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2019/7/21 17:00

夏こそ乗りたい! 秘境を走る「只見線」じっくり探訪記〈その2〉

おもしろローカル線の旅47 〜〜JR東日本只見線(福島県・新潟県)〜〜

福島県の会津若松駅と新潟県の小出駅を結ぶ只見線。秘境の趣が気軽に楽しめるローカル線である。前回に引き続き只見線の旅。今回は新潟県側の小出駅(こいでえき)〜只見駅間と、不通になっている只見駅〜会津川口駅間を巡った。

 

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新潟県と福島県を越える小出駅〜只見駅間。こんな秘境が日本にあるのか、と思えるほど。列車だけでなく別の日にクルマで県境を越えたが、びっくりするほどの峠越えだった。思わず鳥肌ものの秘境の旅をレポートしよう。

↑小出駅〜只見駅間を走るキハ40系。会津若松側とは異なり、新津運輸区の車両が使われる。訪れた時は「縁結び列車」と名付けられたラッピング車両が走っていた

 

 

【只見線を探訪する後編①】小出駅の構内に幹線時代の名残を見た

只見線の新潟県側の始発駅は小出となる。同線では会津若松方面行きが上り列車となるので、小出駅発、只見駅行きは「上り列車」だ。とはいえ小出というターミナル駅から山間にある只見行きが上りとはちょっと不思議ではあるのだが。

 

小出駅発の只見線列車は日に4本、うち1本は、只見駅の1つ手前の大白川駅止まりなので、只見駅まで行く列車は、1日にわずか3本しかない。

 

ちなみに2011年7月に起きた豪雨災害による途中の区間が不通になる前の列車はどうだったのだろう。

 

会津若松駅〜小出駅間を通して走る列車は1日に3往復。小出駅〜只見駅間のみを走る列車が1往復あったので、今よりは列車本数が1本ばかり多かった。とはいえ冬になると大白川駅〜只見駅間を走る1往復は減便されてしまう。つまり今とほぼ同じ状況だったわけだ。

 

↑小出駅の4番線に停車する只見線の列車。手前の上越線のホームとの間がかなり開いている。この間には貨物列車用の線路が敷かれていたと思われる。ちなみに小出駅の駅名表示は俳優の渡辺謙氏が書いたもの(左上)。渡辺氏は小出駅がある魚沼市の出身だ

 

さて只見線の新潟県側の始発駅、小出駅に降り立つ。ホームは1〜3番線が上越線、4〜5番線が只見線のホームとなる。

 

それぞれ跨線橋で結ばれるが、上越線と只見線の線路が離れている。この間に、かつて貨物線用の入れ換え用の線路が数本、敷かれていたのだろう。

 

上越線は上越新幹線が開業するまで、首都圏と、新潟を結ぶ幹線だった。優等列車の特急「とき」が日に何往復もしていた。現在、上越線は普通列車のみの運行だが、首都圏と日本海を結ぶ貨物列車のメインロードであることに変わりはなく、1日の7往復の貨物列車が走っている。

 

小出駅はそんな幹線だったころの面影を残している。もし小出駅で待合せの時間が長くなりそうならば、駅のすぐ近くを流れる魚野川のほとりまで足を延ばしてはいかがだろう。駅の南側に地下をくぐる連絡通路もあり、駅と小出の町を結ぶ小出橋には10分弱で行くことができる。

 

↑魚野川の堤防側から見た小出駅。只見線の4・5番線ホームが良く見える。ホームの一部分のみ屋根があるのが、ちょっと不思議に感じた。跨線橋もレトロな趣だった

 

【只見線を探訪する後編②】新津運輸区のキハ40系の今後に注目

只見線は現在、途中に不通区間があることで、会津若松側と、小出側で使われるキハ40系の車両が異なっている。

 

会津若松側で使われるのが福島県の郡山総合車両センターの車両なのに対して、小出側で使われているのは新潟市にある新津運輸区に配置される車両だ。

 

