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2019/9/15 18:00

昭和初期の風景がそのまま残る!「天浜線」11の秘密

おもしろローカル線の旅51 〜〜天竜浜名湖鉄道 天竜浜名湖線(静岡県)〜〜

 

静岡県の掛川駅と新所原駅(しんじょはらえき)を結ぶ天竜浜名湖線。天竜川の中流域を走り、奥浜名湖の美景に包まれるように走る。天竜浜名湖線という路線名よりも、略した「天浜線(てんはません)」の名で呼ばれることが多い。

 

この天浜線、多くの駅や橋、施設が昭和初期に開通した当時の姿を残している。列車を取りまく風景は昭和のイメージそのものだ。今回は静岡県内をのんびり走る天浜線で、おもしろローカル線の旅を楽しんだ。

 

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【天浜線の秘密①】東海道本線のバイパス線として誕生した

天竜浜名湖線は国鉄二俣線(ふたまたせん)として1935(昭和10)に一部区間が誕生、1940(昭和15)年に全通した。

 

当初、二俣線の計画は掛川駅から三河大野駅(飯田線/愛知県新城市)を経て、岐阜県の恵那地方まで至る遠美線の一部として計画された。当時の日本は戦時色が濃くなりつつあった。満州事変が1931(昭和6)年に勃発、それ以降、欧米諸国との対決姿勢が強まっていく。

 

当時、遠州灘に沿って走る東海道本線は、列島の大動脈とも言える重要な路線だった。もしこの路線が敵から攻撃を受けたとしたら……。そうした軍事的な理由から、掛川駅から天竜二俣駅(開業当初は遠江二俣駅)を経て、新所原駅を結ぶ現在のルートに変更。東海道本線のバイパスルートとして、急きょ建設されたのだった。

 

↑浜名湖の北側を走る天浜線。写真の浜名湖佐久米(はまなこさくめ)駅付近から知波田駅(ちばたえき)まで、ほぼ浜名湖沿いを走る。この駅のすぐ前には東名高速道路の高架橋も通っている

 

その後に起きた太平洋戦争では、軍艦による艦砲射撃よりも、飛行機による攻撃が主体になっていった。後世の人間が考えれば、建設自体に疑問を感じる。バイパス線として果たして二俣線は役立ったのだろうか。

 

1944(昭和19)年12月の発生した東南海地震の時、さらに翌年7月末の浜松空襲で東海道本線が不通になった時に迂回路として利用された。浜松空襲では米英連合軍の戦艦による艦砲射撃も行われていた(この時の目標には国鉄浜松工機部も含まれた)。全線、単線ということもあり、迂回運転も大変だったことだろう。とはいえ戦時下にしっかり役立っていたのだった。

 

路線が誕生して40年あまり、国鉄分割民営化となる直前の1987年(昭和62)3月15日に国鉄二俣線は廃止された。同日に天竜浜名湖鉄道が生まれた。路線の名前も天竜浜名湖線となった。

 

ここで天竜浜名湖線の概要を見ておきたい。

路線と距離天竜浜名湖鉄道・天竜浜名湖線/掛川駅〜新所原駅67.7km
開業1935(昭和10)年4月17日、国鉄二俣線として掛川駅〜遠江森駅(現・遠州森駅)間が開業。徐々に延伸、1940(昭和15)年6月1日に全通
駅数39駅(起終点を含む)

 

【天浜線の秘密②】昭和初期、天竜二俣まで走った鉄道があった

天浜線の路線の中ほどにある天竜二俣駅。天竜浜名湖鉄道の本社があり、また車両基地が併設され、天浜線では中心的な駅となっている。

 

かつて、この駅付近と東海道本線の磐田駅を結んだ鉄道路線があった。光明電気鉄道(こうみょうでんきてつどう)という鉄道会社の路線で、磐田駅近くの新中泉駅と天竜二俣駅近くの二俣町駅間、19.8kmを結んだ。

