ライフスタイル
2016/9/18 13:00

実は「断捨離クン」こそ、過大な欲望を抱えているに違いない

20160918-a02 (1)

 

■ああ、みっちり収集してねっとり眺めたい

私にはちょっとした病があって、それはあれこれを数多く集めたい、そしてきっちり整理してみっちり飾り、ねっとり眺めたいという、どうやら「収集→分類」癖なのです。特にそれは食器やカトラリー方面に発揮され、例えばワイングラスを6客×あらゆる種類買って、それを飾る棚をわざわざデザイン家具屋さんにオーダーしたり、昔の診療所にあった薬箱のような棚の、小さな引き出し一つ一つにスプーンやらナイフやらフォークやらお箸置きやらを6本(個)一組ずつ、作家やブランド別、長さ別に分別して入れ、時々開けてうっとりと眺め回し、撫で回しています。

 

何かと色違いで買う欲張りでもあり、文房具もとにかくあれこれ色違いで買い、引き出しや巨大な回るペン立てにみっちり並べています。服も多色買いしがちで、クローゼット部屋にみっちりと並んでいます。この、「一つじゃ満足できずにコレクションする、しかもそれらを並べて悦に入る」という癖(へき)が、石とか昆虫とかNゲージだとかトミカだとかカード類に発揮されるのが少年というものなのだな、と思うのです。ちなみにそれがクルマとかバイクとか時計とか電子ガジェットとかになるのが、“昔少年”(オジさん)たちですね。

 

ですから、今年の夏は大変でした……ポケモンGOが止まらなくて。だって街中にいっぱいいるんですもん。集めたくなるでしょう。もうねぇ、収集欲がMAX刺激されっぱなしでしたよ。

 

■断捨離男子が実は囚われている、過大でムンムンの欲望

だから、アラサーの年下男子が「いやー、最近断捨離にはまってて」と、いかに自分の持ち物が厳選されて最小限のものであるか、部屋に家具さえも置かないか、なんて滔々と話し始めたとき、ミニマリストだか何だか知りませんが、限界まで捨てる一方の発想に「キミは将来“僧”にでもなるのか?」と突っ込みたくなったのでした。そういう、ちょっとお洒落で意識高いビジネス男子、最近多くないですか?(可愛いけどね、好きだけどね。)

 

よくよく観察していると、どうやら本人たちはビジネスハックとかライフハックのつもりらしいんです。そうやって「捨てる!技術」こそが心にピースをもたらし、自分のビジネスマンとしてのパフォーマンスを上げ、クリエイティブな発想をジェネレートするエンジンとなり、ミニマルな生活空間に、マキシマルに稼げるクリアでカッティングエッジな発想がジョビジョバと湧き出すんだいつかきっと必ず!……って信じて、せっせと捨ててるらしいんですよ。

 

以前、「自分がときめくかどうか」でモノを捨てるか否かを判断する片付け法で有名な方にインタビューしたことがありますが(その方法論自体は私も自分の習慣としてすごくよくわかります)、彼女もその境地に至る前は、「あれもこれも、まだもっと片付けなきゃ……」との強迫観念に囚われ、片付け作業の最中に倒れたことがあるそうです。

 

断捨離って一見こう、手近な欲望をコントロールしてどんどん小さくして、無我の境地でも目指してんのかしら、って見えるんですけれど、裏に結構身の程をわきまえない欲望を抱えているんですよね。「禁欲」が、実は「過大な欲望」を戒めるがゆえの方策であるのと、何か似ている気がします。だって過大な欲望がなきゃ、禁欲なんかしないし、しなくていいんだから。で、つまるところ「それ」に囚われてしまっているんですよね。結果、「極端なお片づけとか断捨離って、部屋だけじゃなくて頭の中も殺風景にしちゃわないかなぁ」と思ったのでした。

 

■あなたの部屋や机には「あなたの脳の平衡状態」が表れている

だから、夏の終わりにヒットしていた『“断捨離”にこだわる人の頭の中こそ整理されていない件』も、そうだそうだと思って読んでいました。「デスクが汚いのは頭の中が混乱しているからだ」というのはよく聞きますが、どんな人にも本人なりの整理具合というのがあって、端から見るとぐちゃぐちゃでも、本人がもののありかを把握していたらそれで機能しているんですよね。把握していないならないなりに、その人が快適に感じる「脳の平衡状態」が机や部屋に表れているのだと思います。私はみっちり収集して飾る癖の持ち主ですが、外見(そとみ)は一見整理されているように見えて、いざ引き出しや扉を開けるとただ似たものをワイルドに放り込んであるだけだったりします。

 

「部屋が汚い」「机が汚い」というのは、衛生に関わることでもなければ案外、叱りつけるようなことじゃないんですよ。記事中にもありますが、アインシュタインのような天才たちの机は整理されておらず、それはそういう環境を平衡状態として働くタイプの脳だから。どっちかというと、叱りつける側が「自分が見ていて気持ち悪い」だけなんですよね。

 

落語家の立川談志による「落語は人間の業の肯定だ」という主張の中に、「人間はだらしないんだよ、でも、それじゃなきゃ人間じゃないんだ」という言葉があるそうで。「だらしない自分とどう付き合うか」は人間の普遍的なテーマなのかもしれません。それが、世間でいつまでも『ホニャララの整理術』みたいな本が飽きずに量産される理由ではないかなーと思っています。

 

【著者プロフィール】

河崎 環

1973年京都生まれ神奈川育ち。乙女座B型。 部活:演劇部(男役など) 趣味:お笑いとロックと飲酒 特技:歌と飲酒 将来の夢:隠遁して飲酒 悩み:親が奇人。娘が2次元で迷子。ほうれい線。 寝床にある書:『疲れ過ぎて眠れぬ夜のために』内田樹 藤沢の田舎、海外遊学などで若さと人生を無駄遣いしたのち、予備校・学習塾講師を経て物書きの世界へ足を踏み入れ、いよいよ人生を棒に振る。2002年よりAll About「子育て事情」ガイドとして活動するも失踪。ふと気づくと何かの波にさらわれて渡欧、海を越えたのならと開き直りエレガントに理屈をこねた(自称)のち、最近再び日本の土を踏んだ様子が報告されている。