乗り物
鉄道
2019/5/18 17:30

開業100周年を迎える「美濃赤坂線」――ミニ路線を巡る10の秘密

おもしろローカル線の旅39 〜〜美濃赤坂線(岐阜県)〜〜

美濃赤坂線という路線名を聞いて、すぐにピンきた方はかなりの鉄道通といって良いかも知れない。

 

美濃赤坂線は東海道本線の大垣駅と美濃赤坂駅を結ぶ、5.0kmのミニ路線だ。短いこともあり6〜7分で終着駅に着いてしまう。

 

この美濃赤坂線、行き止まり路線ながら、実はその先にも線路が延びている。さらに終着の美濃赤坂駅近くには趣ある宿場町が残る。ほかにも調べればかなり興味深い路線だった。今回は岐阜のミニ路線で鉄道の旅を楽しんだ。

↑美濃赤坂線を走るのはJR東海の313系。2両編成の車両が大垣駅〜美濃赤坂駅間を往復している。朝夕は列車の本数も多めだが、日中は11〜12時台、14時〜15時台とそれぞれ2時間にわたり列車が走らない。事前に時刻を確認した上での旅をお勧めしたい

 

 

【美濃赤坂線の秘密①】東海道本線・赤坂支線とも呼ばれている

「美濃赤坂線」は通称の路線名だ。「時刻表」誌などでは東海道本線として掲載されている。さらに同誌の中に美濃赤坂線の名は出てこない。あくまで東海道本線の一員であり、本線から分かれた支線という位置づけなのだ。

 

訪れた美濃赤坂駅の時刻表には「美濃赤坂線」とあった。大垣駅ホームには、「美濃赤坂方面」とあった。場所によってその表記は変わっている。こんな表記の仕方を見ると、美濃赤坂線は広く浸透している路線名ではないように感じた。ちなみに「赤坂支線」と呼ばれることもある。

 

一方で大垣駅にも、美濃赤坂駅にも、また沿線でも「東海道本線」の表示はなかった。間違って乗車してしまうことを避けているのかも知れない。

 

ここで美濃赤坂線の概要に触れておこう。

路線と距離東海道本線(美濃赤坂線)/大垣駅〜美濃赤坂駅5.0km
開業1919(大正8)年8月1日、大垣駅〜美濃赤坂駅間が開業
駅数3駅(起終点を含む)

 

美濃赤坂線は今年の8月1日で開業100周年をちょうど迎える。東海道本線の新橋駅〜神戸駅間は1889(明治22)年7月1日に全通した。誕生が30年ほど遅かったが、それでもかなり古い路線であることが分かる。

 

美濃赤坂駅近くにそびえる金生山(かなぶやま)から産出される石灰石の輸送を目的に路線が造られた。

↑美濃赤坂線の開業とともに生まれた美濃赤坂駅。列車が停まるホームの前には引込線など駅の施設が点在する。左に見えるのは貨物の積み下ろし用ホーム。広大な屋根が残るが現在は使われていない。構造物など産業遺産に指定されてもおかしくないほど立派だ

 

 

 

【美濃赤坂線の秘密②】路線距離は実際には1.9kmしかない!

美濃赤坂線の路線距離は5.0km。とはいうものの、大垣駅を出発した列車はしばらくの間、東海道本線の列車と同じ線路上を走る。そして南荒尾信号場という分岐ポイントを経て、そこから支線にあたる美濃赤坂線へ入っていく。

 

大垣駅〜南荒尾信号場間は3.1kmあり、この分を差し引くと、美濃赤坂線の実際の距離は1.9kmしかないことになる。

 

筆者は日中、列車の本数が少なくなるため、分岐する南荒尾信号場と美濃赤坂駅の間を徒歩で往復した。歩いたものの決して遠くは感じなかった。美濃赤坂線は歩けるほどの路線の距離なのである。

↑南荒尾信号場から米原方面へ走る東海道本線の下り列車。右側が東海道本線の“本線”で、左側に南荒尾信号場から美濃赤坂方面へ向かう美濃赤坂線の線路がある

【美濃赤坂線の秘密③】時刻表誌では東海道本線と別ページに掲載

美濃赤坂線が東海道本線の支線にも関わらず、地元に住む人たちには申し訳ないが、やや隅っこに置き去られた存在になっているように感じた。それが感じられるのは、例えば「時刻表」誌での扱い。

 

時刻表は交通新聞社が発刊するJR版と、JTBパブリッシングが発刊するJTB版が出版されている。それぞれの誌面で、東海道本線はやはり最大の幹線ということもあり、在来線の中でトップのページに掲載されている。

