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2019/1/14 17:30

関東平野の最西部を縦断するJR八高線 — 米軍基地に眺望がすぐれた橋、合流する他社線など見どころ満載

おもしろローカル線の旅27 〜〜JR八高線(東京都・埼玉県・群馬県)〜〜

東京の八王子駅と、群馬県の高崎駅を結ぶ八高線(はちこうせん)。関東平野の西の端をふち取るように走る。路線のほとんどが単線で、のんびりした運行スタイル。首都圏の路線では数少ない非電化区間がありディーゼルカーも走る。

 

車窓は変化に富む。山間部から関東平野へ流れ込む河川を多く渡り、丘陵を上り下り。広々した田畑を見つつ列車が進む。在日米軍基地内を走り、日本人が渡れない踏切も突っ切る。今回は八高線で異色かつ、長閑な旅を満喫したい。

↑荒川を渡るキハ110系気動車。八高線は関東平野を南北に縦断する路線ということもあり、奥多摩、秩父地方を源流とする多摩川、入間川、荒川などの主要河川を多く渡る

 

 

【八高線の路線】名称は八高線だが、実際の区間は倉賀野駅まで

路線の概略をまず見ておこう。

路線区間と距離八王子駅(起点)〜倉賀野駅(終点)、92.0km
軌間・電化1067mm、1500V直流電化(八王子駅〜高麗川駅間と北藤岡駅〜倉賀野駅間)、ほか非電化(高麗川駅〜北藤岡駅間)
路線開業1931(昭和6)年12月10日に八王子駅〜東飯能駅間が開業、1934(昭和9)年10月6日に小川町駅〜寄居駅間が延伸開業、八王子駅〜倉賀野駅間の全線が開業した

 

八高線という路線の名称は、その名からも分かるように、八王子の「八」と高崎の「高」を元にしている。路線の終点は群馬県の倉賀野駅だが、すべての列車がそのまま高崎線を走り、倉賀野駅のひとつ先の高崎駅が発着駅となっている。

 

高麗川駅〜北藤岡駅間は非電化区間でディーゼルカーが走っている。ちなみに八高線は埼玉県内で唯一の非電化路線であり、その北、群馬県内でも非電化路線は八高線以外にわたらせ渓谷鐵道のみしか残されていない。

 

東京からも近い貴重な非電化路線。上空に架線がないということで開放感いっぱい、爽快さが改めて感じられる路線でもある。

【八高線の歴史1】閑散路線だからこそ楽しめたレアな車両たち

今でこそ八高線の沿線の一部では住宅が立ち並ぶ風景も見られるようになっている。しかし、ひと昔前までは、原野がひろがる光景が沿線のあちこちにあった。閑散路線ということで、使われる車両も都心で使われた車両の“お古”が主流だった。

 

そのため鉄道好きにとっては楽しい光景が多々見られた。

 

八高線を走る車両で筆者が記憶に残っているのは蒸気機関車。元々、首都圏のバイパス線として昭和初期に設けられた八高線。戦時下を念頭に起き、都心を通らず、貨物列車が走れるように計画され、長年、貨物輸送に活用された。

 

近年まで貨物輸送に使われていたのがC58形やD51形といった蒸気機関車だった。都心部でも1970年ごろまでは蒸気機関車がわずかに走っていたが、八高線へ行けば確実に出会うことができ、多くの鉄道ファンが訪れた路線でもある。

↑拝島駅の八高線4番線ホームと3番線の青梅線ホームの間に設けられた待避線に停車する高崎第一機関区のC58形309号。同機は1970年9月27日に行われた「さよならSL号」でも記念列車を牽引した。筆者が少年だったころ、始めて撮影した蒸気機関車でもあった

 

上は拝島駅の構内に停まる蒸気機関車。1970(昭和45)年9月27日に八高線で「さよならSL号」が運転されたと記録されているので、写真は1969(昭和44)年ごろだと思われる。都心からも近く八高線は気軽に蒸気機関車の姿を楽しめる“聖地”でもあった。

