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2018/8/5 19:15

【中年名車図鑑|ホンダ・ビート】豊富な開発資金を背景に生まれた斬新な軽スポーツカー

1990年代初頭に相次いで登場した軽自動車のスポーツカーたちは、その頭文字から“平成ABCトリオ”と呼ばれた。Aは1992年10月デビューの「マツダ(オートザム)AZ-1」、Bは1991年5月に発売した「ホンダ・ビート」、Cは1991年10月発表の「スズキ・カプチーノ」を指す。各車が主張するスポーツ性はさまざまで、ボディ形状やエンジンレイアウトなどを含めて非常に個性的だった。今回から3席に分けて、ABCモデルの名車ぶりを紹介していこう。トップバッターは最初にリリースされたホンダ・ビートだ。

【Vol.79 ホンダ・ビート】

1980年代後半は軽自動車の高性能化が一気に加速した時代だった。スズキのアルト・ワークスやダイハツのミラ・ターボTR-XX、三菱自動車のミニカ・ダンガン、富士重工業のスバル・レックス・コンビ・スーパーチャージャーVXなどがハイパフォーマンス軽自動車の№1を目指して凌ぎを削る。ユーザーにとっても安い価格と維持費で速いクルマが購入できるため、このムーブメントは歓迎された。

 

1990年1月に軽自動車の規格が改定されてエンジン排気量が660cc以内、ボディサイズが全長3300×全幅1400×全高2000mm以内になると、各自動車メーカーはこぞって新規格に合わせた軽自動車をリリースする。当時はバブル景気真っ盛りのころ。豊富な開発資金を背景に、まっさらなニューモデルが数多くデビューした。同時に、市場からはより高性能な軽自動車の登場を望む声が一気に高まる。これに応える形で、メーカー側は軽ピュアスポーツの企画を積極的に推し進めた。

 

■ミッドシップレイアウトを採用したホンダの軽スポーツ

軽自動車ながら、2シーターミッドシップオープンという趣味性の高いモデルに仕立てられた。専用設計のミッドシップ用プラットフォームと高剛性のオープンモノコックボディを採用

 

まず先陣を切ったのは、本田技研工業だった。1991年5月、軽自動車初の本格的な2シーターミッドシップオープンスポーツとなる「ビート」(PP1型)を市場に放つ。車名は英語で強いリズム、心臓の鼓動などを意味するBEATに由来。風を切るときめき、走らせる楽しさを響かせるクルマであること表していた。

 

“Midship Amusement”のキャッチを冠したビートは、基本骨格に専用設計のミッドシップ用プラットフォーム(ホイールベース2280mm)と高剛性のオープンモノコックボディを採用する。懸架機構にはフロントにマクファーソンストラット、リアにデュアルリンクストラットをセットし、タイヤには前後異形サイズ(前155/65R13、後165/60R14)を装着。各構成パーツのレイアウトにも工夫を凝らし、重心高は低めの440mm(空車時)、前後重量配分は理想的なバランスの43:57(1名乗車時)を実現した。

ソフトトップは手動開閉タイプ。全長3295×全幅1395×全高1175mm

 

スタイリングは固まり感のあるコンパクトなオープンボディを基本に、ミッドシップエンジンの証しであるサイドの大型エアインテークや手動開閉のソフトトップ、低くワイド感あふれるフロントノーズなどで個性を主張する。ボディサイズは全長3295×全幅1395×全高1175mm、車重は760kgに仕立てた。一方、2シーター構成のインテリアはドライバー中心のキャビンレイアウトで演出。同時に、モーターサイクルを思わせる3眼メーターやゼブラパターン表地のバケットシートなどを装備してスポーティ感を強調した。

 

肝心の動力源については「ハイパワーはもちろん、どこまでもドライバーの気持ちに直結した小気味よいレスポンス」を追求した新開発の“660 MTREC 12VALVE”エンジンをミッドに横置き搭載する。ベースとなったのは、既存のE07A型656cc直列3気筒OHC12V。ここに、ホンダF-1テクノロジーを応用した多連スロットルと2つの燃料噴射制御マップ切り換え方式によるハイレスポンス・エンジンコントロールシステムの“MTREC”(Multi Throttle Responsive Engine Control system)を組み込んだ。

