「超能力者」がメスも麻酔も使わず、素手を患者の体内につっこんで腫瘍などの患部をつかみだす「心霊手術」。そのテレビ実況は、一説によれば日本のテレビ史におけるオカルト番組のルーツだといわれている。

これについて考えてみる前に、国内のオカルト系テレビ番組、「心霊」や「超能力」、「UFO」ネタなど、とにかく不思議なものをぜんぶひっくるめた意味でのオカルト番組の歴史をザッとふり返ってみよう。このあたりは拙著『ぼくらの昭和オカルト大百科』にも書いたことだが、僕の記憶や認識では、オカルト番組の源流には大きく3つの流れがあったと思う。ひとつはグァルティエロ・ヤコペッティ監督の映画『世界残酷物語』の国際規模の大ヒットによる「秘境ドキュメント」のブーム。当時はこの映画の影響で「ショック! 残酷!」といった煽り文句が冠される作品が映画界、テレビ界、出版界にあふれかえった。エロ、グロ、ヤラセ満載のタッチで「知られざる未開文明」のアレコレをレポートする、というスタイルそのものが大流行し、後に粗製乱造される「残酷ドキュメント映画」はもちろん、『川口浩探検隊』をはじめとするオカルト番組スレスレのテレビドキュメント、さらにはもっとマットウな『すばらしい世界流行』など、多くのテレビ番組に多大な影響を与えている。
もうひとつは、初代・引田天功などによる過剰に大げさな演出の大規模マジックショーの流行だ。特に60年代後半から『木曜スペシャル』で定番化した「大脱出シリーズ」。燃えさかるジェットコースターから決死の「大脱出」をするなど、「人が死ぬ瞬間が放映されてしまうかも知れない!」というスリルを娯楽化し、テレビ番組としてパッケージした。同時期にやはり引田天功を主役に特番が組まれた「催眠術ショー」などとともに、これらが後の「超能力特番」などのノリをつくっていく。
そしてもうひとつ、こちらは歌舞伎などの伝統芸能興行をルーツに持つ「怪談もの」のテレビドラマだ。初期はお盆の時期に「異色時代劇」として放映される「四谷怪談」などが多かったが(これは映画界がお盆興行としてB級怪談映画を上映する習慣を、そのままテレビに移行させた形だった)、後に『恐怖劇場アンバランス』などの現代ものの怪談をレギュラー放映する番組が登場する。また、『トワイライトゾーン』『アウターリミッツ』『事件記者コルチャック』などなど、米国産のホラードラマの影響も大きかった。これらによって「テレビで恐怖を楽しむ」というスタイルが徐々に定着しはじめる。『恐怖劇場アンバランス』の放映開始は1973年だが、同年、「日本のテレビ史上初の心霊特番」といわれる『あなたの知らない世界』が放映される。
さて、こうした流れの起点にあったコンテンツのひとつが、やはり一種の「オカルトっぽさ」というか、怪しげな「見世物小屋」的な感覚をテレビに導入したパイオニア的な番組だった。
フジテレビで1967年から放映開始された『万国びっくりショー』だ。世界各国の驚くべき特技を持った人を紹介するというバラエティーで、後の「奇人変人もの」のルーツとなった番組である。僕は世代的にほとんど覚えてないが、『オカルト番組はなぜ消えたのか』(高橋直子・著/青弓社/2019年)などによれば、同番組で1968年に「心霊手術」が放映されており、これが「心霊手術ブーム」の起爆剤となっただけでなく、日本におけるモロなオカルト番組としては最初のものだったとされている。また、調べてみると『万国びっくりショー』では2年後の1971年にも「世紀の奇跡!フィリピンの心霊手術!」が放映されている。
どうやら「心霊手術」こそが、国内のオカルト番組の歴史を切り拓いたと考えて間違いないらしい。僕ら世代が記憶している数々の「心霊手術特番」は、68年の『万国びっくりショー』が作り出した大ブームの余波だったようだ。