 

路線は将来的に、旧光明村(天竜川沿いにあった村/現・浜松市天竜区)まで延ばす予定で、そのために光明という名を名乗った。当時としては珍しい1500Vで直流電化された電気鉄道だった。1930(昭和5)年に二俣町駅まで路線が伸びたが、そのわずか5年後に電力会社への支払いがとどこおる状態に追い込まれ、送電停止となり、運転休止に追い込まれている。

 

↑天竜二俣駅は昭和15年に建築された。ホームと上屋は国の登録有形文化財に指定される。かつて光明電気鉄道の電車が、東海道本線の磐田駅から同駅付近まで走っていた時代があった。同駅西広場の片隅には今も光明電気鉄道の駅跡を示す小さなホームが残されている

 

開業当初からその計画は無謀なものだった。路線は古河鉱業の鉱山で採掘した銅鉱などの輸送を目論んで造られたが、駅と鉱山との距離が遠かったことから古河鉱業に利用を断れてしまう。にもかかわらず最新電車を発注してしまうなど、経営もずさんだった。今では考えられない話ではある。当時は大きな開発話を持ち出して、出資者を募り、ほどなく破産、という信じられない鉄道経営を行う人たちがいたようだ。

 

ちなみにこの光明電気鉄道の廃線跡が、その後の国鉄二俣線、現・天浜線の一部敷地として使われている。電車が走らなくなった5年後に、国鉄二俣線の路線が遠江二俣駅(現・天竜二俣駅)まで延ばされたのだった。

【天浜線の秘密③】遠州鉄道から天竜二俣駅まで列車が乗り入れた

天浜線は西鹿島駅(にしかじまえき)で遠州鉄道と接続している。遠州鉄道は浜松市近郊と市の中心部を結ぶ通勤・通学路線で、利用者も多い。西鹿島駅はこの遠州鉄道・遠州鉄道線の終点駅となっている。

 

かつて遠州鉄道のディーゼルカーがこの西鹿島駅から天竜二俣駅まで乗り入れた時代があった。1958(昭和33)年から1966(昭和41)年まで続けられ、最盛期には遠州森駅(その当時は遠江森駅)まで運転されている。

 

↑遠州鉄道と天浜線が接続する西鹿島駅。かつてはこの駅から遠州鉄道のディーゼルカーが現在の天浜線、天竜二俣駅や遠州森駅まで直通運転されていた

 

その当時に使われたディーゼルカーは遠州鉄道キハ800形。計3両を国鉄から購入、直通運転に使った。当初は利用者も多かったものの、徐々に利用者が減っていく。また車両自体が古く(1933〜34年製)、スピードアップが出来なかったことがあり、8年ばかりでその使命を終えた。

 

実は遠州鉄道キハ800形そのものを今も見ることができる。鉄道博物館(埼玉県さいたま市)に保存されているのだ。車両名は国鉄キハ41307(キハ41000形)。この車両こそ元遠州鉄道のキハ802そのものだ。同車両は遠州鉄道で働いた後に、北陸鉄道へ譲渡され、その後、筑波鉄道へ移り、引退後、愛好家たちに守られ、鉄道博物館へ寄贈された。数奇な運命をたどっていたわけだ。

 

ちなみに近年になり、浜松市の新市建設計画を企画するにあたり、遠州鉄道から天浜線への直通運転の検討が行われた。この直通運転は実を結んでいないものの、両線の列車の接続ダイヤ、天浜線の宮口駅(一部列車は西鹿島駅発)〜天竜二俣駅間の短区間列車の運転など、一部の計画は実施に移されている。かつての直通運転の歴史が、違う形で活かされていた。

 

 

【天浜線の秘密④】国鉄時代は遠江の名前が付いた駅が多かった

天浜線が走る静岡県西部には、遠江(とおとうみ)という地域名(国名)が残る。この遠江という名称は、7世紀前後から江戸時代まで続いた令制国(りょうせいこく)の遠江国(とおとうみのくに)に基づくものだ。

