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2019/6/4 20:15

映画『ボヘミアン・ラプソディ』で再注目!QUEENを日本にいち早く紹介した音楽ライターはどう見たか?

2018年に公開された映画『ボヘミアン・ラプソディ』。その年の映画興行成績第1位を記録し、2019年の第91回アカデミー賞では、主演男優賞を含む最多4部門で栄冠を手にしたのも記憶に新しいのではないでしょうか。その映画がいよいよ、ブルーレイディスク/DVDとデジタル配信で登場! 映画を見逃した人だけではなく、映画館に何度も足を運んだ熱いファンも再び、『ボヘミアン・ラプソディ』の世界の虜となりそうです。

 

上映中に観客が大声で歌うことを許された特別上映「胸アツ応援上映」では、思い思いのコスプレでフレディといっしょに大声で歌う往年のファンが続出した一方で、リアルタイムでQUEENを知らない若年層の間でも感動を巻き起こしました。音楽、ましてやロック・ミュージックを主題とした映画のヒットは難しいという定説のなか、なぜこういった幅広い人々に支持されたのか? とくにここ日本で好評だった理由はどこにあるのか?

 

QUEENがまだ無名だった頃から、そのスター性に着目し、日本国内でもっとも多く、深くQUEENを取材してきた元『ミュージック・ライフ』編集長で現在は音楽ライターの東郷かおる子さんに、たっぷりと解説していただきました。

「ボヘミアン・ラプソディ」
・2枚組ブルーレイ&DVD 4700円+税
・4K ULTRA HD + 2D ブルーレイ/2枚組 6990円+税
・DVD 3800円+税
/20世紀フォックス ホーム エンターテイメント ジャパン
http://www.foxmovies-jp.com/bohemianrhapsody/

カリスマとして君臨した故フレディ・マーキュリー(Vo.)、ブライアン・メイ(G.)、ジョン・ディーコン(B.)、ロジャー・テイラー(Dr.)で結成された、イギリス・ロンドン出身のロックバンド、QUEEN。メンバーが出会い、瞬く間にスターダムへとのし上がっていく過程と、その後の「LIVE AID(ライブエイド)」での伝説的パフォーマンスへ至るまでの紆余曲折を感動的に描く。

 

QUEENとの出会い

『ミュージック・ライフ』は、シンコー・ミュージック(旧 新興音楽出版社)から1937年に流行歌の雑誌として『ミユジックライン』という名称でスタート。太平洋戦争の影響により休刊した後、1946年に『ミュージック・ライフ』(以下ML)として復刊します。QUEENがデビューした1970年代には、洋楽ロックの貴重な情報源として日本の若者の間で人気を博し、洋楽雑誌として長い間最大の発行部数を誇りました。

世界のロックとそのバンドを日本へ紹介し“ロック・ジェネレーション”のバイブルとなった『ミュージック・ライフ』。写真はQUEENが表紙となった1974年12月号

 

「私がMLの編集部員になったのは、ビートルズが解散した1970年です。当時はインターネットもメールもない時代。取材や情報収集に時間がかかる上、ましてや読者は音楽雑誌の情報が頼り。ロックという未知なるものに惹きつけられた、若者たちの執着心と探究心の熱量は、とても高いものでした。編集部に届く、読者からのメッセージの気迫に応えねばという、使命と責任を強く感じたものです。とにかく自分の感覚を信じ、読者の喜ぶ情報を提供できるようにと燃えていました。

 

1973年のある日、無名新人バンドのテスト盤として編集部に送られてきたQUEENのレコードを聞き、刺激的なギターのイントロが耳に響いたのを鮮明に覚えています。このバンドはすごいかも、と素直にそう思いました」(東郷かおる子さん)

 

その後、1974年3月に発売されたQUEENのデビュー・アルバム『戦慄の王女』について、東郷さんはML4月号の中で「新人らしからぬスケール」と、QUEENを大絶賛した記事を書いています。

1974年、ステージでのQUEEN

 

“生QUEEN”の第一印象は?

