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2019/12/22 20:15

【ムー皇室神事の秘密】知られざれる大嘗祭の秘史と祭儀

大嘗祭(だいじょうさい)は、天皇即位に合わせて執り行われてきた、非常に古い歴史をもつ伝統的祭祀といわれる。

明治天皇の大嘗祭が執り行われた大嘗宮を描いた錦絵。明治4年(1871)11月17、18日に東京の皇居で斎行された。

 

では、具体的にはいつから行われてきたのだろうか。そしてどのような由来をもっているのだろうか。

 

大嘗祭は年毎の収穫祭である新嘗祭(にいなめさい)を原形とする。したがって、大嘗祭のルーツを探るには、まず新嘗祭のルーツを探っておく必要がある。

 

「新嘗」の訓読みは古代にはニイナエ・ニハナエ・オオニエなどさまざまだったようだが、最終的にはニイナメが定着した。ニイナメの語源については、「ニイ(新穀)のアエ(饗)」つまり「新たに収穫された穀物を供えて神にもてなす」(本居宣長)とする見解のほか多くの説があるが、とにかく新穀を食べること、あるいは新穀を神に供えることを意味する、古い日本語であることは間違いないようだ。

 

漢字表記について付言しておくと、ややこしいことに、古代には年毎の収穫祭としての新嘗祭と天皇一代に一度の即位儀礼としての大嘗祭が明確に区別されなかったために、ともに「大嘗」と書かれたり、あるいはともに「新嘗」と書かれたりすることもあったので、注意が必要だ(ちなみに、「嘗」の字は「なめる」「食べる」の意味をもつ)。

 

アマテラスも高天原で新嘗祭を行っていた

新嘗祭は、現代でも宮中のみならず全国の神社で11月に行われているが、民間でも行われた素朴な収穫祭としてみれば、その歴史は稲作がはじまった弥生時代にまでおそらくさかのぼるだろう。また祭祀の時期については、宮中の新嘗祭は11月の中(または下)の卯日(11月の2回目の卯の日。11月13~24日のいずれかの日)に行われるのが恒例になったが、旧暦のこの時期は新暦ではおおむね12月下旬、つまり冬至(とうじ)の時期にあたる。

 

新嘗祭(そして大嘗祭)が太陽の再生を願う冬至祭としての要素も持ち合わせていることは重要である。神々の世界でも新嘗祭は重んじられていた。『日本書紀』では、アマテラスの天岩屋籠(あまのいわやご)ごもりの前の、スサノオが乱行をはたらく場面に、つぎのような描写がある。

 

「アマテラスは天上界に自分の田んぼをもっていたが、春になるとスサノオはそこに勝手に種を重ね播いたり畔あぜを壊したりし、秋になると天斑駒(あまのふちこま)を放って田んぼを荒らさせて農事の邪魔をした。そして、アマテラスが新穀を食べようとすると、スサノオは神殿に大便をして汚した。あげく、アマテラスが斎服殿(いみはたどの)で神衣(かむみそ)を織っていると、スサノオは御殿の屋根に穴を開け、皮を剥いだ天斑駒を投げ入れた。

 

ショックを受けたアマテラスは、機はた織おりの梭ひ でからだを傷めてしまった。アマテラスは立腹して天岩屋に入り、岩戸を閉じて中に籠ってしまった」

新嘗祭が妨げられたことにショックを受けてアマテラスが天岩屋籠もると、女神を外に招き出そうと、八百万の神は祈禱や踊りを行いはじめた。記紀神話でいちばん有名な場面だ。『鮮斎永濯画譜』より。

 

『古事記』にもこれとほぼ同じような神話が記されている。

 

傍点の部分は原文では「新嘗きこしめさむ」となっていて、一義的にはアマテラスが新穀を食べることを意味するが、このことは同時に、田んぼの主であり太陽神である女神アマテラスに対して新穀を供する祭事すなわち新嘗祭がここで行われていたことを表現している。斎服殿で織られた神衣とは、巫女としてのアマテラスが織ったものであり、それは祭事の際に神つまりアマテラス自身へ奉るためのものだったのだろう。

 

つまり、スサノオは、古代社会において最も重要で神聖な祭事である新嘗祭をあからさまに妨害したのであり、このことに抗議をしてアマテラスは天岩屋に籠もってしまい、そのために世界は真っ暗闇に包まれてしまったのだ(アマテラスの天岩屋籠もりは冬至の隠喩とも解釈されている)。このことは、古代日本において新嘗祭がいかに重要で神聖視されていたかということも教えてくれる。

 

大嘗祭が確立されたのは7世紀後半

記紀における新嘗祭の記述は、神話の巻だけでなく、もちろん人代の巻にもある。

 

たとえば、『日本書紀』の場合は第16代仁徳(にんとく)天皇や第22代清寧(せいねい)天皇の章、『古事記』では第21代雄略(ゆうりゃく)天皇の段に、宮廷で新嘗祭が行われていたことを示唆する記述がある。新嘗祭は、天皇= 大王(おおきみ)が担う重要祭祀として早くから日本の古代社会に定着していたのだろう。

 

こうしたなかで、新たに即位した天皇が最初に臨む新嘗祭が特別視されるようになり、即位儀礼としての大嘗祭が形成されていったのである。

 

では、それはいつごろのことになるのだろうか。

 

『日本書紀』によれば、皇極(こうぎょく)天皇元年(642)11月16日に第35代皇極天皇が新嘗祭を行っているが(「天皇、新嘗を御きこしめす」)、これは皇極天皇にとっては即位後初の新嘗祭なので実質的には大嘗祭であり、一般に、文献上ではこれが大嘗祭の事実上の初出ととらえられている。

 

明確に即位儀礼の一環として意識された大嘗祭が行われるようになったのは第40代天武(てんむ)天皇の時代であり、現代にまで続く大嘗祭の様式が確立したのは次の持統(じとう)天皇(天武天皇の皇后)の時代とされている。

 

『日本書紀』の天武天皇2年(673)12月5日条に、同年に即位した天武天皇が「大嘗(おおにえ)」に奉仕した神官たちに俸禄を賜ったと記され、また持統天皇5年(691)11月1日条に、前年に正式に即位した持統天皇が「大嘗」を行ったと記されているからである。つまり、大嘗祭が確立したのは飛鳥時代の7世紀後半ということになる。

(ムー2020年1月号より抜粋)

 

文=古川順弘

 

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