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2017/11/18 19:00

【中年スーパーカー図鑑】市場から一刻も早い販売を期待された、流麗なV12ミッドシップモデル

1960年代前半のスーパースポーツは、フロントにエンジンを置き、長いドライブシャフトを介してリアを駆動する、いわゆるFRレイアウトが定番だった。そこに、ミッドシップ方式でエンジンを積んでリアを駆動する、MRレイアウトの新世代スーパーカーが1966年に登場する――。今回はランボルギーニの第3弾ロードカーで、著名な闘牛飼育家に由来する車名を冠した「ミウラ(MIURA)」の話題で一席。

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【Vol.6 ランボルギーニ・ミウラ】

1965年に開催されたトリノ・ショーにおいて、新興のスポーツカーメーカーであるアウトモービリ・フェルッチオ・ランボルギーニS.p.A.は、「TP400」と称するシャシーとエンジンの試作モデルを公開する。その姿を見て、来場者は驚いた。エンジンがミッドシップ方式で搭載されていたのだ。当時のスーパースポーツはフロントエンジン・リアドライブのFRレイアウトが定番。そこに、大きなV12エンジンを横置きでミッドシップ配置し、ギアボックスとデフはその後方に設定し、このパワーユニットを鋼板を溶接したファブリケート構造のシャシーフレームに載せていたのである。ダラーラが次世代ランボルギーニ車のために開発していたベアシャシーを、フェルッチオが話題集めのために急遽出品したものだったが、その注目度は満点。カジノに遊びにきていたお金持ちのスポーツカー好きなどが、大挙してこのシャシー&エンジンの素性を尋ねた。一方、V12ミッドシップ車=プロトタイプスポーツと捉えた自動車マスコミからは、「ついにランボルギーニがレース参戦か」と評された。

 

■革新的なミッドシップV12スポーツカーの登場

前後端を支点とする跳ね上げ式のカウルはミウラの特徴のひとつ。ミッドシップに横置きでV12ユニットを積む
前後端を支点とする跳ね上げ式のカウルはミウラの特徴のひとつ。ミッドシップに横置きでV12ユニットを積む

 

TP400のベアシャシーとエンジンはその後改良が施され、組み合わせる鋼板製ボディにも応力を持たせるセミモノコック構造を創出。そして、1966年開催のジュネーブ・ショーにおいて「ミウラ」の車名でワールドプレミアを果たす。スペインの有名な闘牛飼育家に由来するMIURAの車名を冠したベルリネッタ(クーペ)ボディの新型スーパースポーツは、当初、量産車として想定していなかった。フェルッチオとしては会社のイメージアップと販売促進につながればいいと考え、生産しても30台程度で済ます予定だったのである。しかし、市場の反応は予想以上に良く、受注も増える。

 

同時に、一刻も早い販売を顧客から要請された。ちなみに、プロトタイプのミウラを見て一部の自動車マスコミからは落胆の声があがる。GTのキャラクターに特化した内外装の演出が、TP400時でのレース参戦の予想に反していたからだ。そもそもフェルッチオとしては、レースカーに仕立てるつもりは端からなかったのだが……。

 

ミウラの顧客ニーズを鑑みたフェルッチオは、大まかなセッティングを決めた段階で生産に移し、1967年より「ミウラP400」として販売する。車名のPはPosteriore=後方でエンジンの搭載位置、400はエンジン排気量を意味していた。

厚めのパッドで覆ったインパネに独立タイプの速度計&回転計と6連補助メーターを装備
厚めのパッドで覆ったインパネに独立タイプの速度計&回転計と6連補助メーターを装備

 

ミウラP400の車両デザインはカロッツェリア・ベルトーネのチーフデザイナーであるマルチェロ・ガンディーニが、またボディの製作はベルトーネの工場が担当する。エクステリアはエレガントな造形とエアロダイナミクスを両立させた流麗なフォルムで構成。前後端を支点とする跳ね上げ式のカウルや点灯時に前方に持ち上がるポップアップ式ヘッドライト、ルーバー付きのリアウィンドウなども人目を惹いた。ボディサイズは全長4360×全幅1760×全高1055mm、ホイールベース2500mmに設定する。内装のアレンジにも工夫が凝らされ、厚めのパッドで覆ったインパネに独立タイプの速度計&回転計と6連補助メーター、バケットタイプの2座シートなどを配してスポーティかつ華やかに演出。GTカーとしての積載性の向上を狙って、リアセクションにはトランクルームを設置した。