なぜブームは過熱し、収束したのか?
どうして68年の『万国びっくりショー』が「心霊手術」の大ブームを作りだすにいたったのか? もちろん内容が衝撃的だったからであり、驚異の「奇跡」を肯定する者、「インチキだ!」と否定する者の間で大論争が起こったから……ということは容易に想像できるが、さらに予想以上のセンセーションを巻き起こしたのは、番組放映直後に「心霊手術」をめぐる問題が「事件化」してしまったからだった。
中岡俊哉の『テレパシー入門』(祥伝社/1971年)によれば、『万国びっくりショー』に出演して大論争を巻き起こしたのは、フィリピンからやってきた「術者・トニー」ということになっている。「トニー」とは、フィリピンだけではなく世界的にも有名になっていたアントニオ・アグパオア。中岡は同書で「心霊手術」の「実在性」を力説しておきながら(彼は主にブラジルのアリゴーという「術者」を信望している。このアリゴーとは、こちらも当時国際的名声を得ていたホセ・アリゴ)、「トニー」については「あまり信頼できない」としている。その理由の詳細は中岡の著作には書かれていない。
一方、南山宏の『超現実の世界』(大陸書房/1971年)にも、「トニー」ことアントニオ・アグパオアについての記述がある。これによると、「トニー」は日本で『万国びっくりショー』に出演し、国内に大論争を巻き起こした直後、アメリカでFBIに逮捕されてしまったのだそうだ。罪状は詐欺罪である(もともと国際指名手配されていた、という説もある)。この当時の状況は想像するしかないが、「トニー」の逮捕で「心霊手術はやっぱりインチキだった」というオチがついて下火になるどころか、逮捕のニュースの衝撃で論争はさらに過熱してしまったらしい。その後の数年間も「心霊手術特番」が制作されているところを見ると、「詐欺師だ!」「いや、冤罪だ!」という論争が以降も続いたらしく、しばらくはブームが保持されていたようだ。
しかし、70年代なかばあたりには、少なくとも日本のテレビ界レベルでのブームはすっかり収束している(以降も各国で「心霊手術」は行われているし、現在もアジアや南米では熱烈な信望者は多いらしいが)。なぜ下火になったのかといえば、多くの「術者」が使っていた定番のトリックが徐々に公開され、手にブタなどの血液が詰まった血袋を隠し持っていたとか、取り出した患部は実は鶏の臓物だったということが語られはじめたためだった。要するに「ただのマジック」だったという見解が一般化していったのである。このころのことは子どもだった僕もよく覚えており、「なんだよ、つまんねーの!」とシラけた気分になったものだ。

だが、「心理手術」ブームの衰退の要因としては、もっと根本的な問題があったのではないかと僕は思っている。ミもフタもない言い方だが、要するにテレビ的な「見世物」として発展性がないとうか、あまり「おもしろくない」という最大の欠陥があったのだ。
どの特番もベッドに横たわった患者を「術者」と助手たちが取り囲み、なにやらゴソゴソやっている。その後姿をカメラが遠くから映すだけ……という絵が延々と続く。切り開かれた患者の腹などをモロに映すわけにはいかない以上(実際に切開されていたかは別として)、一般的なテレビ番組としてはそういう撮影方法しかなかったのだろう。
最初の2、3回は雰囲気に圧倒されて衝撃を受けるものの、さすがに10回も見せられると「またやってんのかよ!」という気分になって、もうどうでもよくなってくるのだ。僕らが「心霊手術」に「飽きた」のは、真偽がどうのという問題ではなかったような気がするのだ。
「心霊手術」のパフォーマンスは「娯楽」としてあまりテレビ的ではなかった……というトホホな見解が本稿の結論だが、しかし、あの白衣を着た外人のオジサンたちが寝ている人を取り囲み、意味深にゴソゴソやってる映像が一時間あまりも続くシュールな光景は、今となっては非常に懐かしく、「また見てみたい!」と思ってしまうのである。大人になった今は、当時とはまた別の味わい方ができるような気がする。

初見健一「昭和こどもオカルト回顧録」
◆第42回 70年代オカルト少年たちのバイブル『ふしぎ人間 エスパー入門』
◆第41回 80年代の「瞑想ブーム」と僕の「TM教室体験記」続き
◆第40回 80年代瞑想ブームに乗った僕の「TM教室」体験記
◆第35回 「津の水難事故怪談」の背景にあった「悲劇の連鎖」
◆第34回 テレビとマンガが媒介した最恐怪談=「津の水難事故怪談」
◆第33回 あの夏、穏やかな海水浴場で何が?「津の水難事故怪談」
◆第27回 コティングリー妖精写真と70年代の心霊写真ブーム
◆第14回 ファンシーな80年代への移行期に登場した「脱法コックリさん」
◆第12回 エンゼルさん、キューピッドさん、星の王子さま……「脱法コックリさん」の顛末
◆第10回 異才シェイヴァーの見たレムリアとアトランティスの夢
◆第9回 地底人の「恐怖」の源泉「シェイヴァー・ミステリー」
◆第7回 ウルトラマンからスノーデンへ!忍び寄る「地底」世界
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文=初見健一
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