 

さらに八高線の歴史を車両中心に記しておこう。

1958(昭和33)年11月20日 旅客列車の運行がすべて気動車となる(当初はキハ20系のほか、キハ15形やキハ17形などを利用)
1970(昭和45)年9月27日無煙化が進みSLがさよなら運転される
1993(平成5)年3月18日キハ110系が運転開始(寄居駅〜高崎駅間)
1996(平成8)年3月15日キハ30形・35形、キハ38形の運転が終了
1996(平成8)年3月16日八王子駅〜高麗川駅間が電化され(当初は103系、201系、209系3000番台を利用)、気動車は高麗川駅〜高崎駅間のみの運行となる
2005(平成17)年3月31日JR貨物による貨物輸送が廃止される

 

1996年に一部区間が電化されたことにより、神奈川県に続き東京都が非電化路線のない2番目の都道府県となった(沖縄県を除く)。

 

↑2003年から走り始めた205系3000番台。山手線を走っていた205系の転用改造車で、中間車を先頭車に改造したため205系のオリジナルな姿とは違う正面デザインとなった。15年にわたり八高線の主力車両として活躍したが、2018年7月で運用を終了した

 

 

【八高線の歴史2】太平洋戦争後すぐに起きた悲惨な2つ事故

八高線の歴史を語る上で避けて通れないのが、太平洋戦争後まもなく起きた2つの事故だろう。いずれも今では考えられない鉄道事故であり、太平洋戦争が終わって間もなくという世情が落ち着かないなかで起きた悲劇だった。

 

まずは終戦の日から9日目、1945(昭和20)年8月24日に起きた「八高線列車衝突事故」。朝7時40分ごろ、小宮駅〜拝島駅間に架かる多摩川鉄橋上で上り下り列車が正面衝突したのである。

 

互いの列車は橋から落下、運悪く豪雨の影響で多摩川が増水していたため、濁流の飲み込まれた人が多数いたとされる。犠牲者数ははっきりしなかったが少なくとも105人の方が亡くなった。

 

現在、同鉄橋付近は広い河川敷が多摩川緑地ぐじら運動公園などに整備され、週末ともなると多くの人たちが野球やテニスに興じている。70年前にこの鉄橋の上で事故が起きたことを伝える案内板が堤防上に立つが、ほとんどの人が気付かず通り過ぎていく。“何だろう?”と興味を寄せる人も少ないことが、ちょっと残念に感じられた。

 

↑現在の八高線多摩川鉄橋。同鉄橋の中央部で「八高線列車衝突事故」が起きた。豪雨で視界が利かず上り下り列車が正面衝突した。その後に流れの中から見つかった2つの車輪(だ円写真内)が拝島駅側の堤防に設置され、同事故を伝える案内板も立てられている

 

「八高線列車衝突事故」のわずか2年後。さらに悲惨な事故が起きた。

 

1947(昭和22)年2月25日、東飯能駅〜高麗川駅間で起きた「八高線列車転覆事故」である。八王子駅発の高崎駅行きの列車が、20パーミル(1000mの間に20m下るまたは上る)の急勾配区間、さらに半径250mというカーブを、曲がり切れずに客車4両が脱線、築堤の下に転落した。

 

食料難に見舞われた戦後まもなく。買い出しに向かう人たちで列車は超満員となり、屋根の上までに人が乗る状況だった。定員を大きく上回る乗車人員で、ブレーキが効かずに、また重心が高くなったことも転覆を招いた原因とされた。死者は184名、負傷者は495名という未曾有の大惨事となった。

 

この事故後に脆弱な木造客車の排棄が進み、鋼製客車に順次、変更されていくことになった。太平洋戦争後しばらくは、こうした鉄道事故が相次いだが、事故の教訓がその後の鉄道運行に役立てられていることは言うまでもない。

 

↑「八高線列車脱線転覆事故」があった現場。高麗川駅に向けて、急坂が続く。列車は同地点のカーブを曲がり切れず、築堤から転覆して下の畑に落ちた。現場には事故があったことを伝える碑が立てられている。訪れた日も慰霊の花が手向けられていた