 

一方の美濃赤坂線は、東海地方の時刻表ページの、下の方に小さなスペースに載せられている。目立たない。さらに美濃赤坂線の名はなく、両誌とも「大垣−美濃赤坂(東海道本線)」と記載されている。

↑南荒尾信号場から美濃赤坂線へ入る美濃赤坂駅行き列車。大垣駅(右上写真)では「美濃赤坂方面」と記された行き止まり式の3番線ホームから同路線の列車が発車している

 

実際に美濃赤坂線に乗ろうと大垣駅を訪ねても、そうした隅っこに置き去りにされた印象がある。東海道本線の2番線ホーム(下り方面)と4番線ホーム(上り方面)の先、米原駅側に、美濃赤坂線の3番線専用ホームが“ひっそりと”設けられている。

 

頭上の案内には「3番 美濃赤坂方面」のみ。ホームはちょうど2両編成の電車が停車できる長さだ。

 

以前は、名古屋方面からの直通列車が運転されていたが、2013年3月のダイヤ改正で直通列車は消え、大垣駅〜美濃赤坂駅間を往復する列車のみとなってしまった。ちなみに平日の列車と、土曜・休日運転の列車では、ダイヤがだいぶ異なる。15分以上も発車時間が異なる列車があるので、しっかり時刻を確認してから利用したい。

 

大垣駅は西濃地方の中心駅でもある。JR東海以外に、樽見鉄道や養老鉄道の列車も共用している。鉄道の旅を楽しむにあたり、これらの鉄道も気になるところだろう。大垣駅では1番線から5番線ホームをJRの列車が利用、6〜7番線が樽見鉄道の専用ホームとなっている。

↑養老鉄道の大垣駅ホーム。養老鉄道ではこれまで元近鉄の車両がメインで使われてきたが、東急電鉄から多くの7700系が入線した。今後徐々に車両の入れ換えが行われていく予定で、注目されている

 

さらに養老鉄道の大垣駅は、そのホームがやや西側にずれている。JRのホームとの連絡通路はあるものの、駅舎が異なっている。

 

美濃赤坂線が発着する3番線ホームからは、ちょうど線路をはさんだところに養老鉄道のホームが見えた。東急電鉄から養老鉄道へ多くの7700系(東急池上線・東急多摩川線を走ったステンレス車両)が輸送されたばかり。大垣駅ではこうした養老鉄道の“新型車”の動きも気になるところだ。

 

【美濃赤坂線の秘密④】沿線には関ヶ原の戦いに絡む史跡があった

美濃赤坂線は路線距離が短く、大垣駅を乗ったらあっという間に着いてしまう。とはいえ沿線模様をごく簡単に紹介しておきたい。歴史好きにはちょっと気になるところもあった。

 

大垣駅の3番線を発車した列車はまず左手に大垣車両区を見て走る。ここには313系や311系といった東海道本線を代表する車両が停められている。

 

その先で養老鉄道の揖斐駅(いびえき)行きの線路と立体交差、すぐに杭瀬川(くいせがわ)を渡る。

 

杭瀬川付近は実は古戦場だった。大きな転換ポイントとなった関ヶ原の戦い(西暦1600年)の前哨戦、「杭瀬川の戦い」が行われていたのだ。戦闘場所が明確でなく、両軍が渡河した場所は特定されていないので、碑など残っていないのがちょっと残念だ。この戦いでは西軍が勝利している。

 

杭瀬川を渡ると、左手に水田が広がる。少し走ると線路の上を東海環状自動車道の高架橋がまたぐ。その先に美濃赤坂線が分岐する南荒尾信号場がある。

↑赤坂支線で唯一の途中駅・荒尾駅。東海道本線の南荒尾信号場から分岐、大きく曲がるカーブ上にホームが設けられている。改札はなく、運賃は車内で支払うシステム

 

【美濃赤坂線の秘密⑤】本線からは平面交差しつつ分岐していく

美濃赤坂線が分岐する南荒尾信号場では、大垣駅を出発した列車が東海道本線の下り線から、一度、上り線の線路上を走り、さらに支線の線路へ入っていく。いわば東海道本線と美濃赤坂線の線路が平面交差しているわけだ。

 

そのため同信号場を美濃赤坂行きの列車が走る時は、通過しきるまで、行き合わせた上り列車は停車して待たなければいけない。列車本数が多い路線ならば、立体交差にしたのだろうが、本数が少ない美濃赤坂線だからこそ、可能な分岐スタイルと言うことができるだろう。

