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2019/5/11 18:15

【中年名車図鑑|スバル・ヴィヴィオ】オープンカーからレトロモデルまで。軽の可能性を広げた“ドライバーズ・ミニセダン”

小型乗用車の分野でレオーネからレガシィへのモデルチェンジを実施し、大成功を収めた富士重工業は、軽自動車のカテゴリーでも同様の手法を取り入れる方針を打ち出す――。今回は従来のレックスの後継を担い、“ドライバーズ・ミニセダン”を標榜して1992年に登場した「ヴィヴィオ」の話題で一席。

【Vol.109 スバル・ヴィヴィオ】

海外市場への進出の遅れや国内販売の低迷など、バブル景気の最中にもかかわらず経営状況が逼迫していた1980年代終盤の富士重工業(現SUBARU)。しかし、旧来のレオーネから上級移行した新世代乗用車のレガシィが市場で高い人気を集め、またレガシィのワンクラス下に位置する小型車(後のインプレッサ)の開発が順調に進むなど、一筋の光明が見えかかっていた。そして、富士重工業のスタッフは「経営再建を成し遂げるには、軽自動車のカテゴリーでも刷新が必要」と判断し、既存のレックスを大胆にモデルチェンジする案を打ち出した。

 

■新しい路線の軽自動車を企画創出

新路線の軽自動車を企画するに当たり、開発陣は既存の軽自動車にはなかった“質の高さ”を重視する旨を決定する。シャシーには前後ストラット/コイルの4輪独立懸架を採用。ホイールベースは従来比で15mmほど延長(2310mm)し、新規格の軽自動車枠のなかで目一杯のフロアスペースを確保する。スタイリングにも工夫を凝らし、曲線を生かした張りのある面構成で外装を構築した。また、ボディの材質や組み付け工程も見直し、従来以上の高い剛性と耐久性を確保する。一方で室内に関しては、税制の改定などで商用仕様(軽ボンネットバン)の隆盛が去り、荷室スペースの制約を受けずに済んだことから、前席(とくにドライバーズエリア)を中心に各部をアレンジ。さらに、樹脂材の質感向上やインパネおよびドアトリムのデザイン刷新を図り、小型車に匹敵する居住空間を演出した。

パワートレインについては、乗用モデルの全車に電子制御マルチポイント燃料噴射(EMPi)を組み込んだ直列4気筒の“クローバー4”EN07型系エンジン(排気量658cc)を採用する。スポーツモデルのMT仕様には、4バルブDOHCのヘッド機構とインタークーラー付スーパーチャージャーを備えた高性能ユニット(64ps/9.0kg・m)を設定。また、ECVT仕様にはOHCヘッド+インタークーラー付スーパーチャージャーユニット(64ps/8.6kg・m)を搭載した。自然吸気版はOHCのヘッド機構のみで、MT仕様が52ps/5.5kg・m、ECVT仕様が48ps/5.6kg・mのパワー&トルクを発生する。一方、商用モデルには可変ベンチュリーキャブレターを装着するOHCヘッドのEN07エンジン(42ps/5.3kg・m)を採用した。組み合わせるトランスミッションには、5速MTと熟成を図ったECVTをラインアップ。駆動機構に関しては、FF/ビスカス式フルタイム4WD/パートタイム4WDの3タイプを設定した。

 

■キャッチフレーズは“シンプル・リッチ”

富士重工業の新世代軽自動車は、1992年3月に「ヴィヴィオ(VIVIO)」の車名を冠して市場に送り出される。車種構成は乗用モデルの3ドア/5ドアセダン(KK型系)と商用仕様の3ドアバン(KW型系)が基本。メイン車種はセダンで、DOHC+SCエンジンを積むスポーツグレードのRX-Rを筆頭に、豊富なバリエーションを展開した。ちなみに、車名のVIVIOは“鮮やかな”を意味する英語のVIVIDに由来するほか、エンジン排気量の660ccをローマ数字に見立てた“ⅥⅥ0”も表現したといわれている。

ヴィヴィオは“シンプル・リッチ”のキャッチフレーズが示すとおり、質感の高い軽自動車として市場での大きな注目を集める。また、CHAGE&ASKAが挿入歌を担当する広告映像でも好評を博した。受注台数も大いに伸び、1992年度の軽乗用車販売台数は前年比で約14%の大幅アップを記録する。この勢いを維持し、軽自動車市場でのシェアをさらに高めようと、開発陣はヴィヴィオの魅力度をいっそう引き上げる戦略を相次いで敢行。そのなかでとくに話題を集めたのが、スペシャルモデルの設定だった。

 