【八高線を走る車両】同路線独自の209系電車も走っている

八高線を走る車両をここで紹介しておこう。高麗川駅(こまがわえき)を境にして八王子駅方面へは電車が、高崎方面へはディーゼルカーが走っている。電車の大半が川越線に乗り入れ、八王子駅〜川越駅間を通して走っている。

 

走る電車は209系とE231系。ディーゼルカーはキハ110系が使われている。主流となる209系だが、八高線独自の車両も走っている。

 

◆209系3100番台

↑209系の3100番台はJR東日本では八高線のみに走る209系のユニーク車両。埼京線にも乗り入れる東京臨海高速鉄道(りんかい線)の70-000形で余剰となった車両が改造され使われている。白フチの頭の部分にりんかい線70-000形の面影が残る

 

◆E231系3000番台

↑老朽化しつつあった205系と209系の置き換え用に2018年から走り始めたE231系3000番台。中央・総武緩行線の転用・改造車が使われる。転用したばかりであることを物語るように形式と車両番号の下に、前の車両番号がうっすらと残っている(だ円写真内)

 

八高線の電車は他の路線で使われてきた電車が多数を占める。現在は、209系3500番台や、E231系3000番台のように、中央・総武緩行線を転用・改造した車両が多い。ほか早朝と深夜のみ、拝島駅〜高麗川駅間に中央線のE233系が乗り入れている。

 

 

【八高線の沿線模様1】さて拝島駅の構内を横切る引込線は?

八高線は筆者の出身地の近くを走ることもあり、少年のころからたびたび訪れていた。そのため本人としては良く知っている路線のつもりでいた。しかし、本稿をまとめるにあたり、再訪してみると、知らないことが多かったことに気付かされた。八高線は、意外に奥深さを秘めた路線でもあった。

 

起点の八王子駅から八高線の旅を楽しもう。

 

乗車した車両はE231系3000番台。八高線では新顔の車両だ。同車両には八高線へ転用するにあたりドア横に開け閉めのボタンが新設されている。中央・総武緩行線を走っていた当時にはなかった設備だ。

 

八高線は乗ってみると分かるのだが、単線区間が多いため、各駅での上り下り電車の待合せが多くなる。5分程度の待ち時間は当たり前で、寒い冬や暑い夏には、開け閉めボタンが、それこそ“必須アイテム”というわけだ。

↑八王子1番ホームに停まる八高線の4両編成電車。向かい側の2番線は中央線の上りホームとなっている。八王子発の電車は、その多くが川越行き。八高線から川越線へ直接乗り入れて走る

 

↑八王子駅を発車した電車は、間もなく浅川を渡る。ハイキングコースとして人気がある陣馬山などを源にして東に流れる浅川。この先、日野市で多摩川と合流する。同橋梁はガーダー橋で、さらに架線柱などの障害物が片側のみのため撮影地としても人気がある

 

八王子駅を発車した電車は、間もなく浅川を渡る。そして次の北八王子駅に到着する。平日の朝には、この駅で乗車していたほぼ半分の人たちが下車してしまう。駅近くに北八王子工業団地があり、大手企業の研究所などがある。この工業団地に通う人たちが多いためだと思われる。

 

次の小宮駅を過ぎて間もなく多摩川を渡る。河川敷が広々とした多摩川、橋の上からは奥多摩の山々、そして富士山が見通せる。

 

JR青梅線との立体交差ポイントを通ると拝島駅(はいじまえき)の駅舎が見えてくる。この拝島駅、北口を降りるとすぐ目の前に引込線が北東へ延びている。さてこの線路は何だろう?