 

今も天浜線では遠江一宮駅と、遠江を頭に付けた駅名が一駅のみある。実は、国鉄二俣線時代には、他にも遠江という名前を付けた駅があった。

 

↑天竜二俣駅の扇形車庫に隣接する建物内に設けられた鉄道歴史館。天竜浜名湖鉄道に残された古い資料を展示している。その中の駅名表示板には、遠江森駅、遠江桜木駅、と現在では使われない古い駅名表示が残されている

 

国鉄二俣線の時代には、遠江桜木駅(現・桜木駅)、遠江森駅(現・遠州森駅)、遠江二俣駅(現・天竜二俣駅)と、遠江一宮駅以外に、3駅が「遠江」という名称を使っていた。この3駅ともに、国鉄から天竜浜名湖鉄道の路線に転換された時に、一緒に駅名も変更されている。

 

静岡県中部は令制国の呼び方では駿河国となる。駿河という地名は今も様々なところで使われている。比べて静岡県西部の遠江は近年になり、あまり使われていないのが実情だ。これが駅名の変更にも影響している。

 

静岡西部では、むしろ遠江の別称「遠州」という地域名の方が親しまれてきた。旧・遠江森駅が遠州森駅と名を変更したのが良い例である。ちなみに遠江の読みは「とうとうみ」ではなく「とおとうみ」。しっかり打ち込まないと、キーボード変換が難しく、また誤読しやすい地域名でもある。

 

余談が過ぎた。ここで天浜線を走る車両に関して簡単に触れておこう。

 

◇走る車両

現在、天浜線には3種類のディーゼルカーが走っている。まずは主力車両のTH2100形。当初はTH2000形として導入された車両だが、後に改造されてTH2100形となっている。車両の長さは18.5m、セミクロスシートの座席配置で、全車が前後に運転台を持つ。

↑天竜二俣駅でTH2100形同士が行き違い。右は2018年に緑とオレンジの「湘南色」にラッピングされた車両。「Re+(リ・プラス)」という愛称が付けられた。「Re+」には復活や再生、レトロといった意味が込められるとされる

 

↑丸みを帯びた車体が特徴のTH3000形。この車両のみ窓明けが可能な車両となっている。TH9200形は団体列車用に用意された。宝くじの助成を受けて導入されたこともあり「宝くじ号」の表記が入る。ちなみに9200の「92」は宝くじの「くじ」にちなんだもの

 

TH2100形以外には全席が転換クロスシートというTH9200形と、やや丸みを帯びた屋根が特徴のTH3000形の2形式があり、それぞれ1両ずつ使われている。

【天浜線の秘密⑤】11の駅が登録有形文化財の指定を受ける

天浜線は39ある駅のうち、11の駅が国の登録有形文化財の指定を受けている。4分の1に近い駅が文化財というわけだ。その多くが昭和初期の開業当時の状態を保っている。

 

こうした路線は非常に珍しい。駅に加えて橋、駅施設など36施設が登録有形文化財に指定されている。いわば、路線そのものが博物館そのものと言って良い。登録有形文化財に指定された全駅を巡ったので、写真を中心に紹介しよう。

 

↑路線の起点・掛川駅側から順に(左上から)駅名と特徴を。まず「桜木駅」、駅舎内で鈴虫が飼われる。「原谷駅」は天浜線の典型的駅舎スタイル。「遠州森駅」は待合室の木の椅子が重厚、通路に下りる階段に特徴が。「遠江一宮駅」は駅舎内に手打ちそば店がある

 

↑こちらは天竜二俣駅〜新所原駅間にある登録有形文化財に指定された駅。「岩水寺駅」はホーム上の屋根付き待合室が古風。「宮口駅」は簡素な木の改札口、不釣り合いに長いホーム。「金指駅」はホームに建つ上屋の形が面白い。「気賀駅」はホームの上屋が凝った造り

 

↑金指駅の入口近くに建つ高架貯水槽。駅舎やホームだけでなく、こうした駅を取り巻く構造物も登録有形文化財に指定されている。重厚なスタイルをしていて趣深い

 

 

【天浜線の秘密⑥】なぜ多くの駅が古い姿を留めているのか?