 

美濃赤坂線に入って、線路は右へ大きくカーブする。このカーブの途中に路線で唯一の途中駅、荒尾駅がある。カーブを曲がりきった先からは終点の美濃赤坂駅まで直線路が続く。左右に住宅地を眺めながら列車は進む。

↑美濃赤坂駅の手前、左手にある安楽寺。列車からも入口の階段が見える。寺の裏手に勝山がそびえる。関ヶ原の戦いでは徳川家康の岡山本陣が設けられた

 

美濃赤坂駅の手前では左の小高い丘に注目したい。関ヶ原の戦いでは徳川家康がこの小高い丘に本陣(岡山本陣跡)を設けて采配を振っている。

 

短い美濃赤坂線だが、歴史上、重要なポイントを2つも見つつ走ってきたわけだ。ちなみに、この美濃赤坂線、鉄道史でも大きな役割を果たしている。

↑ホーム一つの簡素な美濃赤坂駅。駅に着いた列車は5分前後、停まった後に大垣駅に折り返す。朝夕に走る列車では車掌が乗車、日中はワンマン運転が多い。車掌が乗車する列車では、車掌が車内を回り運賃や乗車券の回収を行う

 

↑開業100周年という歴史を感じさせる美濃赤坂駅。切符販売の窓口や改札口は無く駅舎はホームへの通路となっている。その通路の上には「きっぷのお求めは」の案内(右上)があった。建物はJR東海とJR貨物、西濃鉄道の詰め所として使われている

 

 

【美濃赤坂線の秘密⑥】日本初の内燃動車が走った路線でもある

現在、非電化区間ではディーゼルカーが主力車両として活躍している。ディーゼルカーは「内燃動車」とも呼ばれる。内燃動車とは車両に積んだディーゼルエンジンなどを利用して自走する鉄道車両のことで、外部から電気を取りいれて走る電車は除かれる。

 

日本初の内燃動車はガソリンカー・キハ二5000形気動車だった。このキハ二5000形が1930(昭和5)年2月1日に美濃赤坂線で走り始めた。

 

当時の鉄道用ガソリンカーは非力で長距離、そして勾配のある路線は不向き、また車体が小さく定員数が限られていた。そのために距離が短く、路線が平坦で、利用者も少なめな美濃赤坂線が最初の運行場所として選ばれた。

 

ガソリンカーは大垣駅から美濃赤坂駅、さらにその先に線路がつながっていた西濃鉄道の市橋駅(現在は廃止)まで乗り入れた。ちなみにキハニ5000形が、西濃鉄道という他社路線まで乗り入れた国鉄初の気動車にもなっている。美濃赤坂線はこうして鉄道史にも名を残す路線となったわけだ。

↑西濃鉄道の赤坂本町駅跡。赤坂宿の中にあった駅で、太平洋戦争前まではガソリンカーが運行されていた。ホームの遺構が写真中央の家の下にわずかだが見えている

 

 

【美濃赤坂線の秘密⑦】美濃赤坂駅の近くにある赤坂はどんな町?

終点の美濃赤坂駅。駅前に喫茶店が1軒あるのみで閑散とした印象だ。とはいえ、そのまま帰ってしまうのは惜しい。駅から北へ300mほど歩いたところに町の中心がある(大垣市赤坂町)。

 

この町の歴史は古い。江戸時代に五街道の一つ、中山道(なかせんどう)の宿場町「赤坂宿(あかさかじゅく)」があったのだ。

↑赤坂宿の一角。歴史的な建物が旧道沿いに点在している。写真の路地の300mほど先に、美濃赤坂線の美濃赤坂駅がある

 

中山道は江戸から上州、信州を経て京都まで行く重要な街道だった。中山道には途中に67カ所の宿場が設けられていた(中山道六十九次とも呼ばれた)。赤坂宿は56番目の宿場町で、往時は本陣、脇本陣がそれぞれ1軒あったほか17軒の旅籠があり、賑わった。

 

現在もその面影が残り、徳川家康が上洛する際に使ったとされる「お茶屋屋敷」などの史跡も残る。

↑赤坂宿の東側には杭瀬川(くいせがわ)が流れ、川沿いに赤坂港も設けられていた。赤坂港は産出された石灰石や大理石の積み出し港でもあった。写真は赤坂港跡で広重が描いた中山道六十九次の浮世絵を紹介した案内板も立つ

 

古いたたずまいが残る一方で、観光地化されていないために、のんびりと街歩きが楽しめる。唯一、残念なのはカフェなど一休みする施設が、ほとんどないこと(わずかにあるが日曜日のみなど、営業日時が限定される)。貴重な財産が見聞きできる場所だけに、ちょっと残念に感じた。

 

【美濃赤坂線の秘密⑧】同線と深い関わりを持つ「西濃鉄道」って?

