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2019/2/17 18:00

【中年名車図鑑|初代いすゞ・ジェミニZZ】80年代、スポーツモデル好きの心に刻まれた伝説の駿馬

“世界の巨人”と称される米国GMとの全面提携を結んだいすゞ自動車は、GMのワールドカー構想の“Tカー”に沿った小型乗用車のジェミニを1974年に発売する。一方、開発現場ではいすゞオリジナルの高性能版ジェミニの企画を推し進め、1979年には「ZZ」シリーズを市場に放った――。今回はいすゞ開発陣の意地と情熱が生んだ駿馬、初代“ダブルジー”の話題で一席

【Vol.103 初代いすゞ・ジェミニZZ】

1970年11月、いすゞ自動車は自社に関する重大な方策を公表する。アメリカのゼネラル・モーターズ(GM)と全面的に業務提携に入ることをアナウンスしたのだ。当時はアメリカから日本の自動車メーカーに対する資本参加の自由化が求められていた。会社の資本を強化したい日本の中堅メーカーは、この要求を好機と捉えて鋭意提携交渉に乗り出す。1969年5月には三菱重工業の自動車部門とクライスラーが、1979年11月にはマツダとフォードが資本提携を締結。いすゞとGMの提携が合意に達し、基本協定書に調印したのは、1971年7月のことだった。

 

■GMとの提携と共同開発車の企画

かつて日本自動車メーカーの御三家といわれたいすゞが資本提携をするまでに窮地に立たされたのには、それなりの理由がある。会社の体制やメインバンクの方針なども要因だが、クルマ本体にも問題があった。当時のスタッフによると「トラックはよかったが、乗用車に関してはヨーロッパに向きすぎていた感がある」という。1950~60年代の日本はアメリカに対する憧れが強く、クルマという商品もその流れのなかにあった。これをくみ取ったトヨタや日産は、アメリカ車を規範にしたモデルを次々と開発する。一方、いすゞは欧州車に範をとった。玄人受けは絶大だが、販売台数は大きく伸びない。さらに、大衆向けの1Lクラス車の開発にも消極的だった。結局こうしたファクターが重なり、いすゞの衰退を招いたわけだ。

 

いすゞとGMの提携は、具体的な形となって日本の自動車市場で披露される。1974年10月、共同開発車となる「ベレット・ジェミニ」(PF型。1975年4月には「ジェミニ」の単独ネームに変更)が市場デビューを果たしたのだ(発売は同年11月)。ボディタイプは4ドアセダンと2ドアクーペの2タイプ。エンジンはクロスフロー化した改良版のG161型1584cc直列4気筒OHCユニット(100ps)が搭載される。駆動レイアウトはオーソドックスなFR(フロントエンジン・リアドライブ)で仕立てていた。ちなみに、ジェミニの兄弟車はGMグループ内の“Tカー”戦略として拡大展開され、西ドイツでは「オペル・カデット(カデットC)」、アメリカでは「シボレー・シェベット」や「ポンティアックT1000」、カナダでは「シボレー・シェベット」や「ポンティアック・アカディアン」、オーストラリアではジェミニの輸出仕様となる「GMホールデン・ジェミニ」、英国では「ヴォクスホール・シェベット」、ブラジルでは「シボレー・シェベット」、アルゼンチンでは「オペルK-180」、コロンビアやエクアドルでは「シボレー・サンレモ」、ニュージーランドでは「ヴォクスホール・シェベット」などのネーミングでリリースした。

 

■いすゞ独自の高性能版ジェミニの登場

良くも悪くもGMの戦略が色濃く反映されたPF型系ジェミニ。一方でいすゞ社内では、危惧を抱くスタッフも多かった。このままでは、せっかく築いてきたいすゞの独自性が失われてしまう……。当時のいすゞの現場では、117クーペやベレットGTといった名スポーツモデルを創出した技術者が、そしてベレGなどに憧れて入社した若者が、一堂に会していた。ベレGのようなスパルタンな純スポーツモデルを、もう1度自分たちの手で生み出そう――。意を決した開発陣は、ジェミニにオリジナルの高性能版を設定することを画策した。

 

搭載エンジンに関しては、117クーペに採用していたG180型系1817cc直列4気筒DOHCをベースに、各部のファインチューニングを行う方針を打ち出す。出力特性に関しては、全域での厚くフラットな過渡トルク、さらに高回転域でのパンチ力を有する旨を決定。そのために開発陣は、エンジンの軽量化やクロスフロー方式の見直し、専用セッティングのECGI(電子制御燃料噴射装置)の装着などを行い、フレキシブルで力強いエンジン気質を獲得した。パワー&トルクは130ps/6400rpm、16.5kg・m/5000rpmを発生する。また、開発陣はエンジンの見た目の雰囲気も重視し、ヘッドカバーには専用の青塗装と“DOHC”“ISUZU”のロゴを施した。組み合わせるトランスミッションにはクロスレシオの5速MTを用意。クラッチディスクには大口径Φ215mmタイプを装備する。リミテッドスリップデフやオイルクーラーといったスポーツ走行に欠かせないアイテムも豊富に設定した。