なぜここまで古い施設が残されたのだろう。

 

登録有形文化財と同じく、文化財保護法により守られているのが「重要伝統建造物群保存地区」。全国に残る古い街並みに残された建物や町並みを、景観ぐるみで保存、守っていこうとする制度だ。

 

なぜこうした古い建物や町並みが残ることになったのだろう。これらの地域の多くは高度成長期から続いた好景気の時代に開発が行われなかった。開発の対象から漏れたことが、逆に今となって光を浴びるようになっている。

 

天浜線もこうした例と同じように、国鉄二俣線から含め、輸送力増強という開発のメスが入らなかったことが、今になって幸いしていると言って良いだろう。

 

↑こちらは登録有形文化財に指定された西気賀駅のホームと待合所。のどかな雰囲気満点の駅だ。ホームには地元の人たちにより花が植えられ、きれいに清掃されていた

 

東海道本線の沿線が「東海道メガロポリス」化し、大小の工場や、それに伴うように市街地化され様相を変えていった。対して、東海道本線のバイパス線として造られた天浜線には、路線を含めて開発の手があまり入らなかった。両線の間は、それほど遠く離れていないにも関わらずである。

 

それが今や“お宝”となって残っている。これは貴重なことといって良いだろう。

 

↑ちょっとシュールな桜木駅。改札口には子どもをかたどったボードが立ち「おかえりなさい」の文字が。このボード裏にはアンパンマンの絵が描かれる。駅通路の奥には少女の人形が立ち人気番組「チコちゃんに叱られる」の、チコちゃんの決めぜりふ「ボーッと生きているんじゃねぇーよ!」の立て札が

 

ところで、登録有形文化財に指定されてしまうと、マイナス要素がないのだろうか。登録有形文化財とはどのようなものなのか、ここで抑えておこう。

 

登録有形文化財とは1996(平成8)年に設けられた文化財登録制度に基づき登録された有形文化財のこと。当初は建造物のみだったが、その後に建造物以外も登録できるように変更された。

 

高度成長期以降、急激な都市化により、近世以降に造られ、建てられた建物や施設が、歴史的、文化的な価値を重視されずに、壊されるという残念な例が相次いだ。こうした反省から歴史的にも大切な建物や施設を末長く活かせるように、この登録制度が生まれた。

 

登録有形文化財制度の長所は、現状とほぼ同じ外観であれば、建物内に手を入れても構わないということ。例えば、古い酒蔵の外観を生かしつつ、内部をレストランにしても構わない。

 

天浜線でも登録有形文化財に指定された駅舎が多いが、内部を食堂や、カフェ、そば店として利用した駅が複数ある。

 

↑草花が美しい遠江一宮駅。駅舎内に手打ちそばの店があり、改札口横の部屋でそばの仕込みが行われていた。駅の入口に「だいこくちゃん」の像が立つ。この一帯を所領した小國神社のご祭神、大国主神(おおくにぬしのかみ)にちなむとされる

 

駅が無人で寂しくなるよりも、こうした店舗として使われれば、地方の文化的な拠点にもなる。鉄道会社にしても使ってもらえれば、荒れる心配がないし、利益も得ることができる。天浜線では店が入っていない駅でも、トイレを含め清掃や整備が地元の人たち主体で行われていた。そのため駅の建物が古くともみな奇麗。訪れた人の好印象を生み出す結果に結びついている。

 

さらに登録有形文化財には、建造物修理補助事業という制度があり、保存修理する場合には国から一部を補助が受けられる利点もある。最近多い災害復旧などでも有利になっている。

【天浜線の秘密⑦】木の床が残る三ケ日駅の駅舎にびっくり!

