乗り物
鉄道
2019/8/18 18:00

乗って歩けば魅力がいっぱい!「上田電鉄別所線」で見つけた11の発見

【別所線で発見③】東急グループの創始者が青木村の出身だった

上田電鉄は、現在、東急グループの一員となっている。東急グループは全国にグループ会社が224社5法人(2019年4月現在)と多い。その中で、鉄道事業者は東京急行電鉄、そして伊豆急行、上田電鉄の3社のみだ。

 

東京急行電鉄はグループの根幹企業であるし、伊豆急行は、東急グループが伊豆半島の観光開発に力を注いだことから生まれた鉄道事業者だった。

 

さて長野県の私鉄企業が、どうして東急グループの一員となったのだろう?

 

↑かつて上田原駅から、上田市に隣接する青木村まで青木線が敷かれていた。現在も上田原駅前にはバス停があり、青木行のバスが発着している

 

上田電鉄がまだ上田丸子電鉄という社名だった1958年11月4日に東急グループの一員となっている。グループの一員となってから結構長い。

 

実は当時、東急グループを率いていたのは五島慶太だった。東京急行電鉄の事実上の創業者である。戦前戦後、鉄道界の率いた傑物と言って良いだろう。この五島慶太の故郷が上田市のお隣にある青木村だった。

 

青木村へは1938(昭和13)年まで青木線が走っていた。五島慶太も、故郷へと走る鉄道の恩恵を感じていたことだろう。そうした思いが自らのグループの一員として上田丸子電鉄を迎え入れたのではないのだろうか。

 

ちなみに上田丸子電鉄が東急グループとなった、その9か月後の1959年8月14日に五島慶太は亡くなっている。自らの故郷、青木と上田には恩返ししたいという気持ちが少なからずあったのかも知れない。

 

 

【別所線で発見④】1972年以降は別所線のみの運営になった

さて、上田電鉄に関わる歴史話が長くなったが、現代に話を戻そう。

 

上田電鉄別所線の概要を見ておきたい。

路線と距離上田電鉄別所線/上田駅〜別所温泉駅11.6km
開業1921(大正10)年6月17日、上田温泉電軌により青木線の三好町駅(みよしちょうえき)〜上田原駅〜青木駅間と、川西線の上田原駅〜別所駅(現・別所温泉駅)が開業。1924(大正13)年に千曲川鉄橋が完成し、国鉄上田駅に乗り入れ、現在の別所線が全通
駅数15駅(起終点を含む)

 

開業したころの別所線は、三好町駅〜上田原駅間を青木線、上田原駅〜別所温泉駅間を川西線としていた。その後、青木線が廃止された翌年の1939(昭和14)年には、上田駅〜別所温泉駅間の路線名を別所線と変更している。

 

↑別所温泉駅の隣接する線路上にはモハ5250形が保存される。同車両は1927(昭和2)年に導入された3両のうち1両で、ドア横の窓がだ円であることから「丸窓電車」の名前で親しまれた。引退は1986(昭和61)年10月

 

かつては48.0kmにも及ぶ路線を運営していた上田丸子電鉄だったが、次々に路線を廃止され、上田駅から北へ向かう真田傍陽線も1972(昭和47)年に廃止。とうとう、残る路線は別所線のみとなった。

 

以来、路線の廃止がたびたび話題となり、また社名の変更はあったものの、地元、上田市や利用者の手篤いサポートや応援もあり、開業以来100年近い年月を走り続けている。

  1. 1
  2. 2
  3. 3
  4. 4
  5. 5
  6. 6