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2018/6/3 18:15

【中年名車図鑑|初代 日産セフィーロ】「くうねるあそぶ」「お元気ですか~」CMで一世を風靡したハイソカー

“ハイソカー”と呼ぶ上級パーソナルカーが一世を風靡していた1980年代後半の日本。その最中に日産自動車は、スカイラインとローレルに続く第3のミドルサルーンを企画。1988年に「セフィーロ(CEFIRO)」の車名を冠して発売した――。今回はCMで井上陽水さんが発する「お元気ですか~」で一躍有名になったA31型の初代セフィーロで一席。

【Vol.70 初代 日産セフィーロ】

後にバブル景気と呼ばれる好況に沸いていた1980年代後半の日本の自動車市場。その状況下で高い人気を誇っていたのは、ミドルクラスに位置する上級パーソナルサルーン群、いわゆる“ハイソカー”といわれるクルマたちだった。このカテゴリーにスカイラインとローレルを投入していた日産自動車は、さらなるシェア拡大を狙って第3のミドルサルーンを企画する。意識したのは、最大のライバルであるトヨタ自動車のマークⅡ/チェイサー/クレスタの3兄弟。それぞれに固有のキャラクターを持たせてユーザーの熱い支持を集めていたトヨタの戦略に、真っ向から対抗しようとしたのだ。

マークⅡ3兄弟の競合車として誕生した“スタイリッシュ”なハイソカー。基本シャシーはスカイライン/ローレルと共用

 

新しいパーソナルサルーンのキャラクターについては、スカイラインのスポーティ、ローレルのラグジュアリーに対して、“スタイリッシュ”をキーワードに掲げる。エクステリアは「気分のよい時間を演出する美しく優しい“ナチュラルフォルム”」の創出がテーマ。ボディタイプは4ドアセダンに1本化し、そのうえでフロントバンパーからキャビン、リアバンパーに至るまで、豊かで流れの美しい面を個性ある表情でまとめあげた。空気抵抗係数(Cd値)についても、0.32というクラストップレベルの数値を実現する。さらに、ヘッドランプに4灯式プロジェクター、フロントグリルにクリスタル製カバー、ドアハンドルに流線型タイプを採用するなど、各部のアクセントにも大いにこだわった。一方でインテリアに関しては「くつろぎを感じさせる温かみのある室内」をテーマに、ダッシュボードやドアトリムなどを滑らかな曲線基調で構成する。また、前後シートには身体にフィットする一体成形のエルゴノミックシートを装着。スイッチやパッド類についても、人に優しい形状と触感に仕立てた。さらに、開発陣は内装素材の演出にも工夫を凝らし、モール糸を使用した洗練されたイメージの“モダン”、ホームスパン織物を使ったトラッドな“ダンディ”、ベロア調シンカーパイル編物を採用した“エレガント”という3種類の仕様を設定する。装備面では、世界初採用となる自動防眩ドアミラーなどを新たに組み込んだ。

 

走りについては、「走り、曲り、止まる」という基本性能を高次元でバランスさせることを主眼に置く。基本シャシーと駆動レイアウト(フロントエンジン・リアドライブ)は、スカイライン/ローレル系と基本的に共通。搭載エンジンはRB20DET型1998cc直列6気筒DOHC24Vインタークーラー付きセラミックターボ(205ps)を筆頭に、RB20DE型1998cc直列6気筒DOHC24V(155ps)、RB20E型1998cc直列6気筒OHC(125ps)という計3ユニットを用意した。組み合わせるトランスミッションは5速MTとE-AT(4速)の2タイプで、AT仕様には統合制御システムのDUET-EAを備える。サスペンション形式はフロントがマクファーソンストラット式で、リアがマルチリンク式。進化版4輪操舵システムのHICAS-Ⅱやスーパーソニックサスペンション+車速感応式電子制御パワーステアリングのDUET-SSといった先進機構も積極的に盛り込んだ。

 

■多彩な仕様が選べた「セフィーロ・コーディネーション」

エンジン、トランスミッション、サスから内装までさまざまなパーツを自由に選べる「セフィーロ・コーディネーション」を採用。内装素材は3種類、内装色は2種類からセレクト

 

日産の新しい上級パーソナルサルーンは、1988年9月に市場デビューを果たす。型式はA31。車名は“そよ風”“地中海に春をもたらす西風”を意味するスペイン語のCefiroにちなんで「セフィーロ」と名乗った。

 