三ケ日(みっかび)は、ドライブをする人にとっては馴染みの深い地名ではないだろうか。東名高速道路には三ケ日ICがあり、東名高速道路と新東名高速道の分岐点には三ケ日ジャンクションの名前が付く。いずれも緑に包まれ、少し走ると浜名湖が見え、風光明媚という印象が強い。

 

さて天浜線にも三ケ日駅という三ケ日地区の玄関口となる駅がある。この駅も登録有形文化財に指定されている。天浜線では最初に路線が開業した区間にある駅で、駅舎は1936(昭和11)年に開業した。

 

↑駅の開業は1936(昭和11)年12月1日の開業。天浜線では最も早くに開業した区間に設けられた駅で、天浜線の駅の中でも古め。駅舎内はカフェも設けられていて、駅の一部は現代風にリフォームされている

 

↑駅舎内は写真のように木の床。全国に駅は数あるものの、床が木という駅も少ないのではないだろうか

 

この三ケ日駅、訪ねてびっくりしてしまった。駅舎内の床が木なのである。それも長年、使い込まれていて、適度に表面がすり減り、木の節(ふし)が浮かび上がっている。

 

踏むと木の床特有のきしみ音が。とはいえ、踏みしめたら壊れそうという印象はなく、年期が入った魅力がにじみ出ている。木造校舎のそれに近い。廊下など、木の床は歩き、また走ると足裏に感じる弾力とともに、“キシッ”、“ミシッ”といった音が聞かれたものだった。

三ケ日駅を訪れると、そうした今ではなかなか体験できない懐しさが、歩いて、また音から込み上げてきたのだった。

 

 

【天浜線の秘密⑧】5つの橋が登録有形文化財に指定される

前述したように天浜線では登録有形文化財に指定された施設が36件にも及ぶ。駅とともに登録有形文化財に指定された施設が多いのが橋だ。

 

現在、路線では5つの橋が登録有形文化財に指定されている。すべてが1935(昭和10)年、もしくは1940(昭和15)年に造られたものだ。ほとんどがガーダー橋と呼ばれるシンプルな構造の橋となっている。

 

唯一、形が違うのが二俣本町駅と西鹿島駅の間に架かる天竜川橋梁。ガーダー橋と、橋上に三角形の鉄骨をつないだトラス橋との組み合わせになっている。

 

天浜線を訪れた時には、こうした橋の構造にも注目してはいかがだろうか。

 

↑天浜線で最も長い橋の天竜川橋梁。写真のようにガーダー橋(手前)、と橋の上に鉄骨を組み合わせたトラス橋を合体させた構造となっている。橋の長さは403mある。天竜川は、この橋付近から上流部と下流部の様相が異なる。車窓から望む風景も素晴らしい

 

 

【天浜線の秘密⑨】天竜二俣駅で行われる転車台見学ツアーが人気

天浜線の登録有形文化財として注目度が高いのは、天竜二俣駅に隣接する車両基地内にある転車台と扇形車庫だろう。

 

国鉄二俣線では1971(昭和46)年3月いっぱいで路線の無煙化が完了したが、その前まではC58形蒸気機関車が使われていた。この機関車の方向を変更する時に使われたのが、この転車台だった。扇形をした車庫に入線する時にも、この転車台により車両の向きを変える必要があった。転車台と扇形車庫は1セットとして使われていたわけだ。

 

転車台と扇形車庫が残された駅は全国にいくつか残るが、天竜二俣駅のようなコンパクトな造りは稀だ。良く残ったものだと感心させられる。

 

↑転車台に載ってぐるりと回るTH9200形。見学ツアーではこのように間近なところでその作業を見ることができる

 

↑天竜二俣駅にある扇形車庫。車両が納まる車庫は4区画と少なめ。今も、現役施設として使われている。車庫の運転区にある高架貯水槽や、揚水機室、事務室、休憩所、浴場も登録有形文化財に指定されている。今となっては貴重な施設ばかりだ

