どもたちの間に蔓延することはなかっただろう。「わかっちゃいるけどやめられない」というのが、「不幸の手紙」のやっかいな特性なのだ。

 

さて次回は、さらに時間をさかのぼり、このやっかいきわまりない「不幸の手紙」の「出どころ」を探ってみたい。1970年の日本に出現した「不幸の手紙」の起源は、空間的にも時間的にも、思いのほか「遠く」にある。

『恐怖新聞』(1973~75年に『週刊少年チャンピオン』に連載)。数々のオカルトネタをブーム化させた恐怖マンガ『うしろの百太郎』と並ぶつのだじろうの代表作。91年にはアニメ化され、また96年には『感染』のタイトルで、2011年には『恐怖新聞』として映画化された。

 

初見健一「昭和こどもオカルト回顧録」

◆第21回 「不幸の手紙」…小学校を襲った「不安の連鎖」

◆第20回 80年代釣りブームと「ツチノコ」

◆第19回 70年代「ツチノコ」ブーム

◆第18回 日本産ミイラ「即身仏」の衝撃

◆第17回 1960年代の「古代エジプト」ブーム

◆第16回 ユニバーサルなモンスター「ミイラ男」の恐怖

◆第15回 昭和の「ミイラ」ブームの根源的な謎

◆第14回 ファンシーな80年代への移行期に登場した「脱法コックリさん」

◆第13回 無害で安全な降霊術? キューピッドさんの謎

◆第12回 エンゼルさん、キューピッドさん、星の王子さま……「脱法コックリさん」の顛末

◆第11回 爆発的ブームとなった「コックリさん」

◆第10回 異才シェイヴァーの見たレムリアとアトランティスの夢

◆第9回 地底人の「恐怖」の源泉「シェイヴァー・ミステリー」

◆第8回 ノンフィクション「地球空洞説」の系譜

◆第7回 ウルトラマンからスノーデンへ!忍び寄る「地底」世界

◆第6回 謎のオカルトグッズ「ミステリーファインダー」

◆第5回 東村山水道局の「ダウジング事件」

◆第4回 僕らのオカルト感性を覚醒させた「ダウジング」

◆第3回 70年代「こどもオカルト」の源流をめぐって

◆第2回 消えてしまった僕らの四次元2

◆第1回 消えてしまった僕らの四次元1

 

関連リンク

初見健一「東京レトロスペクティブ」

 

文=初見健一

 

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