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2020/1/26 18:00

追悼デビッド・スターン。NBAの名コミッショナーがスニーカー界に残した足跡を垂涎アイテムで振り返る

2020年1月1日、NBAの名誉コミッショナー、デビッド・スターンが77歳で亡くなりました。もともとNBAに顧問弁護士として雇われたスターンは、1984年にコミッショナーに就任するとまずリーグのイメージ刷新に尽力。薬物問題を抱えた選手を一掃するとともに、各チームの選手の年俸上限を制限する「サラリーキャップ」制度を導入し、経営の立て直しを主導しました。

 

マイケル・ジョーダン(元ブルズなど)、パトリック・ユーイング(元ニックスなど)、シャキール・オニール(元レイカーズなど)ら才能ある若手スターの登場もあり、NBAは世界屈指の人気プロスポーツコンテンツへと成長。スターンは2014年までの実に30年間にわたってコミッショナーを務め、スポーツ業界で最も影響力を持つ人物のひとりに数えられるようになりました。

 

スターンの影響力はコート上のみにとどまりません。なかでも今日のスニーカーカルチャー(とビジネス)の隆盛に与えた影響は、ある意味、一人一人のスター選手たちよりも大きいかもしれません。そこで今回は、スターンがスニーカー界に残した足跡をアイテムで振り返ります。

 

【1】

「NBAが禁止した」シューズ?



NIKE(ナイキ)

AIR JORDAN 1  RETRO HIGH

実売価格12万9499円

『9月15日、ナイキは革新的なバスケットボールシューズを開発した。10月18日、NBAはこのシューズをゲームから追放した。しかし幸い、NBAはあなたがこのシューズを履くことを禁止はできない。エアジョーダン、ナイキから。』マイケル・ジョーダンのプロ入り初年度にナイキが放映したのは「NBAが禁止した」シューズ、「エアジョーダン」のCMでした。

 

J・B・シュトラッサーとL・ベックランドの共著『スウッシュ』によれば、レギュラーシーズン開幕直後、スターンはナイキと協議のうえ「白を基調とし、つま先に赤と黒をあしらったもの(注・現在では“シカゴ”カラーとして知られる)であれば違反とみなさない」ということで妥協しつつ、NBAを揶揄するようなナイキのCMについても放送を許可しています。後日、彼はナイキ幹部に対し「俺の子供が、ジョーダンに赤黒シューズを履かせないといって、俺をバカにしているんだ」と笑ったそうです。

 

実のところNBAが警告を発したのは、ジョーダンがプレシーズンゲームで着用していた黒×赤の「エアシップ」でした。当時まだ「エアジョーダン」は開発真っただ中。結局ジョーダンはこの“BRED”カラー(黒×赤)を公式戦では一試合も着用することは無く(履いたのはNBAのユニフォーム規定が適用されないスラムダンクコンテストと、CMの中だけ)、罰金を科された事実も、“ナイキが罰金を肩代わりし続けた”という事実も確認されていません。ですが、この『伝説』は結果としてナイキとジョーダン、そしてNBAに長きにわたって大きな利益をもたらすことになりました。なお「エアシップ」も、この冬復刻されることがナイキからアナウンスされています。

 

【2】

ドリームチーム結成の舞台裏



NIKE(ナイキ)

AIR JORDAN 7  “OLYMPIC”

実売価格5万5000円

スターンのもう一つの大きな功績といえば、1992年バルセロナ五輪での『ドリームチーム』結成でしょう。4年前のソウル五輪でライバルのソビエト連邦(現在のロシアなど)に敗れ、銅メダルに終わったアメリカは、バスケ発祥の国の威信を回復するため、最強チームの派遣を決定します。

 

ドナルド・カッツの著書『Just do it』によれば、1991年4月末、スターンはナイキを訪問し、会長のフィル・ナイトに対して『ドリームチーム』結成への協力を要請。当時USAバスケットボール(米国ナショナルチーム)のトップも兼務していたスターン氏は、コンバースを米国代表の公式シューズとする現行の規約は変更しないが、出場選手たちに着用を強制することはない、とナイトに約束したと言われます。