美濃赤坂線を紹介する上で欠かせないのが「西濃鉄道」だろう。鉄道好きにとっては、美濃赤坂線とともに、注目したい鉄道会社である。

 

同じ西濃地方(岐阜県の西部)を本拠にする大手運輸業の西濃運輸という会社は良く知られている。名前は似ていて勘違いされがちだが、西濃鉄道はこの西濃運輸とは無縁の会社だ。

 

会社の創立は古い。1927(昭和2)年に創業した。赤坂地区は石灰岩、大理石の採掘地だった。古くは上記の赤坂港から舟便で積み出されていたが、いかんせん輸送力が脆弱だった。その積み出しのために造られたのが美濃赤坂線であり、その後に設けられた西濃鉄道だった。西濃鉄道の路線は美濃赤坂線が開業した9年後の1928(昭和3)年12月17日に開業している。

↑美濃赤坂線を走る貨物列車。写真は8785列車でEF210形式電気機関車が牽引を担当。ほか2往復の貨物列車が同線を走るが、そちらの牽引はEF64形式電気機関車が使われる

 

↑美濃赤坂駅構内で待機する西濃鉄道の貨物列車。DD40形ディーゼル機関車が主力機として使われる。乙女坂駅までわずか5分、1.3kmという短い距離を走る

 

西濃鉄道は現在、貨物列車のみの輸送を行っている。旅客営業はしていない。貨物輸送のみを行う民営の鉄道会社は西濃鉄道のみだ(岩手開発鉄道を第三セクター鉄道と見た場合)。

 

路線は市橋線(いちはしせん)と呼ばれ、その距離は1.3km。美濃赤坂駅〜乙女坂間を列車が走る。かつて市橋線は乙女坂の先まで延び、美濃赤坂駅〜市橋駅間2.6kmを走っていた。さらに昼飯線(ひるいせん)美濃赤坂駅〜昼飯駅間1.9kmという路線もあった。

↑美濃赤坂駅入口にある西濃鉄道の機関庫。DD400形とともに予備車としてDE10形もDD400形の後ろに待機している。機関庫の手前、左手へ昼飯線の線路が延びていた

 

↑昼飯線の線路は上記の機関庫からさらに先に延びる。現在、このように柵で閉鎖されているが、各所に線路や駅舎の跡がそのままの状態で残されている

 

 

太平洋戦争前まで市橋線では旅客営業も行っていた。そんな華やかな過去を持つ鉄道会社でもある。現在は路線距離が縮められ1.3kmのミニ路線を運営するのみの会社となっている。だが侮ってはいけない。

 

平成27年度の貨物の輸送トン数を65万4432トン。同じ東海地区を走る衣浦臨海鉄道の輸送トン数(36万5695トン)に比べて倍近くの輸送量を保っている。貨車が積む荷物が異なるために重量だけでは単純に比較しにくいが、週末でも、貨物列車が走ることが多い。

 

さらに西濃鉄道は大垣駅を始点にして走る樽見鉄道の筆頭株主にもなっている。路線はミニながらなかなかの実績を上げていることが、これらの事柄を見ても分かる。

 

 

【美濃赤坂線の秘密⑨】神社の境内を走る西濃鉄道の貨物列車

美濃赤坂駅でJR貨物から貨車を引き継いだ西濃鉄道。貨物列車の牽引役はDD40形ディーゼル機関車だ。こげ茶色、角張った車体がなんとも渋い。重厚感が感じられる。

 

その機関車がエンジン音を高らかに響かせ貨車を牽き、赤坂宿を通り、商店の軒先を走っていく。さらに神社の赤い鳥居の前を通り過ぎる。西濃鉄道の沿線では、そんなユニークな光景を楽しむことができる。

↑西濃鉄道のDD40形ディーゼル機関車に牽かれた列車が赤坂の町を走る。沿線では水田の横を時速20km以下ののんびりしたスピードで走っていく。後ろの山は金生山(かなぶやま)と呼ばれ、石灰石とともに化石が多く発掘される山として知られる

 

↑美濃赤坂駅〜乙女坂間にある石引神社(いしびきじんじゃ)。神社の前を西濃鉄道の貨物列車が走る。石引神社は大垣城を築城するにあたり、現地の石を採取して、杭瀬川から運ばせたことを記念して創社された