1974年5月には、イギリスのロックバンド「モット・ザ・フープル」の取材でニューヨークへ行くチャンスに恵まれた、若き編集部員の東郷さん。単身での海外出張は、初めての経験だったそう。当時は、羽田空港からニューヨークへの直行便がなく、20時間かけて現地入り。その足でコンサート会場にダッシュしたといいます。このとき前座として登場したのが、当時イギリスの新人バンドだったQUEEN。

 

「彼らが前座で出ることは出張前から知っていたので、生で見られるのを楽しみにしていました。実際のライブを見て、音楽の質はもちろん、ビーズの刺繍が入ったブラウスや濃いアイラインにアイシャドウのメイク、黒いマネキュアをしたフレディ(ヴォーカルのフレディ・マーキュリー)の妖艶さがとても新鮮で、その危うい感覚に、スター性と、必ず日本の女性ファンに受けることを確信しましたね」(東郷さん)

 

レストランでロジャーに遭遇!

この海外出張には、さらに大きなギフトが待っていました。なんとその翌日、別のミュージシャンの取材をするために東郷さんが訪れた現地のレストランで、偶然にもQUEENのドラマー、ロジャー・テイラーを見かけます。東郷さんはすかさずロジャーの元へ駆け寄り、MLのことや日本でQUEENの人気が高まっていることを直接本人に伝えます。

 

「最初は、なんだこの東洋人はという感じで怪訝そうだったんですが、ML最新号のQUEEN記事を見せた途端、パッと表情が輝き、『本当だ! すごい! 日本だってさ!』と喜んでくれました」(東郷さん)。そして翌日には、買い物で不在にしていたボーカルのフレディ・マーキュリーを除く、ギターのブライアン・メイ、ベースのジョン・ディーコン、そしてロジャーの3人のメンバーへの取材を行う機会を得ます。「ブライアンは体調を崩していたので挨拶だけでした。のちにブライアンはウィルス性肝炎に感染していたことが判明し、アメリカツアーのキャンセルを余儀なくされたようです」(東郷さん)

日本初来日時、MLの人気投票で選出された「75年度最優秀アルバム賞」(『クイーンⅡ』)の記念トロフィーを持って表紙撮影したもの(『ミュージック・ライフ』1975年6月号)

 

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QUEENにとって日本は特別な国

QUEENが初のアメリカ進出に意気込んでいた時期に、東郷さんのQUEEN初取材が重なりました。このタイミングで日本という国にQUEENファンがいることを直接本人たちに伝えられたのは、とても大きな意味があったことでしょう。

 

「当時は今のように全世界で瞬時に情報が共有される時代ではなかったので、QUEENにいち早く目を付け、自分たちの感覚や独自取材でQUEENの魅力を取り上げられたのがよかったですね。1975年にQUEENが初来日したときは、羽田空港に1000人以上もの女性ファンが詰めかけ、本人たちはその熱狂ぶりに驚き、困惑するほどでした」(東郷さん)

 

QUEENにとって日本が特別な国であったことはよく知られています。「1977年には日本語の歌詞がサビで使われている『手をとりあって』が日本国内限定シングルでリリースされています。とても美しい曲なので、知らない方はYouTubeで聞いてみてくださいね」(東郷さん)

 

東郷さんから見たQUEENとは?

初取材から1990年6月に自らMLを卒業するまで、そして、フリーランスの音楽ライターとして再出発してからもずっと、QUEENを取材し続けてきた東郷さん。QUEENの6度に渡る日本来日はもちろん、海外ツアー先への取材を幾度となく行い、メンバーとはすっかり顔なじみの仲に。そして映画の中で最も重要なシーンとして出てくる、20世紀最大規模のチャリティーコンサート「LIVE AID」も生で見ています。今、改めて振り返り、東郷さんの中でQUEENとはどんなミュージシャンだったのでしょうか?

左から東郷さん、フレディ、ブライアン(1978年ニューオリンズでの取材時)(写真提供/東郷かおる子さん)

 

「彼らは、“ロックミュージシャン”というジャンルではくくれない存在です。ビートルズに影響を受けたとか、ローリング・ストーンズに影響を受けたとか、そういう“型”が全く感じられない。“QUEENの前にQUEENなし、QUEENの後にもQUEENなし”と言うのでしょうか。とにかく特異なバンドだと思います。

 

だからといって、音楽が摩訶不思議で理解できないものかというと、そうではない。美しいメロディの中にかわいらしさやユーモアを入れ込んでいたり、驚かされるインパクトやドキッとするセクシャリティもあったり。どこまでも自分たちの感性や感覚に自信を持ち、こだわりを持って作り込んでいたからこそ、出せた世界観だと思います」(東郷さん)

 

個性の異なる4人が集結した唯一無二のバンド

メンバーそれぞれが得意分野を持ち、個性を生かしているのがQUEENらしい魅力だと東郷さんは語ります。

 