 

こうした周到な根回しを経て発売されたのが、ナイキをはじめとしたシューズ各社の「オリンピック限定モデル」でした。世界中のスポーツファンたちは、ジョーダン、マジック・ジョンソン(元レイカーズ)、ラリー・バード(元セルティックス)らの華麗なプレーと、その足元で輝きを放つ色とりどりのシューズに魅了され、NBA人気はグローバルなものに。ビッグイベントに合わせた限定カラーのスニーカーが発売され高値で取引されるようになったのも、この頃からです。

 

【3】

ヒップホップスタイルの是非

Reebok(リーボック)

THE ANSWER DMX OG

実売価格2万2000円

スターンは規律に厳しいコミッショナーとしても知られました。2005年11月、彼はアメリカのメジャープロスポーツ界で初めて、選手のコート外での服装にドレスコードを設けました。その規定は極めて具体的で、記者会見などの公の場ではドレスシャツ、スラックス、ビジネスシューズの着用を推奨する一方で、Tシャツ短パンスタイルや、室内でのサングラス着用、服の上から見えるネックレスなどを「ふさわしくない」格好として例示しています。

 

厳格化の背景には、アレン・アイバーソン(シクサーズなど)のヒップホップファッションがあったと言われています。バスケットボールとキックス、そしてヒップホップの関係は切っても切り離せないものですが、当時全盛期を迎えていたアイバーソンのクールさは際立っており、少年たちからの人気も絶大でした。リーグ全体へのマイナスイメージを懸念したスターンはドレスコードを導入しますが、若手やファン、メディアから「ヒップホップスタイルの締め出し」との批判も巻き起こりました。

 

NBAがファッションとの融合に比較的寛容になったのは、現コミッショナー、アダム・シルバーの時代から。2017年にはシュプリームとのコラボグッズが発売され争奪戦となりました。驚くべきことに先日はあのルイ・ヴィトンとのパートナーシップも発表。どんなアイテムが展開されるのか、今から注目です。

 

【番外】

リニン、アンタ、ピーク…中国ブランドの台頭



ヤオ・ミン

Topps Finest Jerseys Refractors Yao Ming

実売価格1320円

「ドリームチーム」結成の動きでもわかる通り、スターンはNBAの海外輸出に積極的でした。中でも一番熱心だったのはアジアです。1988年には日本の伊藤忠商事と包括提携を結び、2年後の1990年には、米4大プロスポーツでも初となる北米大陸以外での公式戦(それも開幕戦)を開催。バブル時代まっただ中の日本から放映権・グッズ販売などの収益を得ることに成功しています。

 

続いてスターンが強化したのは中国でした。大きな転機となったのは2002年ドラフト全体1位のヤオ・ミン(元ロケッツ)の入団。ヤオ自身はリーボックのシューズを着用していましたが、このころからリニン、アンタ、ピークといった中国ブランドが台頭しはじめます。中国国内でのNBA人気の高まりを受け、2010年代にはドウェイン・ウェイド(元ヒートなど。リニン)ケビン・ガーネット(元ウルブズなど。アンタ)、ジェイソン・キッド(元ネッツなど。ピーク)ら大物スター選手との契約も増え、中国以外のマーケットでも存在感が高まりました。

 

中にはゴールに向かってジャンプする男性の姿をロゴマークとして使う喬丹体育(チャオダンスポーツ)というブランドも登場。ジョーダンが中国で裁判に訴えたものの、逆に喬丹体育側から名誉棄損で訴えられるという困った事態も発生しました。とはいえ、スターンの海外戦略がバッシュとスニーカー界に新風を吹き込み、そしてリーグに新たな収益源をもたらしたことは明らかでしょう。

 

協力:楽天市場