 

ミッドシップに横置き搭載するエンジンは60度V型の3929cc・12気筒DOHCユニットで、燃料供給装置にはウェーバー製トリプルチョークキャブレター×4を組み合わせる。圧縮比は9.8:1に設定し、350hp/7000rpmの最高出力と37.5kg/5100rpmの最大トルクを発生した。トランスミッションはフルシンクロの5速MTで、パワートレインをコンパクトに収める目的で潤滑系をエンジンと共用化する。懸架機構には前後ダブルウィッシュボーン式を採用。操舵機構にはラック&ピニオン式を組み込んだ。公表された車両重量は980kgで、前後重量配分は44:56。最高速度はクラストップの300km/hを謳っていた。

 

■P400S、P400SVへと進化

1968年12月には発展版の「P400S」が登場。最高出力370hp/7700rpm、最大トルク39.0kg/5500rpm
1968年12月には発展版の「P400S」が登場。最高出力370hp/7700rpm、最大トルク39.0kg/5500rpm

 

早々にユーザーの手元に届けられたミウラ。しかし、その完成度は決して高くなかった。エンジンパワーや最高速度はカタログ数値よりもずっと低く、高速安定性もいまひとつ。コーナリング時には唐突な挙動変化を起こすこともあった。また、遮熱および遮音対策も不足していたため、コクピットのドライバーは熱さやノイズに耐えなければならなかった。

 

エレガントなスタイリングに反して、荒々しさが目立つパフォーマンス――。この評判は、生産を重ねるごとに改良されていく。実施された項目は、シャシー鋼板の肉厚アップ、サスペンションのアライメント変更、取付剛性の強化など多岐に渡った。そして、1968年12月には発展版の「P400S」の販売をスタート。Sはイタリア語の“Spinto”の略で、直訳では“劇的な盛り上がりのあること”、ミウラでは“(従来よりも)レベルが上がる”を意味していた。エンジンはインテークポートの拡大や圧縮比のアップ(10.5)などによって最高出力を370hp/7700rpm、最大トルクを39.0kg/5500rpmへとアップ。足回りのセッティングも変更し、安定性をより向上させる。また、外装ではウィンドフレームおよびヘッドライトリムのクローム化などを、内装ではインパネの形状変更や空調システムの改良などを実施した。

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1971年のジュネーブ・ショーで発表された「P400SV」。“Sprint Veloce”の略称だ。メカニズムの刷新とともにヘッドライト周囲の“睫毛”を廃止
1971年のジュネーブ・ショーで発表された「P400SV」。“Sprint Veloce”の略称だ。メカニズムの刷新とともにヘッドライト周囲の“睫毛”を廃止

 

1971年開催のジュネーブ・ショーでは、いっそうの完成度を高めた「P400SV」が発表される。“Sprint Veloce”の略称をつけた進化版のミウラは、サスペンションアームの一部変更や60扁平タイヤの装着、リアの9Jホイール化およびフェンダーのワイド化などによってスタビリティ性能を向上。搭載エンジンは吸気バルブの拡大やカムシャフトの変更、圧縮比の引き上げ(10.7)などによって最高出力が385hp/7850rpm、最大トルクが40.7kg/5750rpmにまでアップする。外観上では、ヘッドライト周囲のグリル(通称“睫毛”)の廃止やフロントグリル形状の刷新、リアコンビネーションランプへの後退灯の組み込みなどを行った。

 

ほかにも、試作スパイダーモデルの「ILZRO」やその発展型の「Zn75」などが造られたミウラ・シリーズは、最終的に1973年10月に生産を終了する。生み出された台数は、750台ほどだった。

 

【著者プロフィール】

大貫直次郎

 

1966年型。自動車専門誌や一般誌などの編集記者を経て、クルマ関連を中心としたフリーランスのエディトリアル・ライターに。愛車はポルシェ911カレラ(930)やスバル・サンバー(TT2)のほか、レストア待ちの不動バイク数台。趣味はジャンク屋巡り。著書に光文社刊『クルマでわかる! 日本の現代史』など。クルマの歴史に関しては、アシェット・コレクションズ・ジャパン刊『国産名車コレクション』『日産名車コレクション』『NISSANスカイライン2000GT-R KPGC10』などで執筆。