色は会津若松側で使われる車両が黄緑と緑を貴重にした「東北地域本社色」と呼ばれるカラーなのに対して、小出駅〜只見駅間では、白地に青、赤いラインが入る「新潟色」と、赤い部分が目立つ「イメージアップ新潟色」、さらに「縁結び列車」と呼ばれるラッピング車両が走る。

 

↑小出駅〜只見駅を走るのは新津運輸区のキハ40系。青部分が目立つ塗装は新潟色と呼ばれている。写真の車両は前後に運転台が付き、行先を示すサボが付けられていた(写真左)。新潟色のキハ40系は磐越西線も走っているのだが8月以降は徐々に減便の予定だ

 

ちなみに新津運輸区のキハ40系は磐越西線の会津若松駅まで乗り入れている。会津若松駅では、郡山総合車両センターのキハ40系と、新津運輸区のキハ40系が顔合わせすることがしばしば見かける。

 

この新津運輸区のキハ40系だが、2019年8月19日から新型のGV-E400系の運転が磐越西線などで始まる。2019年度中には磐越西線をはじめ、信越本線、羽越本線からキハ40系が消えていく予定だ。只見線でのキハ40系の運行が今後どのような影響を受けるのか、気になるところだ。

 

 

【只見線を探訪する後編③】米どころ魚沼をしばらく走る

筆者はこの日の只見駅行きの始発列車に乗り込んだ。7時58分、上越線の接続列車を待って発車した。乗車したのは日曜日ということもあり、学生の姿は見かけず、乗車したのは筆者を含めて8人。うち半分が鉄道ファンのようだった。車掌が乗車する列車だったが、何度か車内を見回るものの、途中で乗り降りする人もちらほらで、手持無沙汰といった様子だった。

 

小出駅から発車した列車は、上越線と分かれ、大きく右へカーブする。信濃川の支流のひとつ、魚野川を渡る。そしてしばらくの間、両側に魚沼市の住宅と、田園風景を眺めつつ走る。

 

↑薮神駅〜越後広瀬駅間の田園地帯を走る只見線の列車。写真は小出駅13時11分発の、この日の2便目の列車。始発列車とは異なり片側運転台の新潟色と、ラッピング車両「縁結び列車」の2両編成で走っていた

 

小出駅の次が薮神駅(やぶかみえき)。この薮神駅〜越後広瀬駅間は、広々した田園風景を背景に撮影できる場所として人気がある。訪れた日も、何人かの鉄道ファンが撮影を楽しんでいた。

 

背景に写る水田で作られるのは、もちろんコシヒカリ。地元、魚沼市はブランド米「魚沼コシヒカリ」の産地として知られる。2016年までは28年連続で食味の最高位「特A」を記録した美味しいお米が収穫される。残念ながら2017年にランクをAに落としたものの、2018年産の米では「特A」に見事に復帰を果たしている。

 

魚沼市は冬に多くの雪が積もる。豪雪地帯の中でも特に降雪量が多い地域を「特別豪雪地帯」と呼ぶのだそうだ。冬に訪れたことはないが、こうした冬の厳しさがあるからこそ、誇る食味となるのであろう。

 

【只見線を探訪する後編④】絵になる破間川を列車が渡る光景

薮神駅と越後広瀬駅の間で、始めて魚野川の支流である破間川(あぶるまがわ)を渡る。新潟県側で只見線は、この破間川にほぼ沿って走っている。山景色を背景に走る沿線には絵になる箇所も多い。

 

↑越後須原駅〜越後田中駅間にある橋梁。国道252号の大倉沢休憩所横で撮影できる。背景に破間川が流れるが、列車は川を渡らずかすめるように走っている。適度なカーブで、曇りの日でもそれなりに絵になる。写真は越後須原駅16時32分発の小出行き列車

 

上写真の越後須原駅〜越後田中駅間もそうしたポイントの一つだ。国道沿いに駐車スペースがあり、撮りやすいことから、訪れる鉄道ファンも多い。

 