 

↑拝島駅の八高線5番ホームのみに「昇降式ホーム柵」と呼ばれるホームドアが設けられている。ドア位置が車両ごとに異なっても柔軟に対応できるタイプで試験的に使われる。ドア開閉時には黄色い棒が、がーとばかりに高く持ち上がり、乗降が可能となる

 

↑拝島駅の北口を通る米軍横田基地線。八高線、西武拝島線の線路を横切り、米軍の横田基地内まで延びている。DE10形ディーゼル機関車がタンク貨車を牽引、同線路を走る。拝島駅前には玉川上水が流れていて、写真のように鉄橋が設けられている

 

この路線は「米軍横田基地線」と呼ばれる。拝島駅構内で、八高線と西武拝島線の線路をまたぎ、横田基地へ向け線路が延びている。東京都福生市と羽村市、瑞穂町に広がる横田飛行場に向けてジェット機の燃料輸送を行うための路線だ。

 

拝島駅へはJR鶴見線の安善駅(あんぜんえき)から南武線、武蔵野線、青梅線を経由して運ばれる。このジェット機燃料輸送貨物列車は、鉄道ファンから通称「米タン(べいたん)」の名で親しまれている。この輸送に使われる引込線だった。主に火曜、木曜に行われている輸送だが、臨時列車で、同曜日に確実に走るわけではない。なかなか見ることができないレアな列車となっている。

【八高線の沿線模様2】緊張感ただよう基地、トンネルの跡を通る

拝島駅の次の駅、東福生駅と箱根ヶ崎駅間は、八高線の中で車窓が最も気になる区間だ。

 

東福生駅を過ぎるとすぐにフェンスに覆われた異質の空間が広がる。在日米軍の横田基地だ。2012年から航空自衛隊の司令部も置かれているが、所有は在日米軍のまま。フェンスの中は、日本でありながら、日本人が入ることができない異国なのだ。

 

↑東福生駅のすぐ北側から在日米軍が管理する横田基地となる。写る線路の左側はすでに基地内、右側も数100m先から基地となる。電車はスピードを落とさず通り抜けるため、基地内をのんびり眺めるというわけにはいかない

 

このアメリカの基地内を八高線は通過している。右側も左側も基地だ。こうした米軍の基地内を通る路線は日本国内ではここだけ。非常に珍しい。さらに基地内には1か所、八高線を渡る踏切が設けられている。

 

「連合軍第3踏切」がその踏切の名前。何とも仰々しい名の踏切だが、この踏切は米軍関係者しか通ることができない。日本人は日本にありながら渡れないという不思議な踏切だ。八高線と平行して通り、八高線と同じく基地を横切る国道16号の基地の入口からも遠くに見える。ただしカメラを基地内に向けようものなら大変なことに。ゲートからすぐに係が飛び出し「撮らないでください」ときつく言われる。

 

横田基地は常にそんなピリピリしたムードが漂う異質の空間でもある。

 

↑東福生駅〜箱根ケ崎駅間にある旧横田トンネル。壁が線路の両側にそそり立つ。滑走路の延長線上に設けられた施設で、電化される前までは天井が取り付けられていた。箱根ケ崎駅側の出口には横田トンネルという表示も残っている(写真左側)

 

横田飛行場を右手に眺めつつ走る八高線。その先にコンクリートの壁が100mほど続く場所がある。横田トンネルと呼ばれるトンネルがあったところ。滑走路の先にあり、滑走路の延長工事に備え、また上空を飛ぶ飛行機が夜間飛行する際に列車の光が邪魔にならないようにトンネルが設けられた。

 

非電化の時代にはトンネルだったものの、同区間の電化工事するにあたって天井が低く、架線工事に支障があったことから、天井部分のみ取り外された。ちなみに、八高線は丘陵を多く走っているが、珍しいことに全線にわたりトンネルはない。この横田トンネルは、かつて八高線唯一のトンネルだった。

 

 

【八高線の沿線模様3】埼玉県に入り茶所の狭山丘陵を走る

箱根ヶ崎が東京都最後の駅で、この先は埼玉県へ入る。圏央道の越えると左右に畑地が広がる。茶畑も多い。狭山丘陵の西端にあたるこの地域は、狭山茶の産地としても名高い。

 

