前回の「キャシー中島の小坪トンネル怪談」に続いて、今回も僕ら世代が子ども時代に震撼させられた昭和怪談の代表的な大ネタについて回顧してみたい。1955年、三重県津市の海岸で起きた史上最悪ともいわれる集団水難事故にまつわる怪談である。この「津の水難事故怪談」は60年代以降、近年に至るまでさまざまな書籍やテレビ番組などで繰り返し紹介されているので、若い世代でも知っている人は多いだろう。まずは事実関係を見ていこう。以下が実際に起こった事故の概要である。

1955年7月28日、三重県津市の中学校が市内の海岸で児童の泳力テストを実施した。参加者は600名以上、うち女子生徒が約200名。時刻は午前10時過ぎ。この日の天候は快晴で風もなく、海面にはうねりもなかったとされている。同校では10日前から同じ海岸の同じエリアで水泳訓練を実施しており、一帯は「極めて安全」な海水浴場と考えられていた。エリア内の平均的な水深はわずか1メートル前後だったという。
全生徒は横一列の陣形で海に入ったが、その直後(2~5分後と記録されている)、約100名の女子生徒がいっせいに体の自由を失い、溺れはじめた(引率していた女性教諭も同様に溺れている)。助けを求める声でほかの生徒、教諭、一般の海水浴客がかけつけて懸命に救命にあたった。連絡を受けて病院の医師、看護婦も急行したが、残念ながら溺れた100名の女子生徒のうち、実に36人もの児童が命を失う史上最悪の水難事故となってしまった。
その後、調査委員会が結成され、原因究明に関してさまざまな調査が行われた。さらには同校校長、教頭、体育主任の教員の刑事責任が問われ、長期にわたる裁判が行われた。裁判の争点となったのは、生徒たちを一気に沖へと押し流したとされる不可解な潮の流れ(この裁判では「異常流」と呼ばれた)と、通常では考えられないほど急速な水位の上昇(1メートルの水位が数分で1メートル50センチほどになったという証言があった)の原因、そして、これらが事前に予測可能であったかどうかということだ。
調査と審議を重ねた結果、「異常流」に関しては前例のないものとして予測不能、さらに急激な水位上昇についても通常では考えられない現象であり、「錯覚ではないか」とされた。調査報告書では極めて特異な「沿岸流」を原因とする説などさまざまな推論が提示されたが、どれも「仮説の域を出ないもの」であり、「完全には採用しがたい」と判断された。結局、裁判は校長以下すべて無罪となって終わり、明確な事故原因は今も
8年後に発表された「衝撃の手記」
この事故が怪談と結び付けられて全国的に流布するきっかけとなったのは、事故から8年後、「女性自身」に掲載された事故の生存者による衝撃の手記「わたしは死霊の手から逃れたが…/ある水難事件・被害者の恐ろしい体験」だった。
事故から生還した女性(当時25歳。記事には本名が明記されているが、仮にAさんとしておく)によれば、事故当日、女生徒たちが海へ入って沖へ向かって泳ぎだした直後、隣で泳いでいた友人が怯えながら「あれを見て!」としがみついてきたという。指差す方向を確認すると、20~30メートル先を泳いでいた友達の姿が次々と海中へと消えていった。そして、「黒いかたまり」がこちらにむかって近づいてきたというのだ。「黒いかたまり」は何十人もの女だった。みんな一様に水を吸い込んだ防空頭巾をかぶり、モンペを履いている。Aさんたちは慌てて逃げようとしたが、「防空頭巾の女」たちに足をつかまれて海中に引きずり込まれた。隣の友達の姿はすでに消えていた。薄れていく意識の中で、Aさんは自分の足にしがみつく「防空頭巾の女」の白く無表情な顔をはっきりと見たという。
Aさんは浜辺で意識を取り戻した。幸いにも彼女は間一髪で救助されたのだ。しかし、肺炎を起こしおり、生死の間をさまよいながら20日間の入院生活を送った。その間、彼女は「亡霊が来る!」とうわごとを言い続けていたそうだ。
退院後、多くの記者が訪ねてきて、すでに現地で噂になっていた「水難事故は幽霊のしわざでは?」という風説を確認するため、執拗に取材を求められた。しかし、Aさんはすべて拒否。彼女は自分が見たものを自分でも信じられず、誰にも話していなかった。あれはパニック状態で目にした幻影だと思うようになっていたそうだ。
ところが三年後、同市郊外の郵便局長から驚くべき話を聞かされる。彼はこの事故を独自で調査していたらしい。彼によると、戦時中の空襲で、警察署の地下室に逃げ込んだ市民250名以上が煙に巻かれて窒息死した。その大量の死体を、Aさんたちが水泳訓練をした海岸に埋めてしまったというのだ。それが、水難事故からちょうど10年前の7月28日。事故当日と同じ日付だった。戦時中のこの悲劇と、今回の水難事故は絶対に関連があると郵便局長は確信していた。彼は三年間、事故の生還者に詳しい話を聞いてまわっているが、取材した9人のうち、5人までが「亡霊の姿」を見ており、浜辺にいた生徒たちも何人かは同様のものを見たと証言しているという。そして彼は、Aさんにこう尋ねた。
「あなたが見たものは、防空頭巾をかぶってモンペを履いた女の人たちではなかったでしょうか?」
誰にも話していないはずの自分の体験を言い当てられ、Aさんは大きくうなずいた。さらに、あの事故以来、毎年一人ずつ浜で不可解な形で溺死する人が後を絶たないこと、そのうちの一人は救助されて入院したが、Aさんと同じように「亡霊を見た」とうわ言を言いながら他界したことを聞かされた。さらに事故の前日、多くの釣人が海から巨大な火球(火の玉)が出現するのを目撃していることも聞かされ、ついにAさんも「あの事故には間違いなく人知を超えた要因がある」と確信したという。そして、それまで封印していた記憶を手記として公開する決意をした。
……以上が事故の概要、及び、事故が怪談として語られるようになるまでの経緯である。事実関係を長々と書いてしまったが、次回以降、以上の流れをまったく別の視点で捉えた「異説」も紹介したいので、事故から怪談流布までの推移をぜひ覚えておいていただきたい。僕ら世代が「津の水難事故怪談」をさまざまなメディアで見聞きするようになったのは、上記の手記の発表から約10年後。その時点で、この話は多くの子どもたちに知られる超定番の「最恐怪談」となっていた。次回は、この「津の水難事故怪談」が70年代のメディアでどう取りあげられ、どのように当時の子どもたちの間に流布していったのかを見ていこう。

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文=初見健一
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