さて、乗車した只見行き列車。上条駅を過ぎると山里の趣が急に増していく。上条はそれこそ里の端といった印象だ。周囲に棚田が見え始め、破間川とともに車窓にアクセントを添える。

 

 

【只見線を探訪する後編⑤】入広瀬駅から急に険しさが増していく

小出駅から30分ほど。入広瀬駅からはさらに山中の色合いが強まる。

 

民家が点在するのは入広瀬駅の近くまで。勾配が徐々にきつくなり、車窓から見えるのは棚田と木々のみとなっていく。キハ40系はディーゼルエンジン音を響かせ、ゆっくり坂道を登って行く。

 

小出駅の標高は92mほど。只見線の最高地点の田子倉付近は515mまで列車は登る。標高では400m以上も登っていくわけで、徐々にとはいえ傾斜もきつく感じるわけである。

 

↑只見線と平行して走る国道252号も入広瀬付近からは険しさを増していき、スノーシェッドと呼ばれる覆いでおおわれた区間が多くなっていく

 

入広瀬駅の次の駅は大白川駅だ。この1駅区間の間に只見線は、何と破間川を5つの橋梁で渡る。小出駅〜大白川駅間は1942(昭和17)年11月1日の開業している。かなりの難工事であったことがうかがえる。当時は太平洋戦争がはじまって間もないころのことだ。

 

軍需産業優先の時代に、この難路に鉄道を通すことにこだわったことを不思議に感じる。当時の国は、この先の只見を含めて、水力豊富なこの土地を電力供給の地にしたいと苦難の時代に工事を続けたのだろう。

 

しかし、大白川駅から先、只見への路線延伸は、30年近くの空白の時間を経ることになる。さらに、沿線の破間川ダムや、黒又川第一ダムといった発電用のダムの竣工は多くが太平洋戦争後のこととなった。路線開業を急いだものの、思うような成果は得られなかったわけだ。

 

【只見線を探訪する後編⑥】新潟県最後の駅となる大白川駅

さて大白川駅に列車が到着した。この駅が新潟県側の最後の駅となる。

 

乗車した日と別の日に大白川駅を訪ねてみた。駅舎内にそば店があるのだが、15時までの営業とあって店は閉まり、駅にひとけもなく寂しい状況だった。さらに駅周辺には駅舎以外の建物ははるか先まで見当たらず。よくこうした場所に駅を設けたなと感じた。

 

実は駅から破間川の上流に向かって約1.4km先に大白川の集落はある。歩くと20分ほどだろうか。この集落に住む人が使うこともあるのだろうが、列車を乗り降りする人は見かけなかった。ちなみに大白川の集落へのバス便はすでに2018年9月で廃止されている。こうした利用者が限られる地方の公共交通機関は、少しずつ消えていく現状がここでも見られた。

 

↑ホームひとつの大白川駅。横を破間川が流れる。駅舎は2階建ての近代的な建物(左上写真)。建物のすぐ前を国道252号が通る。駅の入口は1階部分にあるが駅名表示も小さく、ややわかり難い。駅舎内では「そば処平石亭」が土曜・日祝日のみ11〜15時に営業中

【只見線を探訪する後編⑦】次の只見まで1駅間にかかる時間は?

大白川駅と只見駅の間は1971(昭和46)年8月29日に開業した。大白川駅まで路線が開業してから、29年後のことだった。

 

大白川駅〜只見駅間の距離は20.6kmある。この間に、トンネルが10本、橋梁はなんと41か所も設けられている。特に難工事だったのが6354mの長さを持つ六十里越(ろくじゅうりごえ)トンネルだった。

 

開通当時、日本の鉄道トンネルの中で、6番目に上げられるぐらい長いトンネルとなった。しかもトンネルの上にそびえるのは標高1000m級の山々だ。トンネル掘削の技術も、現代とは比べ物にならないくらい未熟だったに違いない。

 

難工事で、わずか1駅区間の開業のために5年以上の歳月と、当時の資金で51億円がかかった。現在でいえば、工事費は150億円前後になろうか。

 