埼玉県の最初の駅、金子駅に近づく手前に八高線の最高所がある。最高所といっても標高158m。関東平野をひたすら走る八高線ならではの特徴でもある。最高所は低いものの、金子駅〜東飯能駅間に広がる加治丘陵(かじきゅうりょう)、東飯能駅〜高麗川駅間にある鹿山峠など勾配20パーミルのアップダウンがあり、風景の変化が楽しめることも、八高線の魅力となっている。

↑金子駅近くの八高線最高所付近を走る209系3000番台電車。付近は畑地や茶畑が広がっている。このあたりは狭山茶の産地としても名高い

 

↑河岸段丘のような形状となった加治丘陵の北側に入間川が流れる。高い位置に橋が架けられることもあり、橋の上から見る眺望が素晴らしい。この先(左側)で西武池袋線をまたぎ東飯能駅へ電車は走る

 

途中、東飯能駅で西武秩父線と合流し、その一つ先の高麗川駅で川越線と分岐する。八王子駅〜高麗川駅間の列車はほぼ30分間隔で運転。高麗川駅から先は朝夕をのぞき1時間〜1時間30分間隔と列車は大幅に減る。事前に時間を確認した方が賢明だ。連絡が良い電車を選べば高麗川駅での乗継ぎもたやすい。

 

ただし、八王子方面からの列車は大概が3番線ホームに到着。八高線の高崎方面行きは2番線ホームで、跨線橋、もしくは連絡地下道を使っての移動が必要となる。

 

↑八高線と川越線の分岐駅、高麗川駅。川越駅行きの電車は右側の3番線から、八王子駅行きの電車は左ホームの1番線から発車することが多い。一方、八高線の高崎駅行き列車は2番線から発車する。手前の川越行き電車は八高線の線路を平面交差して川越線へ入る

【八高線の沿線模様4】東武のリバイバル塗装車と出会える駅は?

八高線の1日あたりの平均通過人員を見ると、八王子〜高麗川間は2万555人(2015年調査・以下同)、高麗川〜倉賀野間は3010人とぐっと乗客が減る。高麗川駅から以北は4両から2両と編成が少なくなるが、それでも車内は空き気味になる。

 

反面、沿線の風景が鄙びて楽しい区間だ。美しい自然とともに、鉄道好きにとっても楽しみがある。他社線と連絡している駅が多いことだ。他社のホームに果たしてどのような電車が停車しているか、楽しみな区間でもある。

 

↑高麗川駅の北側、八高線と川越線が分岐するちょうど間からかつて引込線が設けられていた。太平洋セメント埼玉工場へ延びる引込線で、現在、旧路線跡は遊歩道「ポッポ道」として整備される。駅から近い元踏切には警報器がそのまま残されていた

 

他社線と接続駅を順にあげると東武鉄道越生線との接続する越生駅。さらに東武東上線の接続する小川町駅がある。

 

東武東上線とは、その先の寄居駅でも接続する。この寄居駅は秩父鉄道とも接続している。八高線は他社線と駅で接続する以外に、一部路線が他社線と平行して走る区間があり、こうした箇所での他社の電車とのすれ違いも楽しめる。

 

↑越生駅に停車する東武8000系電車。東武越生線や、東武東上線の小川町駅〜寄居駅間は8000系のみが走る線区。写真のツートンカラー復元塗装車や、セイジクリーム、フライング東上といったリバイバル塗装車が走り八高線からもこれらの電車の姿が確認できる

 

【八高線の沿線模様5】明覚駅そば清流が魅力のときがわ水辺の道

もし高麗川駅から先で、どこかで途中下車したい時には、明覚駅(みょうかくえき)をお勧めしたい。駅があるのは埼玉県ときがわ町。東武の路線がそれぞれ接続する越生駅と、小川町駅のちょうど中間にある駅だ。こうした所に、長閑な“いなかの風景”が残ることに驚かされた。

 