まず1993年2月には、競技専用モデルの「RX-RA」をリリースする。車両重量の軽量化と各部の補強、さらに足回りやギア比の専用セッティングなどが実施されたRX-RAは、全日本ラリーのAクラスなどで大活躍した。同年5月なると、富士重工業40周年記念限定車(3000台)として「T-top」(KY3型)を発表する。センターピラーを残したユニークなスタイルのコンバーチブル車は、“軽自動車で4人が乗れるオープンカー”として大きな注目を集めた。また翌94年2月には、スーパーチャージャー付OHCエンジンを搭載したT-top仕様の「GX-T」が1000台限定で登場する。それまでホンダ・ビートやスズキ・カプチーノといった2シーターの軽オープンスポーツは存在したものの、4シーターの速い軽オープンカーは初の試みで、これまたマニアックな人気を獲得した。

ヴィヴィオのスペシャルモデルの追加は、さらに続く。1995年11月には、その後の“レトロ調”ブームの礎を築いた「ビストロ」を発売する。同社のサンバー・ディアス・クラシック(1993年10月デビュー)と同様、メッキタイプのグリルやバンパー、丸型2灯式ヘッドライト、専用内装地などを装備した個性的な1台は、やがてヴィヴィオ・シリーズの主力車種に成長していった。

 

スペシャルモデルを積極的にリリースする一方、開発陣はヴィヴィオ本体の改良も鋭意行っていく。市場デビューから1年ごと(月は9~10月)、計4回に渡ってマイナーチェンジを繰り返し、完成度のアップと新鮮味の維持を敢行。1995年6月以降は、「M300」(富士重工業の軽自動車販売300万台達成記念として登場)と呼ぶ上級シリーズも設定した。

 

1990年代前半から中盤にかけて、スバル車のボトムラインを支え続けたヴィヴィオ。しかし、スズキからワゴンRが発売されて軽自動車市場の主力が“ハイトワゴン”パッケージに移行すると、ヴィヴィオの販売成績にも陰りが見えるようになった。結果的に富士重工業は、1998年秋にヴィヴィオの生産を中止。2代目は設定せず、同社の軽乗用車のメインは“新コンパクトワゴン”を標榜する「プレオ」(1998年10月デビュー)に移すこととなったのである。

 

■軽自動車で初めてサファリ・ラリーを完走

ところで、ヴィヴィオといえばモータースポーツでの活躍も欠かせないところだろう。デビュー年となる1992年から早速、全日本ラリーに参戦。初出場でクラス優勝を飾るなど、見事な戦績を残す。また、同年のパリ~モスクワ~北京マラソンレイドにも出場して格上のクラスを凌駕する速さを見せつけた(結果は惜しくもリタイア)。そして、1993年シーズンには過酷なサファリ・ラリーにも挑戦する。ドライバーはアフリカの道を知りつくしたパトリック・ジル選手と日本人の石田雅史選手、そして現役ワークスドライバーであるコリン・マクレー選手を起用。プライベーターとしてフランシスコ・ヴィラセノール選手も参加した。まずラリー序盤で光ったのは、555のSUBARUブルーを纏ったマクレー選手の6号車。セリカやランサーといった2Lターボ車を向こうにまわしながら、何と4番手を快走する。結果的にはコース途中で岩と接触し、何とかサービスまでたどりついて修理したもののタイムオーバーでリタイアとなってしまうが、その速さは世界中のラリー・ファンを大いに驚かせた。

 

ほかの3名の戦績は、石田選手がエンジン冷却系のトラブルでリタイアするが、ジル選手は総合12位で完走してクラス優勝。ヴィラセノール選手も総合15位に入り、2台もの軽自動車が史上初めてサファリ完走を成し遂げた。また、ヴィヴィオは1995年のサファリ・ラリーでもクラス優勝を果たすが、その際には記念車のRX-Rスペシャルバージョン(STi/PIAA製フォグランプ&フォグランプカバー、フジツボ製マフラー、ケンウッドCDサウンドシステムなどを装備)が200台限定で発売された。

 

【著者プロフィール】

大貫直次郎

1966年型。自動車専門誌や一般誌などの編集記者を経て、クルマ関連を中心としたフリーランスのエディトリアル・ライターに。愛車はポルシェ911カレラ(930)やスバル・サンバー(TT2)のほか、レストア待ちの不動バイク数台。趣味はジャンク屋巡り。著書に光文社刊『クルマでわかる! 日本の現代史』など。クルマの歴史に関しては、アシェット・コレクションズ・ジャパン刊『国産名車コレクション』『日産名車コレクション』『NISSANスカイライン2000GT-R KPGC10』などで執筆。

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