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2019/8/11 20:15

【ムー妖怪図鑑】恐竜の一種――落谷の化け物ババメ

ホラー小説家にして屈指の妖怪研究家・黒史郎が、記録には残されながらも人々から“忘れ去られた妖怪”を発掘する、それが「妖怪補遺々々」! 連載第54回は、京丹後を訪れた黒史郎が補遺々々した恐竜妖怪のレポートをお届けいたします。

落谷のババメ

私が初めてその名を目にしたのは、民話と文学の会が発行している『季刊 民話』創刊号(1975)でした。

 

京都府竹野郡網野町(現在の京丹後市)の郷土史家・井上正一の寄せた「奥丹後物語 草稿」十二話目「ババメの伝説」の主人公、それが【ババメ】です。

 

初めて名を見る方も多いでしょうが、これが実にセンセーショナルな要素をもつ妖怪なのです。

 

この妖怪の伝わる網野町は、丹後半島の基部に位置する日本海に面した町です。その町の下岡という場所に、こんなお話があります。

 

昔――というほど昔ではないころのことです。

 

下岡の高天山(たかてんやま)という山に、落谷(おちだに)と呼ばれている場所があります。戦国時代、下岡城が攻め落とされたとき、ここを通って落ち延びたことから、そう呼ばれていたそうです。

 

この落谷はとても危険な場所で、もし通るのなら「腰に鎌をさしていくのを忘れるな」といわれていました。

 

なぜなら、そこにはババメが棲んでいたからです。

 

ある日、村のふたりの若者が、この落谷へ仕事に行きました。

 

するとババメが現れ、あっという間にひとりを横ぐわえ(口に横にしてくわえること)で捕えてしまいます。

 

鎌首を振り上げて上半身を立ちあげたババメは、勢いよく頭を振り下ろし、くわえていた若者をわが身ごと地面に叩きつけます。地面が震えるような恐ろしい音がしました。これを何度か繰り返すうちに、かわいそうなことにその人は跡形もなく砕けてしまいました。

 

木陰に身を隠し、震えながら仲間の死にゆく様を見ていたもうひとりの若者は、それからはもう振り返らず、飛ぶようにして山を下りました。

 

かろうじて村へと逃げ帰り、見たこと、起きたことを村人たちに話しますと、ひとりの勇敢な若者が起ちあがりました。

 

「よし、仇を討ってやる」

 

仲間の死を目の当たりにし、何もできずに逃げ帰ってきた若者は、この勇敢な若者を案内するために再び落谷へと向かいます。

 

ふたりが落谷に着くと、ババメはすぐにそれを見つけ、舌なめずりすると、たちどころに勇敢な若者を呑み込んでしまいました。

 

しかし、豪気な若者は呑まれながらも、鎌で化け物の喉元を切り裂きます。案内した若者も今度は逃げださず、化け物の喉元に斬りかかりました。これには、さすがの化け物もたまらず、呑み込んだ若者を吐き出すと退散しました。

 

呑み込まれた若者はすぐに元気をとり戻しましたが、頭髪を失っており、それだけは元に戻りませんでした。

 

その後、勇敢な若者の夢枕に、なんとババメが現れ、次のようなことを話しました。

 

「われは長年、あまたの生き物を呑み殺したが、最後は呑み込んだお前に喉を裂かれて命が尽きた」

 

――そうなのです。逃げ出した後、ババメは鎌の傷が祟って死んでいたのです。

 

ババメは、こう続けます。

 

「われの霊はこれから、殺生の罪滅ぼしとして、すべての生き物の命を守護しよう」

 

それから数年後――落谷で大雨洪水があり、大きな山津波が起こりました。

 

土砂は引原谷に流れ出し、下岡の田んぼには、まるで立臼のようなババメの背骨がごろごろと流れてきて、村人たちを驚かせたといいます。

 

※「奥丹後物語 草稿」の内容に他資料の情報を付加しています。

 

『丹後の伝説 ふるさとのはなし』(1973)、『ふるさとのむかしむかし』(1977)では、少しだけ内容に違うところがあります。

 

ババメ退治に向かったのは、逃げ帰ってきた若者と勇気ある若者のふたりではなく、話を聞いて起ちあがった勇気のあるふたりの若者です。

 

そして、ババメに呑まれた若者が体内から鎌で喉を切り裂こうとしたわけではなく、どんどん呑まれていくにつれて、腰に差していた鎌がババメの喉を切り裂いたということになっています。

 

ババメの謎

ババメは歯がなく、獲物は生きたまま頭から呑み込みます。大きくて飲み込みづらい獲物は、くわえこんで地面に叩きつけ、潰してから呑み込んだといいます。

 

網野では歯抜けの口を「ババメ口(ぐち)」といい、頭髪が1本もない頭を「ババメに呑まれたような頭」といったそうです。

 

このババメ、いったいどのような化け物なのでしょうか。

 

「奥丹後物語 草稿」では、このような説明が入っています。

 

ババメ(恐竜の一種らしい)

 

『丹後の伝説 ふるさとのはなし』(1973)でも、ババメを「ババメ恐龍の種種らしい」としています。「ババメ恐龍」ではなく、「ババメ(は)恐竜の(一)種らしい」ということなのでしょう。

 

ネス湖のネッシーのような、太古から生きつづけている生物なのでしょうか?