駅舎はログハウスふうで、駅舎内には蒸気機関車が運行されていたころの写真が展示されている。「関東の駅百選」の第1回選定駅で、「地元産の丸太で造り、周辺の山とマッチしたカナダ風ログハウスの駅」が選定された理由にあげられている。

 

↑八高線の明覚駅の北側で都幾川を越える。水辺は「ときがわ水辺の道」として整備されている。訪れた日は好天に恵まれ、見上げるキハ110系がきれいに写り込めた

 

さらに駅からほんの500mという場所に都幾川(ときがわ)が流れる。都幾川は荒川の支流でもあり、八高線もこの川をガーダー橋で渡る。この都幾川、本当にきれいに澄み切る。首都圏に、これほどまで清流があることに驚かされた。八高線の下には小さな堰が設けられる。この堰のそばにカヌー店があり、レンタルカヌーを借りて、水辺で遊ぶことができる。

 

都幾川沿いには「ときがわ水辺の道」が整備されている。水辺で憩いのひと時を過ごすのも良いだろう。一つ難点を上げるとしたら、水辺の道沿いの家で飼う犬たちが人の姿を見ると吠えること。もちろんリード付きで安心なのだが、突然に吠えられた時はちょっとびっくりさせられた。訪れる時は番犬たちに多少吠えられることは覚悟して出向いた方がよさそうだ。

 

 

【八高線の沿線模様6】高崎線が目の前を走る北藤岡駅の不思議

寄居駅から先は急に視界はひらけ、路線の左右に田園風景が広がる。

 

旧児玉町(現本庄市)の中心部に近い児玉駅、その次の丹荘駅(たんしょうえき)に停車、神流川(かんながわ)を越えると列車は埼玉県から群馬県へ入る。

 

↑埼玉県と群馬県の県境には神流川が流れる。河川敷に樹林がこんもり茂り、それが帯状に延びているのが神流川の特徴。八高線の車窓からは遠く赤城山を望むことができた

 

群馬県に入ると沿線に藤岡市の市街が広がる。この藤岡市の中心駅が群馬藤岡駅だ。この駅からは乗車する人ががぜん増える。ローカル線の趣は薄れ、高崎市の近郊路線という印象が強まる。

 

さらに高崎線に合流する手前に北藤岡駅がある。この駅は藤岡市内にあり、高麗川駅〜倉賀野駅間の駅の中では、それなりの乗降客がある。列車の本数が多い高崎線がすぐ横を通るため、北藤岡駅の高崎線用ホームを設置できないか、地元では何度も請願してきた。だが、新駅誕生までにはいたっていない。北側に国道17号も走り、また住宅も多い地区だけに、高崎線側にも駅ホームを造れば、一定の利用客は見込めるだろうと思うのだが、ちょっと残念に感じた。

 

↑八高線の北藤岡駅(写真左)。高崎線の列車が目の前を通り過ぎる。駅周辺は住宅街で乗降客も八高線の駅では多いほうだ。高崎線の倉賀野駅〜新駅間は6.1kmと駅間が長いこともあり、地元では駅の新設を求める声が多いのだが残念ながら実現していない

 

北藤岡駅の北側ですぐに高崎線に乗り入れる。さらに八高線の列車は高崎線の路線を3.6kmほど走り路線の終点、倉賀野駅へ滑り込む。ただ倉賀野駅で終着となる列車は1本もなく、次の高崎駅が、八高線の列車の終着駅となっている。

 

高崎駅の2・4番線ホームの南端に設けられた3番線ホームが八高線の列車が到着した。列車の始発駅・高麗川駅から1時間半。さらに八王子駅からを加えると約2時間ちょっと(乗継ぎ時間を除く)で到着した。2時間の乗車時間ではあったが、中身が濃いローカル線の旅が堪能できた。

 

↑八高線の終点駅、倉賀野駅から日本オイルターミナルの高崎営業所に向けて引込線が延び、石油輸送が行われている。倉賀野駅からは1945年まで岩鼻軽便鉄道という鉄道線が走っていた。その廃線跡が引込線として今も利用されている