大白川駅を出た只見行き列車は右に左にカーブを切りつつ、破間川の支流、末沢川に沿って走っていく。最大勾配25‰だが、意外に快調に気動車が飛ばした。

 

包む山々と渓谷の険しさが半端ない。間もなく、六十里越トンネルへ入る。トンネル内部で登り区間が終わったらしく、気動車はひと息つきつつ、快調に走り始める。

 

↑六十里越トンネルを越えた田子倉付近で路線を写す。左上写真が六十里越トンネルの只見側出口。出たところに国道252号の田子倉休憩所(右下)がある。列車はひと時、外を走るが、スノーシェッドに覆われた先で田子倉トンネルに入る

 

トンネルに入って10分あまり。ようやくトンネルを出たものの、しばらくすると再びトンネルへ入ってしまう。大白川駅〜只見駅間で2番目に長い田子倉トンネルだ(長さ3712m)。

 

この外に出る区間、スノーシェッドに覆われたところに、2013年3月まで田子倉駅という臨時駅があった。ホームから国道252号へ階段を登って出る構造だった。付近に家はなく、乗降客もほぼなかったが、時たま登山客に利用されていた。

 

過日に田子倉付近を車で訪れたが、やや遅めの時間帯だったこともあり、トイレ付きの休憩所(登山客の利用がある)付近は無人。「熊出没注意!」という貼り紙に怖れをなして早々に引き上げた。

 

話を戻そう。2本の長いトンネルを抜け、列車は坂を快適に下っていく。車窓から民家が見え始めると、間もなく只見駅に到着した。

 

大白川駅から只見駅まで一駅の間に、要した時間は何と30分。普通列車が、隣の駅まで無停車で30分間、走り続ける例は少ない。ちなみに日本で駅間最長区間は石北本線の上川駅〜白滝駅間(37.3km)で38分かかる(新幹線を除く)。北海道以外では最長と言って良いのではないだろうか。

 

 

【只見線を探訪する後編⑧】越えると大変さが身にしみる六十里越

乗車した日とは別の日、只見線とほぼ沿って走る国道252号の県境区間を車で往復してみた。只見と大白川の間は32kmほどの距離があり、六十里越と呼ばれる峠道となっている。

 

新潟県側、福島県側、どちらから上っても、つづら折りの道が続く。峠道の運転は嫌いでない筆者も、さすがに疲れを感じる上り下り、そして急カーブの連続だった。しかも標高差が半端ない。

 

↑国道252号の六十里越は、難所そのもの。最高地点の近くから只見側を見下ろすと田子倉湖がはるか眼下に広がる。周囲を取り巻く山々も美しかったが、険しさは並みでないことがわかった

 

↑只見側にある只見湖畔から田子倉ダムを望む。写真の撮影位置の横を国道252号が通り抜けている。ここから同国道は田子倉ダムでせき止められた田子倉湖を眼下に眺めるところを登る(上写真)わけで、2枚の対比でも、いかに上り下りが厳しいかわかる

 

六十里越という名からも分かるように新潟・福島の県境越えは厳しい。ちなみに小出駅付近の標高は92m、国道252号の六十里越の最高地点は760mにもなる(旧峠のピーク地点は863m)。

険しいこともあり、例年、降雪期には県境を越える国道252号は通行止めとなる。例年11月下旬〜4月末の長い間、この国道は雪に閉ざされるのだ。

 

国道が閉ざされる期間、只見の町から新潟方面へ抜ける方法は只見線しかない。

 

 

【只見線を探訪する後編⑨】ユネスコエコパークに指定された只見

只見という町の特徴を少し見ておこう。地図を見ると、福島県の西の端に位置する。会津地方に含まれ、南会津郡の一つの町となる。とはいえ、会津地方の中心、会津若松との距離に比べて、県を越えて小出へ出るほうがはるかに近い。

 

只見ダム、田子倉ダムが建設された当時には、建設に携わる人たちが多く移り住み、人口は3万人近くまでなった。ダム建設後は人口が減少し、2018年末で4235人となっている。

