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2018/8/18 19:00

【中年名車図鑑|オートザムAZ-1】あまりにマニアック…短命に終わった“軽自動車界のスーパーカー”

1989年に発売したオートザム・キャロルによって軽乗用車市場への復活を果たしたマツダは、その勢いを駆って新しい軽スポーツカーの企画を推し進める。そして、1992年に軽ミッドシップ2シータークーペの「オートザムAZ-1」を市場に放った――。

【Vol.81 オートザムAZ-1】

好景気を背景に車種設定の強化を目論んだ1980年代終盤のマツダは、1975年末から退いていた軽乗用車の本格生産に再び乗り出すための方策を鋭意検討する。最終的に決定した案は、他社との生産協力。当時のマツダにとって、一から軽乗用車を開発するのにはコストや時間などの制約の面で難があったからだ。首脳陣が提携先として選んだのは、直接のライバル関係にはない、つまり国内№3を競う自動車メーカーではないスズキ(当時の社名は鈴木自動車工業)だった。スズキ側にとっても、自社製品の販売量が無理なく増えるというメリットが生まれる。結果的に両社は、1987年12月に軽自動車生産の協力体制を構築する旨を発表した。

 

クルマそのものの供給、すなわちOEM供給については、まず軽商用車のカテゴリーで行われる。スズキ・エブリイ(バン)/キャリイ(トラック)をベースに専用エンブレムなどを装着したスクラムが、1989年6月にマツダのオートザムブランドを通して発売された。以後、スクラムはマツダの定番軽バン/トラックとしての地位を確立していく。また、スズキからは軽乗用車用のコンポーネント、具体的にはF5B型547cc直列3気筒OHCエンジンと駆動機構、2335mmのホイールベースを持つプラットフォームおよびシャシーなどの供給も受け、スズキの浜松工場で生産されたこれらの製品を広島に運び、独自のボディと内装パーツを組み付けて新型キャロル(AA型系)を完成させる。さらに、軽自動車が新規格に移行してからはF6A型657cc直列3気筒OHCやOHCターボなどを購入し、新しいキャロルを生み出した。

 

一方で開発現場では、マツダ製軽自動車のイメージをより向上させる目的で、オリジナルのスポーツモデルの企画を積極的に推し進める。1989年開催の第28回東京モーターショーでは、その具現作となるコンセプトカーの「AZ550 SPORTS」を発表。ガルウイング式ドアを採用したAタイプ、ノッチバッククーペボディのBタイプ、レースマシンのCカーを彷彿させるCタイプの3モデルを披露した。そして、市販化に向けては来場者から好評を博したAタイプの車両デザインをベースとすることに決定。設計統括には、初代ロードスターの主査を務めた平井敏彦氏が就任した。

 

■レースカーのような基本骨格で登場した「AZ-1」

トランスミッションは5速MT。パワー&トルクは64ps/6500rpm、8.7kg・m/4000rpm。44:56という前後重量配分(車両重量は720kg)と相まって俊敏なハンドリングと運動性能を実現

 

マツダ渾身の軽スポーツカーは、「オートザムAZ-1」(PG6SA型)の車名で1992年9月に発表、10月に発売される。ディーラー名のAutozamを略した「AZ」に、同ディーラーの設定車種内での車体の大きさを示す数値の「1」を組み合わせたAZ-1は、まずその基本骨格とデザインで注目を集めた。2シーターのミッドシップレイアウトで構成する基本骨格には、フロアの周囲にフレームを組み付けるペリメーター型をメインに、大断面サイドシルを有するスケルトンモノコックを採用。アウターパネルには軽量で成形自由度の高いFRP材を多用する。高剛性かつ軽量なボディ構造は、外装を取り外した状態でも走行が可能だった。一方、サイドシルが高くなることから、ドア形状には上ヒンジ式のガルウィングタイプを導入。ドアガラスは基本的に固定タイプで、チケットウィンドウと称する開閉式の小窓が組み込まれる。また、コクピット上部はグラスキャノピーで仕立て、ルーフ部には光の透過率を30%に抑えるセラミック処理を施した。ボディサイズは全長3295×全幅1395×全高1150mmに仕立てる。懸架機構にはアルト・ワークス用のフロントサス(ストラット/コイル)を専用チューニングで前後にセット。ホイールベースは2235mmに設定した。

2シーターのミッドシップレイアウトを採用。コクピット上部はグラスキャノピー仕立てで、ルーフ部には光の透過率を30%に抑えるセラミック処理を施した

 

ミッドシップ配置するエンジンは、アルト・ワークスから流用したF6A型657cc直列3気筒DOHC12Vインタークーラーターボで、パワー&トルクは64ps/6500rpm、8.7kg・m/4000rpmを発生する。トランスミッションには5速MTを採用。ラック&ピニオン式のステアリング機構はロック・トゥ・ロック2.2回転とクイックにセットし、44:56という前後重量配分(車両重量は720kg)と相まって俊敏なハンドリングと運動性能を実現していた。

 

少量生産を想定したために組み立てラインを協力会社のクラタ(当初からAZ-1の外板の生産を担当。現在は三浦工業と合併してキーレックスに移行)に設置し、量販を始めたAZ-1は、そのキャラクターから“軽自動車界のスーパーカー”“究極のハンドリングマシン”などと称され、市場から大きな注目を集める。デビュー翌年の1993年の1月からはスズキへのOEM供給も開始し、「キャラ(CARA)」の車名で販売された。

 

■販売はわずか3年強で終了

1994年5月に発売されたM2の限定車1015

 

平成ABCトリオのなかでもとりわけ異彩を放ったAZ-1は、そのマニアックな特性からユーザーは限定され、デビュー当初を除いて販売は低調に推移する。テコ入れ策としてマツダは、1993年1月に充実装備の特別仕様車となるTYPE L、1993年6月にエアロパーツを装備したマツダスピードバージョン、1994年5月にM2が企画した限定車の1015をリリースするが、成績の回復には至らなかった。そのうちにバブル景気の崩壊によるマツダ本体の経営逼迫が深刻化。結果的にAZ-1は車種整理の対象となり、1995年12月に販売を終了したのである。

 

【著者プロフィール】

大貫直次郎

1966年型。自動車専門誌や一般誌などの編集記者を経て、クルマ関連を中心としたフリーランスのエディトリアル・ライターに。愛車はポルシェ911カレラ(930)やスバル・サンバー(TT2)のほか、レストア待ちの不動バイク数台。趣味はジャンク屋巡り。著書に光文社刊『クルマでわかる! 日本の現代史』など。クルマの歴史に関しては、アシェット・コレクションズ・ジャパン刊『国産名車コレクション』『日産名車コレクション』『NISSANスカイライン2000GT-R KPGC10』などで執筆。

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