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2017/5/21 19:00

【小物王のつぶやき】「写ルンです」が人気再燃! 若者世代が欲しいのは意図しない“偶然”

それは大昔のこと、世界中の人々は普段からカメラを持ち歩いてはいなかった。カメラというのは面倒くさい機械で、それを扱えるのは一部のマニアだけという時代は結構長く続いていて、実際、写真を撮るという作業は本当に面倒くさかったのだ。もちろんシャッターを押すだけで撮れるコンパクトカメラもあったのだけど、それらは何というか結構偶然に頼っていて、誰が撮っても「何となく写る」けれど、きちんと撮ろうとするとかえって難しかったりした。

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荒木経惟氏やHIROMIX氏が愛用していたコニカの「ビッグミニ」のような名作もあったけれど、ではビッグミニを使うと誰もがHIROMIXみたいに撮れるかというと、そんなことはなく、キレイな写真を撮りたければ、何だかんだでカメラを勉強するしかなかったから、それなりにキレイな写真が撮れるというだけで、高校の文化祭や体育祭で女子に人気が出たりしたのは、特定の世代の特権だったかも知れない。応援や仮装でセクシーな格好した女子が、「撮って撮って」と次々にやって来ていたのだから、今考えるとビックリするけれど、写真が撮れるというのは、そのくらい特別なことだった時代があったのだ、35年くらい前は。

 

■カメラじゃなくて「レンズ付きフィルム」の気軽さ

そんな時代だから、旅先で写真が撮りたいと思っても、手元にカメラなんてないというのは普通のことだったし、あっても、操作が難しくて上手く撮れないというのも良くあることだったから、富士フイルムの「写ルンです」は、当たり前のようにヒットした。何といっても「レンズ付きフィルム」なのである。カメラじゃなくて、フィルムにレンズが付いてるから撮影もできますよ、という商品。だから、カメラを使っているという気負いが要らない。わざわざカメラを買って上手く撮れないとガッカリするけど、「写ルンです」ならカメラじゃないから諦めも付くのだ。上手く撮れれば儲けもん、といったところだ。そして、これが案外ちゃんと撮れる。最初から「凄くキレイ」を期待していないから、ちゃんと何が写っているかが分かる程度に撮れていれば、それでオッケーなのだ。写真は失敗して当たり前の時代だったから。

 

例えば、現在発売中の「写ルンです シンプルエース」は、ISO400のフィルムで、絞りf10、シャッター速度140分の1秒。レンズは32mm。これだと、前景から背景まで、大体ぼけずに写るし、手ブレもしにくいから、明るささえ確保していれば、まずそこそこ写る。この「そこそこ写る」がポイントで、これがそこそこ写るんだから、ちゃんとしたカメラじゃなくて良い、という風潮が生まれて、普段使いのカメラとしても使われることで大ヒットしたわけだ。実際のところ、ちゃんとしたコンパクトカメラを使う方が、キレイに撮れる以前に、遥かに安上がりなのだけど、元が取れる3万円より、目先の2000円を取った人が多かったわけだ。まあ、結構皆さんお金を持っていた時代でもあるし、普段、カメラなんか持ち歩かないから、どこにでも売っていて必要な時にだけ買えばいい「写ルンです」が便利だったのだ。

 

そして現在、写真なんかにお金を払う人はほとんどいなくなったというのに、誰もが当たり前にカメラを持ち歩くようになった。実のところ、その歴史は、せいぜい「写メール」が始まった2001年からだから、まだ16年ほどしか経っていないのだけど、今や、カメラは誰にでも使えるものになった。その意味では、「写ルンです」なんか、完全にその役割を終えて良かったのだけど、そこに編な逆転現象が起こる。今や、かつてマニアのものだった「キレイに撮るためのあれやこれや」は、普通に誰もが使えるテクニックになってしまったのだ。何だかんだで、最近の自撮りなんか、もうやたらと工夫を凝らして撮っているのだ。その凝りようは、かつての「カメラ小僧」と何ら変わりはない。

 

■簡単さと「運を天に任せる」感が新鮮!?

だからこそ、シャッター押すしかできない、撮った後は現像に出さないと何もできないという、簡単さと自分ではどうしようもない運を天に任せる感が新鮮なのだ。だって、今の「写真」は、誰にとっても技術勝負になってしまったから。フィルムの偶然性というか、アンコントローラブルなところというか、自分のせいじゃないもーん的な無責任さというか、そういう気楽さが欲しいのだと思う。だって失敗してもいいのだ、それは自分のせいじゃなくて「写ルンです」の難しさだから。

 

それでまた、「写ルンです」の、かつて「そこそこ写る」だった、その「そこそこ」が、今や味になるのだ。ビシっとピントが合わないからこその、ちょっと滲んだような画質とか、周辺光量落ちで空とか撮ると四隅からグラデーションするトイカメラ的な写りとか、すぐ白く飛ぶから明るいところで撮るとちょっと切ない感じになるところとか、富士フイルム特有のちょっと青被りする独特の色調とか、プリントした時のベッタリした昭和っぽさとか、そういうのがまとめて、デジカメやスマホの優秀なカメラでは出せない、または面倒な加工が必要な「味」になってしまった。しかも、偶然に。

 

いや、まあ、その気になって考えて撮れば、偶然でも何でもなく「演出」できるんだけど、そんなのはスマホの写真でいっぱいやってるのだ、みんな。だから、意図しない「偶然」が撮れる「写ルンです」を使うのだ。キレイな写真にはお金がかからなくなった時代に、ちょっと雑な写真をお金を払って撮ってるわけで、それは「写真」という文化の成熟の形と言ってもいいんじゃないかと思う。かつてプロカメラマンがトイカメラに走った時代があったけど、あれと同じなんだと思う。技術の行き着く先は偶然性というのは、何かもうアートの必然だ。

 

【著者プロフィール】

納富廉邦

フリーライター。グッズの使いこなしや新しい視点でのモノの遊び方などを得意とし、「おとなのOFF」「日経トレンディ」「MONOマガジン」「夕刊フジ」「ココカラ」などの雑誌をはじめ、書籍、ネットなど、さまざまな媒体で、文具などのグッズ選びや、いまおすすめのモノについて執筆。グッズの使いこなしや新しい視点でのモノの遊び方、選び方をお伝えします。

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