 

天竜浜名湖鉄道では、この転車台と扇形車庫を巡る見学ツアーを毎日実施している。週末になると、なかなか人気のツアーで、わざわざ浜松駅から、遠州鉄道と天浜線を乗り継いで訪れる人も多い。

 

ツアーに合わせて、車両がぐるりと回る光景が見学できる。さらに週末には車両に乗車したまま、洗車機を通り、さらに転車台で回転を体験できる「洗って!回って!列車でGO!」というスペシャルツアーも開催され、人気となっている。

 

ちなみに「転車台&鉄道歴史館ツアー」(所要45分)は毎週土・日曜・祝日の10時50分〜と13時50分〜の1日2回、平日は13時50分〜の1回で、ツアー料金は300円(天浜線利用者は200円)。

 

「洗って!回って!列車でGO!」(所要45分/要電話予約)は土・日曜・祝日の開催で、一般参加者は11時30分〜のみ(20~50名の団体の場合は毎日11時30分~、13時50分~の開催)で、ツアー料金は500円となっている。

【天浜線の秘密⑩】上り下りが目立つ路線、緑のトンネルを抜けて

駅や施設など見どころが多い天浜線。どうしても話題がそちらに向きがちだが、沿線および乗車した様子をここでレポートしよう。駅や施設へ訪れるだけでなく、乗っても楽しいのが天浜線だ。

 

乗車した印象としては東海道本線のように直線路が続く路線とは異なり、カーブが多く、適度なアップダウンがある。

 

沿線途中には太平洋(遠州灘)に流れ出る天竜川などの大小河川が流れる。天浜線はこれら河川の中流域を横切るように走っている。川を渡る箇所では標高が低くなり、川と川との間の区間では、なだらかながらも山越えとなる。険しいというほどではないが、適度な勾配があり、列車はそのつど上り下りする。

 

カーブのある路線を走り、橋を渡り、上り下り、山を越える部分では短いトンネルを抜ける。加えて奥浜名湖の風景。変化に富む路線風景そのものと言って良いだろう。

 

↑JR掛川駅北口の改札口を出たら左へ。その先に天浜線掛川駅がある。小さな待合スペースと、切符の販売窓口が設けられる。JR駅の1番線ホームからも連絡通路があり、こちらを利用の場合は簡易型自動改札機の通り抜けが必要となる

 

さて起点の駅となる掛川駅。JR掛川駅1番線の西端に天浜線の連絡改札口がある。また駅北口を出て、天浜線掛川駅の玄関口へ向かっても良い。小さめの駅舎内には切符の自動販売機、並んで窓口、そして改札口がある。ちなみに1日フリーきっぷは1700円。掛川駅から新所原駅までの運賃は1450円なので、途中下車を数回する時には一日フリーきっぷの方が得になる。

 

天浜線掛川駅構内の線路は行き止まりの頭端式ホーム。1・2番線ホームがあり、ここから折り返し運転となる。列車は朝夕がほぼ30分間隔、日中が1時間おき。多くの列車が終点の新所原駅まで直通で走るが、日中は途中の天竜二俣駅で車両変更が行われることもある。

 

掛川駅を12時59分発の229列車。週末のこの日、1両単行で運転される列車の座席はほぼ満席状態で、立って乗車する人もいるほどだった。

 

↑戸綿駅(とわたえき)〜遠州森駅間で渡るのが太田川。この太田川橋梁も登録有形文化財に指定されている。橋の長さは192mのガーダー橋で、竣功年は1935(昭和10)年。天浜線の橋梁の中では古めだ

 

天浜線は全線が単線、非電化。途中駅で上り列車と行き違いをしつつ走る。

 