シャシーについては、前ダブルウィッシュボーン/後トルクチューブ付3リンクのサスペンションの強化や175/70R13タイヤ(最強バージョンはADVANの175/70HR13)の装着などを敢行。ブレーキには前後ディスクを採用する。ボディタイプは4ドアセダンと2ドアクーペの2タイプを用意し、サイズは全長4235×全幅1570×全高1340(クーペ)~1365(セダン)mm/ホイールベース2405mmに設定。装備面では、ハイバックシートや補助メーター(油圧/時計/電圧)、専用ロゴ入り3本スポークステアリング、アウトレットグリル(ボンネット左右)などを盛り込んだ。

 

専用チューニングのG180型系“ブルーヘッド”エンジンを搭載したPF60型ジェミニは、「ZZ」のグレード名を付けて1979年10月に発表、11月に発売される。キャッチフレーズは“DOHCクライマックス”。グレード展開はセダンとクーペともに、上級仕様のZZ/Tと快適装備を省いて軽量化したZZ/Rをラインアップした。

DOHCらしからぬ低中速域の扱いやすさに高回転域でのパワフルさ、ハードな足回りとFRレイアウトならではの高い運動性能、さらに2系統のギアレシオ(標準のスプリントレシオと注文装備のGTレシオ)などを配したZZのパフォーマンスは、たちまち走り好きを虜にする。また、全日本ラリー選手権でも大活躍し、1980年には金子繁夫選手が、1981年には山内伸弥選手が、ジェミニZZを駆ってシリーズチャンピオンに輝いた。

■着実な改良で完成度と魅力度をアップ

自動車雑誌では「ベレGの再来」「スパルタンないすゞ車の復活」などと謳われ、独自の存在感を放ったジェミニZZは、いすゞ車の定跡通り、デビュー後も着実な改良を実施してポテンシャルを高めていく。

 

まず1980年3月には、ZZシリーズの最上級グレードとなるZZ/Lを追加。専用アレンジのツートンボディカラーにシート表地、赤のピンストライプなどを配して個性を主張する。1981年10月にはマイナーチェンジを図り、異形角型ハロゲンヘッドランプの採用や内装デザインの変更などを行う。また、キャッチフレーズには“DOHCロマン”を謳った。さらに、1982年10月と1983年10月にも一部仕様変更を敢行。そして、1985年3月になるとZZ/Rのマイナーチェンジを行い、ピストンやピストンピン、コンロッドなどの工程精度をより高めたG180型系ユニットを採用する。ヘッドカバーにブラック塗装を施した通称“ブラックヘッド”エンジンは、熟練者の手によって徹底管理されたうえで組み上げられ、デビュー時には“ソウルフルDOHC”というキャッチが冠せられた。ほかにもトランスミッションのセッティングの見直しやポリカーボネート樹脂製軽量バンパーおよびエアダムフロントパネルの設定、本革巻きステアリングの装着なども実施された。

ブラックヘッドエンジンのZZ/Rが登場してから2カ月ほどが経過した1985年5月、駆動レイアウトをFFに切り替えた第2世代のFFジェミニ(JT150型)が登場する。ただし、FFジェミニがボディサイズやエンジン排気量をダウンサイジングし、スポーツモデルも未設定だった(FFジェミニのスポーツモデルである「イルムシャー」は1986年5月に発表)ことからPF型系のセダンモデル、さらにはZZ/Rも併売され、マニアックな人気を博し続けた。そして、1987年2月にはついに生産を終了し、以後は在庫分のみの販売となる。いすゞ開発陣の意地と誇りが凝縮された初代ジェミニのZZシリーズ。その姿はいすゞ・ファン、ひいては80年代のスポーツモデル好きの心に深く刻まれたのである。

 

【著者プロフィール】

大貫直次郎

1966年型。自動車専門誌や一般誌などの編集記者を経て、クルマ関連を中心としたフリーランスのエディトリアル・ライターに。愛車はポルシェ911カレラ(930)やスバル・サンバー(TT2)のほか、レストア待ちの不動バイク数台。趣味はジャンク屋巡り。著書に光文社刊『クルマでわかる! 日本の現代史』など。クルマの歴史に関しては、アシェット・コレクションズ・ジャパン刊『国産名車コレクション』『日産名車コレクション』『NISSANスカイライン2000GT-R KPGC10』などで執筆。

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