 

山あいにあるために冬は降雪量が多く、年間降雪量は平均すると1294cmにもなる。要するに13m近くの雪が降るというわけだ。雪に縁がほとんど無い太平洋側の都市住まいの人間には、ちょっとぴんとこない数字だ。

 

山間部がほとんどで、人口が少ない。そのため自然はとにかく豊かである。そのためにユネスコから「生物圏保存地域=ユネスコエコパーク」に2014年に指定された。日本では屋久島・口永良部島ほか7地域が指定されている。ユネスコエコパークとは、自然環境と人間社会の調和と共生、持続可能な発展を学び、実践する地域という解説がなされている。

 

↑只見駅のホーム横には観光客を迎えるようにかかしが立つ。駅舎(左上)には只見町インフォメーションセンターが併設されている。観光パンフレットの配付のほか、只見のいろいろな土産物などの販売も行われている

 

只見駅に到着した列車は、しばらくホームに停車したのち、小出駅へと折り返していく。列車で停車時間はまちまちで、8分〜1時間12分と異なる。

 

只見駅の先、会津川口駅までは現在、不通区間となっており、代行バスが運転されている。

 

↑只見駅を折り返した小出駅行き列車。この日は新潟色と、イメージアップ新潟色と呼ばれる赤を基調にした2両で運転されていた

【不通区間のレポート①】豪雨により被害を受けた橋梁の現状

2011年7月末に起きた「新潟・福島豪雨」により、今も只見駅〜会津川口駅間が不通となっている。ここからは不通区間の現状を見ていきたい。

 

2011年の7月26日に降り始めた豪雨。只見線の沿線では新潟県の魚沼市入広瀬では72時間の最大雨量が471.5mm、福島県の只見町では最大の72時間に700mmという降雨を記録している。要するに大人の腰ぐらいまで浸かる雨が降ったことになる。想像できないほどの量である。

 

これだけ降ると、被害は免れない。幸い人的被害は少なかったものの、只見線は小出駅〜会津坂下駅間が不通となった。その後、徐々に復旧されていったが、被害が大きかった会津川口駅〜只見駅間は今も不通のままとなっている。

 

JR東日本という黒字企業には国の災害復旧援助が行われない。そのため、JR東日本は復旧に関して難色を示してきた。その後の経緯は長くなるので割愛するが、2017年6月にJR東日本と、地元・福島県との間で基本合意がなされた。

 

結論は復旧した後は福島県が線路を保有、JR東日本が車両を走らせる。いわゆる上下分離方式という形ととった。復旧費用は100億円前後、福島県が3分の2を負担し、JR東日本が3分の1を負担する。

 

すでに復旧工事も始まっている。そんな沿線の状況を見て回った。

 

只見駅〜会津川口駅間には只見川を渡る橋が4つある。そのすべてが差こそあれ、被害を受けていた。水害の怖さを物語るシーンを目の当たりにしたのだった。

 

↑最も只見駅側にある第八只見川橋梁。さらなる水害被害を避けるため、かさ上げ工事が計画されている。平行して通る道路がないために、湖上に浮かぶ作業船を使う必要があり、最も復旧経費がかかるとされている。雨の日、湖上に浮かぶ作業船を川霧が覆っていた

 

只見駅側から走ると、会津蒲生駅〜会津塩沢駅間に第八只見川橋梁がある。国道252号の寄岩橋から、この区間の全景を見ることができる。湖上に浮かぶ橋、そして作業船は、川霧に包まれる神秘的な情景を創り出していた。この橋は平行する道がないため、工事が最も困難だとされている。素人目に見ても、大変さが実感できる場所だった。

 

さらに会津大塩駅〜会津横田駅間にも第七只見川橋梁が架かっていた。この橋も流失していまい橋梁がまったくない状態になっている。

 

↑会津大塩駅〜会津横田駅間には第七只見川橋梁が架かっていた。その様子は平行してかかる道路橋の四季彩橋上から見ることができる。ここまで水の勢いがすごかったとは、と思い知らされる現場だ。すでに復旧工事が進められていた