「美大出身のフレディはアートに興味があり、アルバムジャケットでもイラストを描いています。そして、オペラやクラシック、バレエなども好んで鑑賞していました。大学時代に天文学を学び、2010年に天文物理学の博士号を取得したブライアンのエレクトリック・ギターは完全なるハンドメイドで、『レッド・スペシャル』として知られる超こだわりのもの。歯科医を目指していたロジャーはドラマーとしての実力だけではなく、高音パートで歌えるコーラスでも貢献しています。電子工学の博士号を取得しているジョン・ディーコンは物静かで控えめだけど、実は多くのヒット曲を書いています。

 

個性の違う知性ある4人が集まり、絶妙なバランスでお互いの力を引き出していたのが、唯一無二のスター性を築き上げたのでしょうね。繊細で奥深いQUEENの曲には、歌舞伎用語で言えば外連味(奇抜な演出)があり、日本人の琴線に触れるというか、日本人の血脈にQUEENの存在はとても合うものだったと思います」(東郷さん)

 

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映画『ボヘミアン・ラプソディ』がヒットした理由

映画のストーリーは事実と異なる!?

映画『ボヘミアン・ラプソディ』は、1991年11月24日にエイズによる肺炎の合併症で亡くなったフレディを中心に、QUEENの実話を基に作られていますが、一部、事実とは異なる内容もあります。例えば、フレディがバンドに加入したタイミングやライブで披露した曲の時系列、LIVE AID前にメンバーがフレディのエイズを知ったという構成などです。

 

しかし、実際に映画を見たQUEENのコアなファンをも惹きつけることに成功。これは、映画の制作が決定した2011年から、ブライアンとロジャーが顧問として関わり、事実関係を含め、映画の監修を続けてきたことが功を奏しているのでしょう。映画館に何度も足を運んだリピーターが多かったことからも、作品の満足度が高いことがわかります。「近年の音楽映画では飛び抜けてすばらしい!」「号泣必須!」などの情報がSNSで広まり、QUEENを知らない若い世代にも支持されました。

 

当時のメンバーをリアルに思い出させる描写力

「私が初めて映画を見たのは2018年10月の半ばで、業界関係者を集めた試写会でした。そのときは、これほどのヒットになるとは予想できなかったですね。事実関係とは違う部分はありますが、そんなことは気にならない完成度だと思いました。冒頭の20世紀フォックスのオープニングファンファーレを、ブライアンがギターで弾いているところは遊び心があっていいですね。

 

メンバーの描写もお見事! 特にブライアンは、『なんで本人がいるの?』と思うほど、容姿も身振りも話し方もすごく似ていました。ロジャーは彼が言いそうなセリフばかり。映画後半になって髪が短くなったジョンもそっくり!」(東郷さん)

 

フレディのカリスマ性を再現するのは大変だったと思いますが、どうでしょうか?

 

「最初は、『こんなに出っ歯じゃないわよ〜』って感じたけれど、途中からはそんなことが気にならなくなりました。フレディは親日家で、自宅には日本の絵画や骨董品などを多く飾り、家具のほぼすべてが日本製だったようですが、それも見事に再現されています。ちょっと安っぽい着物を部屋着にしているのもリアル。

 

そして何と言っても、最後のLIVE AIDの再現力はすばらしいですね。歌詞も字幕で見られるので、歌詞の内容がスッと頭に入ってくるのも味わい深いと思います。そして、ピアノの上に並べられたドリンクのメーカーもコップの位置も、カメラワークも当時と同じにするこだわりよう。フレディが履いているボクシングシューズはアディダスに再生産をしてもらったというからすごい。制作陣の本気がコアなファンにも届いたと思います」(東郷さん)

 

LIVE AIDのQUEENは必見!

QUEENの数あるライブ、またほかのミュージシャンのライブを思い返しても、LIVE AIDで見たQUEENの20分間の衝撃にかなうものはないという東郷さん。

 

「映画でも触れていますが、QUEENは一度、LIVE AIDの出演を断っているんです。そのため、チケットが完売した後でQUEENの参加が公表されたので、オーディエンスの大半はQUEENに関心の少ない人たち。そんな中で、瞬時に観客をとりこにし、全員が足をならし手を叩き、フレディのかけ声に反応していたのは圧巻です。さらに、84カ国に衛星放送で同時生中継され、世界中の人が同じタイミングで、テレビから流れるQUEENの演奏に魅了されたのです。音楽以外にも娯楽が溢れる今では、あり得ないことだと思います。

 