A31型セフィーロの車種構成は、非常に凝っていた。一人ひとりのテイストにマッチした1台とするために、「セフィーロ・コーディネーション」と呼ぶオーダーメイド感覚のシステムを展開したのだ。ユーザーは3機種のエンジン、2機種のトランスミッション、3タイプのサスペンション(マルチリンク式リアサスペンション/同+DUET-SS/同+HICAS-Ⅱ)、3種類の内装素材、2種類の内装色、9種類の外装色のなかから自由に組み合わせを選択できた。グレード名としては一応、RB20DETエンジン搭載車がクルージング、RB20DEエンジン搭載車がツーリング、RB20Eエンジン搭載車がタウンライドを名乗り、DUET-SS仕様にはコンフォート、HICAS-Ⅱ仕様にはスポーツのサブネームがついたが、グレードを表すエンブレムなどは装備されなかった(室内のコンソールボックス内にのみグレードの表示ステッカーを貼付)。当時の日産スタッフによると「あまりにも選択肢が多く、ユーザーが迷うことが多かったため、スポーツなどの志向に分けた推奨コーディネーションを設定した」そうだ。

 

ちなみに、セフィーロはそのキャラクターを強調する手段として広告展開に力が入れられた。まず、発売のひと月ほど前からティーザーキャンペーンを実施。宗教学者の中沢新一さんや演出家の和田勉さんが「新しい日産を見るまでは、クルマは買えないね」、さらにシンガーソングライターの井上陽水さんが「どうもキーワードは“くうねるあそぶ”らしいですよ」というセリフを発する。市場デビューを果たしてからのメインキャラクターは井上陽水さんが務め、「お元気ですか~」のフレーズが一世を風靡した。

 

■マイナーチェンジで仕様展開を絞り込み

1990年1月に「オーテックバージョン」が加わる。PIAA製アルミホイール、エアロパーツ、本革シート等を装備していた

 

個性的なスタイリングや凝った車種構成、さらに「お元気ですか~」のCMなどで大注目を浴びたA31型セフィーロ。しかし、デビュー当初を除いて販売成績は予想外に伸び悩んだ。社会現象ともなったFPY31型セドリック/グロリア・シーマの人気の影に隠れた、ほぼ同時期に全面改良したX80型系マークⅡ兄弟の販売攻勢にかなわなかった、ボディタイプがハイソカーの定番である4ドアハードトップではなく4ドアセダンだった、セフィーロ・コーディネーションをフルに活用すると納期が長くかかった――要因は色々と指摘された。

 

テコ入れ策として日産のスタッフは、セフィーロの改良や車種設定の見直しを相次いで実施していく。1989年8月には、上級仕様の「エクセーヌ・セレクション」を設定。1990年1月には、子会社のオーテック・ジャパンがカスタマイズした「オーテックバージョン」をラインアップに加える。同年8月になると、力を入れたマイナーチェンジを実施。内外装の意匠変更や電装系のバージョンアップ、アテーサE-TS(4WD)仕様の設定、5速ATの追加などを敢行し、同時に納期のかかるコーディネーションの選択幅を縮小させた。

 

セフィーロの改良は、さらに続く。1991年8月には、安全装備の充実化やSVシリーズの新規設定を実施。1992年5月になると再度のマイナーチェンジが図られ、前後バンパーの大型化等による3ナンバーボディの採用やRB25DE型2498cc直列6気筒DOHC24Vエンジン(180ps)搭載車の設定などが行われる。このころになるとオーダーメイド感覚の路線は影を潜め、固定グレードの設定やグレードエンブレムの装着が施されるようになった。

 

内外装の演出から車種設定、さらに広告展開まで、様々な方策が試みられたセフィーロは、結果的に販売成績が回復しないまま、1994年8月にフルモデルチェンジが行われ、2代目となるA32型に移行する。その第2世代は、同社のマキシマを吸収合併する形のオーソドックスなFF(フロントエンジン・フロントドライブ)上級セダンに変身していた。パイクカーやシーマなどのムーブメントを巻き起こした日産の勢いとバブル景気の波が生み出したパーソナルサルーンの意欲作――。それが自動車史から見た初代セフィーロの真価なのである。

 

【著者プロフィール】

大貫直次郎

1966年型。自動車専門誌や一般誌などの編集記者を経て、クルマ関連を中心としたフリーランスのエディトリアル・ライターに。愛車はポルシェ911カレラ(930)やスバル・サンバー(TT2)のほか、レストア待ちの不動バイク数台。趣味はジャンク屋巡り。著書に光文社刊『クルマでわかる! 日本の現代史』など。クルマの歴史に関しては、アシェット・コレクションズ・ジャパン刊『国産名車コレクション』『日産名車コレクション』『NISSANスカイライン2000GT-R KPGC10』などで執筆

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