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2019/3/17 20:15

【ムー昭和オカルト回顧録】コティングリー妖精写真と70年代の心霊写真ブーム

今回から数回にわたって、昭和のオカルトブームのなかでも最大級の大ネタのひとつ、70年代初頭に勃発した「心霊写真ブーム」について回顧してみたい。本コラムはあくまでも『昭和こどもオカルト回顧録』なので、もちろん小・中学生たちの間でのブームの経緯を中心に展開を追ってみる予定だ。

1994年10月号の「ムー」より。「心理写真」の歴史と19世紀末のスピリチュアル研究の歴史を概観する特集。

 

語りたいのは「心霊写真の歴史」ではなく「70年代心霊写真ブームの経緯」なのだが、その前にまずは「心霊写真」そのものの成り立ちについて考えてみよう。

 

最初に押さえておきたいのは、いきなりミもフタもない話になってしまうが、いわゆる「心霊写真」が一般に認知されるよりも先に、「合成写真」「トリック写真」などが存在していた、ということである。この種のフェイクによる「不思議な写真」は、ほぼカメラの普及と同時に誕生していたようだ。

 

当時、写真は現実の記録というだけでなく、絵画に代わる新しい表現方法として、ひとつのアートのような形でも捉えられていたため、その黎明期から「写真に細工をする」といった作為的な表現方法は珍しいものではなかった。それらは芸術作品として発表されることもあれば、ポストカードのような形で書店や土産物屋などで販売されることもあり、そうしたもののなかから「不思議な写真」として人々の注目を集める作品もあったようだ。

 

それらの作為的な「作品」としての「不思議な写真」を「心霊写真のルーツ」と呼ぶわけにはいかないが、「心霊写真」という概念が成り立つひとつの背景となったことは間違いないと思う。つまり、当時の人々は写真に(作為的なものであれ)「不思議なもの」が映るという感覚には、すでに慣れていたのだ。

 

その一方で、19世紀後半あたりから欧米でブームになった心霊科学・超心理学の研究グループによる「実験」などでカメラが使用されることが多くなり、「正真正銘の心霊写真」が降霊術などの「心霊実験」の成功例の証拠として提示されることが増えていく。これによって今でいう「心霊写真」の概念に近いものが形成されていった。時系列的にいえば、最初に眺めて楽しむ「トリック写真」があり、後に(撮影者が「作為はない」と主張する)「心霊写真」が登場した、という流れなのだ。

 

つまり「心霊写真」は、いずれにしてもその歴史の幕開け段階から「真贋入り乱れる」という状態だったわけだが、その当時の独特の「感じ」がもっと端的に現れているのが、かの有名な「コティングリー妖精写真」である。

 

「コティングリー妖精写真」

「コティングリー妖精写真」は20世紀初頭、英国のコティングリーという村に住む10代の従姉妹、フランシス・グリフィスとエルシー・ライトが「森の妖精」を撮影したという5枚の写真だ。後に(実に80年近くを経て)フランシスが告白したことによれば、紙に描いた妖精の絵を切り抜き、それをピンで固定して撮影したものだという。

 

捏造というよりは10代の少女たちのかわいい「いたずら」なのだが、彼女たちの撮影技術や構図、イラストのセンスが非常に優れていたこともあって、当時の英国では「ついに妖精の実在が証明された!」と大きな話題となり、さまざまな議論を呼んだ。シャーロック・ホームズの生みの親であり、心霊研究と神秘主義に没頭していたことでも知られるアーサー・コナン・ドイルは、この「妖精写真」に感銘を受けて、専門家に鑑定を依頼した上で「間違いなく本物!」というお墨付きを付与し、率先して「妖精の実在」を主張したことは有名な話である。

1974年に刊行された中岡俊哉、橋本健らの共著『四次元図鑑』より。超常現象肯定派のマニフェスト的な本書では「コティングリー妖精写真」があくまでも「本物」として紹介されている。

 

「コティングリー妖精写真」は、我々昭和の小学生たちにもおなじみだった。70年代の「心霊写真ブーム」のときに刊行された多くの子ども向け「心霊写真集」にも、この一連の写真がよく掲載され、定番のネタになっていた。「心霊」と「妖精」を同ジャンルのものとみなしていいのはわからないが、ともかく当時、この「妖精写真」は歴史的な「心霊写真」の代表のような形で取り沙汰されていたのである。

 