インテリアはドライバー・オリエンテッドに仕上げられている。3眼メーターやゼブラパターン表地のバケットシートが印象的

 

多連スロットルに関しては、各気筒のインテークマニホールドにそれぞれスロットルバルブを設置し、そのうえでスロットル同調をシンプルな機構で正確に行なうために3ボアのバルブ作動を一体式とした3連スロットルボディを採用する。これにより、スロットルボア径をφ36mm×3と大幅に拡大するとともに、インテークマニホールドの直前にエアクリーナー兼用の大容量チャンバーを設けることで各気筒間の吸気干渉を抑え、吸入効率を飛躍的にアップさせた。

 

一方の燃料噴射制御については、アイドリング時のほかに定速時やゆるやかな加減速時、低負荷時に使用する「吸気圧力とエンジン回転数を基準にした燃料噴射制御マップ」と急加速・急減速時や高負荷時に使う「スロットル開度とエンジン回転数を基準にした燃料噴射制御マップ」の2タイプを設定。これをドライブ状況に応じて電子制御でマップを切り換え、パーシャル域から全開までの高精緻な燃料供給とレスポンスの向上を達成した。

 

ほかにも、クラス初の大気圧センサー内蔵ECUの採用や10.0の高圧縮比、ステンレス製トリプルエグゾーストマニホールドおよび大径エグゾーストパイプの装着、ピストン/コンロッド/メタル類の強化、オイルパン容量の拡大などを実施し、エンターテインメント性と信頼性のアップを図る。スペックに関しては最高出力が64ps/8100rpm、最大トルクが6.1kg・m/7000rpmを発生した。

 

■特別仕様車の設定のみでモデル末期まで基本は変えず

斬新なMRレイアウトに自然吸気の高回転型エンジン+5速MT、未来的かつスポーティな内外装に古典的なソフトトップを組み込んだビートは、「いかにもホンダらしい斬新な軽スポーツ」として多くのファンを獲得。発売とともに販売台数を大いに伸ばしていく。これに応える形で、メーカー側はビートの魅力度をより高める特別仕様車を相次いでリリースした。

 

まず1992年2月には、アズテックグリーンパールのボディカラーを纏った「バージョンF」を限定800台で発売。同年5月にはキャプティバブルーパールのボディ色やホワイトアルミホイールを採用した「バージョンC」を限定500台で市場に放つ。そして、1993年9月には専用色のエバーグレイドグリーンメタリックにリアスポイラーやマッドガード、エキパイフィニッシャーなどを装備した「バージョンZ」を設定し、後にこの仕様を標準グレード化した。

1992年2月に登場した限定800台の「バージョンF」

 

1990年代中盤になると、バブル景気の崩壊やレクリエーショナルビークル(RV)の隆盛もあって、ビートの販売は大きく落ち込んでいく。本田技研工業としても手薄なRVの開発に注力する必要があり、結果的にビートは1996年に生産を終了した。しかし、カタログ落ちした後もビートは一部ファンから熱い支持を受け続け、ユーズドカー市場で高い人気を博す。また、2010年5月にツインリンクもてぎで開催されたオーナーミーティングではパレードランに569台のビートが参加し、ホンダの同一車種による世界最大のランとしてギネス記録に認定。2011年11月には傘下のホンダアクセスがビート発売20周年を記念した専用純正アクセサリーを発売する。さらに、2017年8月にはホンダ自身がビートの一部純正パーツの生産再開および再販を発表し、後に再販パーツの展開を拡大。HONDAブランドの記念碑であるビートの長寿命化を下支えしたのである。

 

【著者プロフィール】

大貫直次郎

1966年型。自動車専門誌や一般誌などの編集記者を経て、クルマ関連を中心としたフリーランスのエディトリアル・ライターに。愛車はポルシェ911カレラ(930)やスバル・サンバー(TT2)のほか、レストア待ちの不動バイク数台。趣味はジャンク屋巡り。著書に光文社刊『クルマでわかる! 日本の現代史』など。クルマの歴史に関しては、アシェット・コレクションズ・ジャパン刊『国産名車コレクション』『日産名車コレクション』『NISSANスカイライン2000GT-R KPGC10』などで執筆。

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