一方で、YouTubeを開けば当時の映像がすぐに見られるのは、ありがたいですね。あの迫力とカリスマ性、デォ〜と叫びながら拳を突き上げるフレディの、観客を集団催眠にかけてしまったかのようなエネルギーを、今の若い世代にも見て欲しいです」(東郷さん)

映画のラストシーンを飾った、1985年「LIVE AID」でのステージ

 

QUEEN取材の重圧に悩まされた日々

1970年代〜1990年代にかけて、洋楽ファンの間で支持されていたML。インターネットの普及や時代の変化で音楽雑誌のニーズは減り、1998年12月に惜しくも休刊を余儀なくされます。ML全盛期は、1冊の雑誌を何度も読み返し、好きなアーティストのページをクリアケースの下敷きに挟んで常に持ち歩いていた読者も多かった時代。ミュージシャンの存在や音楽が人々に与えた影響力や夢の大きさは、今とは比べ物にならないと、東郷さんは言います。

ブライアン(左)&ロジャー(右)との再会(2011年ロンドン) 写真提供/東郷かおる子さん

 

「QUEENが有名になるにつれて取材するのもひと苦労で、30万人もの読者の期待を背負っているプレッシャーに押しつぶされそうでした。映画にも出てくるポール・プレンターがフレディのマネージャーのような役割をしていたのですが、彼には悩まされましたね……。映画の中でも、ライブエイド出演オファーの話を、ポールがフレディにしていない場面がありますが、まさにあれです。取材のアポが取れている状態で現地入りしたのに、フレディには話が通っていないという事態はしょっちゅう。そんな中で原稿の締め切りに終われる日々は辛かったですね。宿泊先のホテルで東京に帰りたいと何度泣いたことか。でも、あの時代にQUEENを追い続けられたことでずいぶんと鍛えられました。今となってはすべての経験が私の財産です」(東郷さん)

 

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QUEEN初心者におすすめするアルバム3選

ではここで、映画『ボヘミアン・ラプソディ』でQUEENに魅せられた新しいファンに向けて、おすすめの作品とは?


「ジュエルズ」
「『We Will Rock You』『We Are The Champions』『RADIO GA GA』など、LIVE AIDでも披露されたQUEENのヒット曲が収録されている日本独自企画のアルバムです。QUEENの代表曲がまとまっているので、初心者におすすめです」(東郷さん)

 


「QUEENⅡ」
「発売当時はLP(レコード)盤で、ブライアンのギターサウンドを存分に味わえるホワイトサイドと、フレディの美意識が炸裂したブラックサイドに分かれています。初期の傑作でQUEEN好きから熱い支持を得ている1枚です」(東郷さん)

 


「INNUENDO(イニュエンドゥ)」
「フレディのエイズをメンバーに公表した後で作られ、フレディ存命中の最後のアルバム。メンバーが一体となり、QUEENらしさを前面に押し出した渾身の作。涙なくしては聴けない壮絶な美しさが伝わってくる作品です」(東郷さん)

 

「映画『ボヘミアン・ラプソディ』の大ヒットは、時代がどんなに変わろうとも音楽の持つ力は普遍だということを多くの人々に知らしめたと思います」と語る東郷さん。東郷さんがQUEENのデビュー当時からMLで書き続けてきた記事や取材エピソードはご自身の著書で詳しく紹介されていますので、こちらも見逃せません。


『クイーンと過ごした輝ける日々』
東郷かおる子/シンコー・ミュージック
1944円

 

2020年1月にはブライアンとロジャー、そしてボーカリストとしてアダム・ランバートを加えたメンバーが、4日間に渡る日本での「ラプソディ・ツアー」を敢行。伝説のロックバンドが再び、日本に登場します。まずは家でじっくり、BD・DVD『ボヘミアン・ラプソディ』を鑑賞して、名作の余韻とまだまだ続きそうなQUEENフィーバーを堪能してはいかがでしょうか。

 

【プロフィール】

音楽ライター/東郷かおる子

音楽専門誌「ミュージック・ライフ」元編集長。神奈川県横浜市出身。星加ルミ子氏に憧れて高校卒業後に株式会社新興楽譜出版社(現・シンコー・ミュージック・エンタテインメント)に入社。1976年に編集長に就任。1990年に退社。現在はフリーランスの音楽ライターとして活動。近著に『クイーンと過ごした輝ける日々』(シンコー・ミュージック刊)。

 

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写真提供=東郷かおる子、AFLO、20世紀フォックス ホーム エンターテイメント ジャパン

 

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