僕個人の体験を思い出してみると、初めて「コティングリー妖精写真」を目にしたのは、小学校の低学年のころ、友だちが教室に持ち込んだ「心霊写真集」をクラスのみんなで眺めていたときだった。当時の子ども向け「心霊写真集」は、だいたいどこの版元の本も構成は似たようなもので、メインは同時代に撮影された日本の「心霊写真」だが、巻末などに「心霊写真の歴史」みたいな章があり、19世紀欧米の歴史的な「心霊写真」を数点掲載することが多かった。あちこちの本でよく見かけた「エクトプラズム」が写った降霊事件の写真などともに、そうした章にこの「妖精写真」もよく掲載されていたのだ。

 

初めて「妖精写真」を見たとき、僕はその「場違いな感じ」にかなりの衝撃を受けた。他のページに掲載されている日本の「心霊写真」とはまったく次元の違う世界観(?)が、ひどく異様なものに見えたのだ。もちろん「こんなのインチキだよ!」と主張する友だちもいたが、いずれにしてもクラスでも大きな話題になった。

 

おもしろいことに、すでにこの当時、欧米ではこれが捏造だという見解はほぼ定説になっていた。にもかかわらず、特に70年代前半の日本のオカルト児童書には、あくまでも本物の「心霊写真」として掲載する本が多かったのだ。いや、大人向けの多くの本にも「歴史的に有名な心霊写真」として掲載されていた(「真偽については諸説あるが」といった解説がつくことも多かった)。ところが、なぜか70年代後半になると、これを「インチキ心霊写真の代表例」として紹介する本が多くなり、切り抜いた絵を映しただけの単純なトリックであったことが子どもたちにも知れわたるようになった。

 

僕も最初の「妖精写真」体験からほどなくして、別の本でこれがニセモノとであることを知り、「なぁ~んだ」とひどく落胆した記憶がある。その後も、真偽の見解は本によってバラバラだったが、「妖精写真」はオカルト児童書の定番ネタとして80年代まで君臨し続けた。しかし、インチキだということを知ってからの僕らは、「またこのネタかよ!」という感じで、もう誰も見向きもしなくなっていたと思う。

 

……ということで、本来なら「妖精写真」の話はここで終わりなのだが、次回ももう少しこれについて考えてみたい。そもそも誕生の段階から「トリック写真」と境を接しながら発展(?)してきた「心霊写真」というものは、捏造であることが確定すれば即座に無価値なものとなるのか? また、そもそも捏造であることを本当の意味で「確定」できるのか?……といったあたりについて、この「妖精写真」をネタにしながら考えてみたいのだ。

2017年の12月号の「ムー」掲載の特集「コティングリー妖精事件の未公開写真を発見!!」より。「妖精騒動」の顛末を紹介するとともに、新たに発見された新資料についても解説されている。

 

初見健一「昭和こどもオカルト回顧録」

◆第26回 ホラー映画に登場した「悪魔の風」

◆第25回 人間を殺人鬼に変える「悪魔の風」?

◆第24回 「幸運の手紙/不幸の手紙」の時代背景

◆第23回 「不幸」の起源となった「幸運の手紙」

◆第22回 「不幸の手紙」のはじまり

◆第21回 「不幸の手紙」…小学校を襲った「不安の連鎖」

◆第20回 80年代釣りブームと「ツチノコ」

◆第19回 70年代「ツチノコ」ブーム

◆第18回 日本産ミイラ「即身仏」の衝撃

◆第17回 1960年代の「古代エジプト」ブーム

◆第16回 ユニバーサルなモンスター「ミイラ男」の恐怖

◆第15回 昭和の「ミイラ」ブームの根源的な謎

◆第14回 ファンシーな80年代への移行期に登場した「脱法コックリさん」

◆第13回 無害で安全な降霊術? キューピッドさんの謎

◆第12回 エンゼルさん、キューピッドさん、星の王子さま……「脱法コックリさん」の顛末

◆第11回 爆発的ブームとなった「コックリさん」

◆第10回 異才シェイヴァーの見たレムリアとアトランティスの夢

◆第9回 地底人の「恐怖」の源泉「シェイヴァー・ミステリー」

◆第8回 ノンフィクション「地球空洞説」の系譜

◆第7回 ウルトラマンからスノーデンへ!忍び寄る「地底」世界

◆第6回 謎のオカルトグッズ「ミステリーファインダー」

◆第5回 東村山水道局の「ダウジング事件」

◆第4回 僕らのオカルト感性を覚醒させた「ダウジング」

◆第3回 70年代「こどもオカルト」の源流をめぐって

◆第2回 消えてしまった僕らの四次元2

◆第1回 消えてしまった僕らの四次元1

 

関連リンク

初見健一「東京レトロスペクティブ」

 

文=初見健一

 

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