 

20両ないし24両のホッパ貨車を牽いて力強く走る貨物列車が乙女坂にある矢橋工業の構内に入っていく。構内では、機関車が後ろから前へ、機回しして位置を変更。貨車を連結し直す。そして専用設備を使ってホッパ貨車へ石灰石が素早く積み込まれていく。

↑乙女坂の構内でホッパ貨車に石灰石が積まれる。写真は小社2013年刊「貨物列車ナビ」取材時に撮影したもの。構内は危険なため立入禁止。訪れた時は周囲の公道から眺めるぐらいに留めたい(大型車の通行が多いため注意)

 

西濃鉄道の貨物列車の時刻をここに記しておこう。1日に3往復の列車が出ている。なお同時刻は目安で、発車の準備ができたら、この時刻よりも前に(早発気味の傾向が強い)出発する。運休もあるので注意したい。

 

◆西濃鉄道・市橋線の時刻

〈下り〉

1021列車:美濃赤坂6時9分発 → 乙女坂6時14分着

1025列車:美濃赤坂11時33分発 → 乙女坂11時38分着

1023列車:美濃赤坂15時44分発 → 乙女坂15時49分着

〈上り〉

1022列車:乙女坂8時25分発 → 美濃赤坂8時30分着

1026列車:乙女坂14時15分発 → 美濃赤坂14時20分着

1024列車:乙女坂17時57分発 → 美濃赤坂18時2分着

 

【美濃赤坂線の秘密⑩】美濃赤坂駅を発車した貨物列車はどこへ?

美濃赤坂線は単に東海道本線の支線というだけでなしに、西濃鉄道という鉄道好きには興味をそそる路線がその先にある。古い街並み散策もできる。美濃赤坂線は路線が短いながらも、いわば一粒で何粒も美味しいそんな魅力を秘めている。

 

さて、美濃赤坂駅着発の貨物列車の時刻も触れておこう。

 

◆美濃赤坂線の貨物列車時刻

〈下り〉

5781列車(土曜日運休):大垣5時41分発 → 美濃赤坂5時47分着

8785列車:大垣11時15分発 → 美濃赤坂11時21分着

5783列車(日曜日運休):大垣15時23分発 → 美濃赤坂15時31分着

〈上り〉

5780列車(日曜日運休):美濃赤坂9時22分発 → 大垣9時29分着

8784列車:美濃赤坂15時13分発 → 大垣15時20分着

5782列車(日曜日運休):美濃赤坂19時12分発 → 大垣19時19分着

 

↑美濃赤坂駅を発車する5780列車。美濃赤坂線を走る貨物列車のうち、臨時の8784列車と8785列車以外はすべてが国鉄形のEF64形式電気機関車が使われている

 

貨物列車に使われる貨車はホキ2000形。荷主の矢橋工業が所有する貨車で35トン積み。出発地では上から石灰石を載せ、目的地では貨車の下から積載した石灰石を降ろすホッパ車と呼ばれる貨車だ。

 

列車は貨車20両、または貨車24両で構成。JRの路線内ではEF64形式、またはEF210形式に牽かれて走る。南荒尾信号場で、美濃赤坂線から東海道本線へ入る。この列車はどこまで行っているのだろう。

 

東海道本線を上り、岐阜駅、名古屋駅を通過、さらに東海道本線の笠寺駅まで走る。

 

笠寺駅で名古屋臨海鉄道(貨物専用路線)に引き継がれ、同線の名古屋南貨物駅(新日鐵住金名古屋製鐵所)まで輸送される。ここには矢橋工業の名古屋事業部があり、製鉄所で焼結鉱(製鉄に必要となる素材)を生産するにあたり、必要とされる粉状の石灰石を供給している。

 

古くは金生山で採掘された石灰石は赤坂宿の港を利用して輸送された。

 

美濃赤坂線が開業した100年前から鉄道輸送を利用され、さらに西濃鉄道ができて、両路線を通って運ばれている。金生山から石灰石が採掘されるかぎり、美濃赤坂線は石灰石輸送に欠かせない路線として活き続けることだろう。

↑名古屋臨海鉄道を走る石灰石輸送列車。写真はすでに石灰石は送り届けられ、空の状態で、美濃赤坂駅へ戻る「石灰石返空列車」。輸送にはホキ2000形(左上)が使われる。貨車の上部には細かい石灰石の粉が輸送時に飛び出さないように覆いが付けられている

 

【ギャラリー】