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2019/2/23 17:00

【保存版】2019年春に消える夕張支線の旅は、まさにびっくりの連続だった

おもしろローカル線の旅31 〜〜石勝線夕張支線(北海道)〜〜

雪が静かに舞い降りる北海道・夕張駅。19時20分、この日の最終列車が駅に到着した。降りる人は鉄道ファン数人以外にいなかった。

 

この3月いっぱいで廃線となる石勝線(せきしょうせん)の夕張支線。どうしてこの路線が、廃線となるのだろうか? その現実を地元の人たちはどのように受け止めているのだろうか?

 

こうした疑問への答えを探そうと、2月の厳寒のなか夕張を訪れた。

 

*本原稿は2月17日・18日に取材撮影を行っていますが、21日に起きた地震の影響で石勝線および夕張支線の運転に今後、支障が出るおそれがあります。ご確認の上、お出かけください。

 

【夕張支線の歴史】まず採炭地として輝いた歴史を振り返る

夕張支線が走る夕張市と言えば、多くの方がご存知のように、古くは石炭を産出する町として栄えた。まずは夕張支線の歴史を簡単に触れておこう。

↑19時20分、雪が舞うなか夕張駅のホームに下り最終列車が到着した。夕張支線はJR北海道のキハ40系が1両で走る。ちなみに3月16日から3月31日までは増便、車両編成も増やし、“路線最後の日”を迎える予定だ(詳細後述)

 

路線と距離夕張支線・新夕張駅〜夕張駅間16.1km
開業1892(明治25)年11月1日 北海道炭磺鉄道の室蘭線支線として、追分駅〜夕張駅間を開業
駅数6駅(起終点を含む)

 

現在、夕張支線は南千歳駅と新得駅を結ぶ石勝線の一部となっている。しかし、開業当初は新夕張駅(開業時は紅葉山駅)から新得方面への線路はなく、現在の室蘭本線の追分駅と夕張駅を直接に結ぶ路線として設けられた。

 

その後の1906年(明治39)年に国有化された。1981(昭和56)年に新夕張駅と根室本線の新得駅間を結ぶ石勝線が開業、それとともに新夕張駅〜夕張駅間は夕張支線と改称された。1987(昭和62)年には国鉄の分割民営化に伴い路線はJR北海道へ継承された。

 

地図には現在の石勝線夕張支線と、かつて夕張を走っていた鉄道路線を入れてみた。最盛期には夕張支線以外にも下記の路線が夕張を走っていた。

 

北海道炭磺汽船夕張鉄道線1908(明治41)年開業 → 1975(昭和50)年廃止
三菱石炭鉱業大夕張鉄道線1911(明治44)年開業 → 1987(昭和62)年廃止
北海道炭磺汽船真谷地(まやち)炭磺専用鉄道1913(大正2)年開業 → 1987(昭和62)年廃止

 

北海道炭磺汽船夕張鉄道線は、夕張鉄道の名で親しまれた。現在も夕張鉄道株式会社の社名は残り、夕鉄バスの名で夕張市内などのバスの運行を続けている。

 

夕張鉄道や大夕張鉄道線には、貨物列車だけでなく客車列車も走っていた。いずれの路線も昭和期に廃止されている。夕張支線のみが最後の鉄道路線として残されていたわけだ。

 

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