 

こうした水害のつめ跡を見てまわるのも、あまり気持ちの良いものではないが、現状の把握を試みるべくクルマで巡ってみた。只見線に沿って走る国道252号沿いからほぼその状況がつかめた。

 

↑会津越川(あいづこすがわ)駅〜本名(ほんな)駅間には、第六只見川橋梁があった。本名ダムに沿って架かっていたが、わかりにくいので橋梁と国道の位置とただし書きを入れてみた。ダムがあるのにどうして被害を受けたのか、理解しにくい現場でもあった

 

不思議に感じたのは第六只見川橋梁の被害。本名ダムという東北電力のダムがあるのだが、ダムを怒濤のごとく、水があふれ出し、下流にあった橋脚部分を破壊し、鉄橋を押し流すことにつながったようだ。被害のすさまじさはもはや想像の域を越えていた。

 

↑会津川口駅〜本名駅間にある第五只見川橋梁。被害を受ける前は、只見線の撮影ポイントとしても知られていた。ここは一部のみが被害を受けていた。ほかの橋梁と比べ、軽微な損害とはいえ、ここまで水が上がり橋が流されたことにびっくりさせられる

 

 

【不通区間のレポート②】列車が通ってこその駅ということを実感

不通区間にある駅もいくつか回ってみた。跡形もなく消えてしまった第七只見川橋梁に近い会津大塩駅。すでに線路にはえていた雑草類はきれいにかたされていた。ホーム上もきれいだ。

 

とはいえ、駅名標は長年、使われてこなかったこともあり錆が目立つ。休憩スペースは板が貼られ、入れないようになっていた。

 

↑会津大塩駅の現状。線路上にはえていた雑草などはすでに取り除かれ、ホーム上もきれいになっている。その一方で、休憩スペースなどは板張りがされ、使われていない駅という印象を強めていた

 

さらに第五・第六只見川橋梁のちょうど中間にあたる本名駅。会津大塩駅と同じように線路上の雑草類はきれいにされていたが、駅ホームは、使われていない駅ならではの寂しさが感じられた。

 

やはり駅は、列車が走り、人が使ってこその駅なのだと思う。列車が走らない駅は、血が通わなくなった身体と同じく、少しずつ朽ちていくように感じた。

 

↑本名駅を隣接する踏切から写す。取り囲む樹木の勢いの良さが目立った。休憩スペースは他の駅と同じように入れないように板で覆われていた

 

↑本名駅近くで見かけた路盤整備用の重機。傍らに新しいコンクリートの枕木が置かれており、列車を通すためこれから徐々に線路整備が進めていくのだろう

 

2021年度中の復旧を目指して進められているこの工事。橋梁のかけ替えなど、被害の大きさとともに状況の深刻さにびっくりさせられた。復旧計画が進むとともに、県内には巨費を投じての復旧工事に反対・慎重意見があったと聞く。

 

とはいえ、只見という山中の町の状況を見ると、只見線がいかに大事なライフラインであるかがわかる。冬は鉄道で出ることができるのは新潟方面だけ。クルマでは新潟へ抜けることが出来ない。会津地方の中心、会津若松までは国道252号頼みである。平行する道もない。もし国道252号が何らかの災害で不通になったら、外へ出る手段は国道289号を迂回して南会津町を経由する道しかなくなる。この迂回路も、遠回り過ぎて現実的ではない。

 

こうした現状を考えると、何としてでも復旧をという県の強い思いも理解できようもの。さらに不通となった駅で感じた寂寥感。列車が走って、人々が使ってこそ、鉄道と地域が“生きてくる“ことを実感させられる旅となった。

 

↑不通区間を結ぶ代行バスが会津川口駅に着いて、なぜかほっとした気持ちになった。たとえ利用する人が少なくとも、列車が走る駅、人が使う駅があってこそ、鉄道そして地域が生き生きしてくるのではないだろうか

 

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