 

京丹後市には、国内最大級の大型方形墳丘墓である赤坂今井墳墓、日本海側最大級の前方後円墳である網野銚子山古墳など数多くの遺跡があります。しかし、恐竜の化石が発掘されたという情報は見つけられませんでした。下岡の田んぼに流れてきたという立臼のような背骨も、その後、どこかに保存されたというような情報は見つかりません。

 

また、『丹後の伝説 ふるさとのはなし』の註釈によると、ババメとは「うわばみ」「大蛇」のことです。つまり、固有名詞ではなく、大きな蛇を指す方言のようなのですが、網野と、その周辺地域に伝わる他の大蛇の伝承からはババメという言葉を見つけることはできませんでした。記録される際、わかりやすくするために「大蛇」とされてしまったのか、あるいは高天山の大蛇のみがババメと呼ばれていたのか、それはわかりません。

 

ババメの姿は、どうだったのでしょう。

 

とくに色や形には言及されていないので、ただの大きな蛇なのかもしれません。

 

同資料にある挿絵では、大きく口を開き、二股に裂けた舌を伸ばした蛇の姿が描かれています。ですが、このババメには前肢のようなものが見て取れます。もしこれが前肢であるならば、この絵の作者・織戸昭徳はババメに、トカゲに近いイメージを抱いていたのかもしれません。それなら、恐竜という表現もわかる気がします。

 

『ふるさとのむかしむかし』(1977)では、ババメとは「大蛇」のことだとあり、『京都の伝説 丹後を歩く』 (1994) では(竜の一種)とされています。「恐竜」と村人が戦ったと考えるより、「竜」のほうが日本の昔話らしいですね。

 

ババメを求めて

元々、ババメの骨があったとされる場所は、高さ285メートルの高天山(たかてんやま)の東山腹にあるババメ谷とされており、谷をひとつ越えて、尾根から尾根へと真一文字に背骨が横たわっていたそうです。

 

ババメが現れたとされる落谷は、下岡集落から入る登山道が山腹を南方へ巻いて山頂の真南にあたるところまで行き着いた奥にあります。落谷の最奥部の一方をババメ谷と呼んでいたそうです。

 

どのような場所なのか、とても気になりましたので、ババメ伝承のある網野の地を訪れ、高天山を登ってみました。

 

恐ろしい化け物ババメが住んでいたとは思えぬ、爽やかなブルーの登山口です。

 

ここから、地元の人もほとんど行くことがないという頂上を目指します。ババメ伝承を追うためだけなら頂上まで行かなくてもよいのですが、実はこの山には他にも蛇の伝説があるのです。それはまた別の回でご紹介いたします。

 

登山口道手前には、下岡城跡と尾崎神社を指す看板があります。下岡城には一色義道の陣代、高屋駿河守入道良閑と、その子、遠江守が住んでいましたが、細川興元の六千の兵に囲まれ、父子ともに討ち死にしています。

 

尾崎神社は資料によると無格社であり、祭神や由緒などは不詳です。

 

さて、ババメの棲んでいた落谷ですが、山頂までの道の途中にあるということだけはわかるのですが、「ここがそうです」という目印はありません。また、骨があったというババメ谷と呼ばれていた場所も特定できていませんでした。大きな骨でも転がっていればよいのですが、出迎えてくれたのは、数日前の雨でぬかるんだ不安な道と、耳を触っていく不快な虫の羽音、そしてカエルの声です。前日に神社で転倒していた私は、足元に最大の注意を払ってババメがいたという痕跡の探索に臨みました。

山を支配しているのは大蛇ではなく、たくましい植物たちでした。

 

ババメが鎌首をもたげているような木もありました。このような木々が大蛇と見間違えられたこともあったのでしょう。鱗のように苔をまとった木々は毒々しい緑の艶を帯びています。

倒木も多く見られました。

 

大蛇が這いずって押し倒したかのような凄まじい光景です。

しばらく歩くと、せせらぎが聞こえてきました。道のわきを細流が通っています。手をつけてみると、ひんやりと冷たくて気持ちの良い水です。高天山の水は落谷→引原谷→新庄川→下岡と流れていっているそうなので、ババメが若者たちを襲い、そして倒された落谷とは、この近くなのかもしれません。

 

ここまでは緩やかな山道なのですが、頂上まであと250メートルという地点から、急に傾斜がきつくなりだしました。ババメ谷から先は山頂へと続く急な斜面しかないそうなので、このあたりがババメの骨があった場所と考えてよいでしょう。

高々とそびえ見下ろす木々のシルエットにババメの姿を想い重ねていると、気がつけば頂上まであと100メートルの看板が。

 

この先に何が待っているのでしょうか。

 

<参考資料>

奥丹後地方史研究会・丹後の民話編集委員会『丹後の伝説 ふるさとのはなし』

福田晃・真下厚『京都の伝説 丹後を歩く』

網野町教育委員会『ふるさとのむかしむかし』

木下微風編『丹後郷土資料集 第一輯 丹哥府志』

竹野郡網野尋常高等小学校『我が郷土』

京都府竹野郡役所編『丹後國竹野郡誌 新訂版』

京丹後市立 丹後古代の里資料館 パンフレット

文・絵=黒史郎

 

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