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2017/12/3 18:00

【中年スーパーカー図鑑】事故で大破した幻のスーパーカー。“認定レプリカ”もわずか9台という希少性で伝説となった

前回で紹介したランボルギーニ・ミウラは、その車両レイアウトからモータースポーツ参戦が期待されたモデルだったが、フェルッチオ・ランボルギーニはこれを頑なに拒み、結果的にミウラがレースシーンに登場することはなかった。しかし、開発現場ではFIAが定めた競技規定付則J項に則ったミウラ・ベースの実験車両「J」が製作されていた――。今回は幻のランボルギーニ製スーパーカーと称される、Jこと「イオタ」の話題で一席。

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【Vol.7 ランボルギーニ・イオタ】

ミウラのベアシャシーであるTP400が1965年開催のトリノ・ショーで公開されたとき、自動車マスコミはこう予想した。ランボルギーニがついにレースに参戦する――。V12エンジンを横置きでミッドシップ配置し、ギアボックスとデフはその後方に設定し、このパワーユニットを鋼板を溶接したファブリケート構造のシャシーフレームに載せるという、一見すると運動性能に優れるプロトタイプスポーツに発展すると思われた構成だったのだ。設計を担当したダラーラのスタッフも、さらに煮詰めていけばGTクラスで覇権を握れるという自信があった。しかし、TP400をベースとするランボルギーニのプロジェクト、すなわち「ミウラ」の市販化に際し、ランボルギーニを主宰するフェルッチオはレース参戦を拒否。結果的にミウラがモータースポーツの舞台に立つことはなかった。

 

■ミウラをベースにした実験車両の製造

イオタはミウラのレーシングバージョンとして生まれたが、レース参戦に至ることなく顧客に売却。その後、事故により大破するという数奇な運命をたどる
イオタはミウラのレーシングバージョンとして生まれたが、レース参戦に至ることなく顧客に売却。その後、事故により大破するという数奇な運命をたどる

 

一方、ミウラのシャシーに可能性を見出し、より速くて完成度の高いスーパースポーツを創出しようとする人物がいた。ランボルギーニの開発およびテストに参画していたニュージーランド生まれの技術者、ボブ・ウォレスである。ウォレスはミウラ改良のための先行開発の名目のもと、1969年末よりFIA(国際自動車連盟)が定めた競技規定付則J項に則った実験車両を製作。ペットネームを「J」と名づける。後にJは、ギリシャ文字のιにちなんでIOTA=イオタ(少量、稀少の意)と呼ばれるようになった。ちなみに、この実験車両の製作に対してフェルッチオは、会社としてのレース不参戦を前提に、「ウォレスがやりたいなら、好きにやらせてやれ」と黙認していたそうだ。

 

実験車両のJは、1970年にひとつの完成形に達する。シャシーはミウラと同様の鋼板溶接構造を踏襲したうえで、ツインチューブの断面拡大や箱断面バルクヘッドおよびリアサブフレームの強化などを実施。懸架機構には丸断面鋼管製の前後ダブルウィッシュボーンサスペンションを組み込み、とくにリアサスは大幅に設計変更してスタビリティ性能を高める。ルーフには生産型ミウラと同様のスチールパネルを採用するが、マウント位置は低められた。基本スタイルもミウラに準じたが、装飾類は一切省かれ、代わってエアインテークおよびアウトレットを各所に配置。前後カウルやドアはアルミ材で仕立て、ヘッドランプはプレクシグラスでカバーする固定式に切り替わった。マウントポストにダイレクトに搭載した3929cc・V型12気筒DOHCエンジンは、圧縮比の引き上げ(11.5:1)やカムプロフィールの変更などにより最高出力が440hp/8500rpmへとアップ。オイル潤滑はエンジンとトランスミッションを別系統としたドライサンプ式に刷新する。車両重量は当時のミウラP400S比で150kgあまり軽い約900kgに仕上がっていた。

 

■ランボルギーニ認定のイオタは9台?

市場の声に応え、ランボルギーニはイオタのレプリカを製作する。写真はミウラSV改Jを意味するミウラP400SVJ
市場の声に応え、ランボルギーニはイオタのレプリカを製作する。写真はミウラSV改Jを意味するミウラP400SVJ

 

改良の域を超えた、まさにミウラのレーシングバージョンのキャラクターを有したJは、完成後にテスト走行を繰り返し、そのポテンシャルを確かめていく。しかし、レース参戦に至ることはなく、1972年にはミウラに連なるシャシーナンバー4683をつけて所有を熱望する顧客に売却された。後にこのモデルは事故により大破。これを回収したランボルギーニは、どうにか使用可能なエンジンなどをミウラに移植し、さらに改造を施すなどして再利用している。

 

一方でJの評判を聞きつけた熱心なファンが、ランボルギーニにミウラのJ化を要望する。これに応えたランボルギーニは、特別仕様のミウラ、いわゆる“レプリカ”版のJを少数製造することにした。

イオタのレプリカはSVJとSVRの2種類。写真はSVJ。70年代のスーパーカーブーム当時、日本に存在したイオタは76年に輸入されたSVRと77年に輸入されたSVJの2台だった
イオタのレプリカはSVJとSVRの2種類。写真はSVJ。70年代のスーパーカーブーム当時、日本に存在したイオタは76年に輸入されたSVRと77年に輸入されたSVJの2台だった

 

現状で明確に認定されているランボルギーニ製作のJ=イオタのレプリカは、9台といわれている(今後の研究および発掘で増える可能性あり)。レプリカの1号車はシャシーナンバー4860。ドイツでランボルギーニのディーラーを営むヘルベルト・ハーネが注文した1台で、呼称にはミウラSV改Jを意味するSVJの名を冠した。また、シャシーナンバー3781はミウラP400をファクトリーに入れてJに仕立て直したもので、このモデルのみSVRを名乗った。

 

ちなみに、スーパーカー・ブームの当時、ショーの舞台や自動車雑誌の誌面などを飾って少年たちの心をときめかせたイオタは、前述のシャシーナンバー3781のSVR(1976年に日本に輸入)、そしてトミタ・オートが1977年に日本に輸入した同4892のSVJだった。

 

【著者プロフィール】

大貫直次郎

1966年型。自動車専門誌や一般誌などの編集記者を経て、クルマ関連を中心としたフリーランスのエディトリアル・ライターに。愛車はポルシェ911カレラ(930)やスバル・サンバー(TT2)のほか、レストア待ちの不動バイク数台。趣味はジャンク屋巡り。著書に光文社刊『クルマでわかる! 日本の現代史』など。クルマの歴史に関しては、アシェット・コレクションズ・ジャパン刊『国産名車コレクション』『日産名車コレクション』『NISSANスカイライン2000GT-R KPGC10』などで執筆。