しばらく掛川市内の駅を停車しつつ、列車は進む。市内区間では駅間が短く、部活帰りの若者たちの乗り降りが目立つ。桜木駅を過ぎると、列車は北を目指す。路線は県道40号線(掛川天竜線)と並走して走る。新東名高速道路の下をくぐり、太田川を渡れば、森町の玄関口、遠州森駅へ到着する。ここまでほぼ30分、立っている人もほぼいなくなり、車内にはのんびりした雰囲気となる。

 

さらに走ると、遠江という地名を唯一残した遠江一宮駅へ。この駅でかなりの乗客が下りてしまう。遠江一宮駅の先からは周辺に水田が目立つようになる。丘の上に近代的な工場が建つ風景を眺めつつ、天浜線の中心駅、天竜二俣駅へ到着する。

 

ここでホームの向いに乗継ぎの329列車が待機していた。ちょうど転車台の見学スペシャルツアー「洗って!回って!列車でGO!」が終了した後ということもあって、座席は満席状態で、天竜二俣駅を発車した。

 

↑宮口駅〜フルーツパーク間では緑のトンネルをくぐるように走る。天浜線を乗車してみて、掛川駅〜天竜二俣駅間よりも、西鹿島駅と新所原駅の間の方がより変化があり楽しく感じられた

 

二俣本町駅(ふたまたほんまちえき)を過ぎて間もなく天竜川を越えた、次の駅、西鹿島駅で多くの人が下りてしまう。この駅から遠州鉄道に乗車して浜松駅を目指すのだろう。

 

しばらく空席が目立った。宮口駅を過ぎたあたりから沿線の緑が急に濃くなっていく。緑のトンネルをくぐって走る区間が連なり、車窓から望む風景がより爽やかさを増していく。

 

 

【天浜線の秘密⑪】終点の新所原駅の西側は愛知県豊橋市となる

遠州二俣駅から走ること約30分。気賀駅に到着する。気賀は浜名湖北部、旧細江町の玄関口にもあたる。乗り降りが多い駅で、列車はここで満席となった。この気賀駅近くには気賀関所がある。東海道の本道として使われた本坂通(姫街道)に設けられた関所で、気賀は浜名湖北部の交通の要衝であったことが分かる。

 

気賀駅からは進行方向、左手に注目したい。気賀駅の隣の西気賀駅を過ぎると間もなく浜名湖が見えてくる。こうした湖畔の風景が知波田駅(ちばたえき)付近まで楽しめる。

 

↑浜名湖畔にある浜名湖佐久米駅(はまなこさくめえき)。11月〜3月ごろにかけて、多くのユリカモメが訪れる駅として知られている。鳥インフルエンザがここ数年、問題となり餌やりを自粛したことから、以前ほどユリカモメの飛来は多くはないとされる

 

↑都筑駅(つづきえき)〜三ケ日駅間が最も浜名湖が良く見える区間。この付近の浜名湖は大崎半島により仕切られた支湖部分とされ、猪鼻湖(いのはなこ)という名前が付く。この湖付近から西側沿線にはミカン園が多くなってくる

 

三ケ日駅付近からも乗客が少しずつ乗り込む。奥浜名湖の風景は見えてはいるものの、やや離れた位置からとなる。終点の新所原駅が近づいてきた。沿線には田園やミカン園が広がる。

 

終点の一つ手前の駅はアスモ前駅だ。どのような意味がある駅名なのだろうと、思ったら、駅前にある自動車部品工場のメーカー名がそのまま駅名になったとのこと。現在はデンソー湖西製作所と名称が変わったので、駅名を変更したいところだが、コスト面の問題から、当分の間、駅名は元のままとなっている。

 

アスモ前駅を発車して、間もなく民家が沿線に見えてくると、間もなく終点の新所原駅に到着した。浜名湖に近い土地とあってか、駅舎内にウナギ店がある。改札を通るとウナギを焼く香りが鼻をくすぐる。

 

↑天浜線の新所原駅。JR駅をまたぐ自由通路を下りたところにある。このホームから掛川駅方面の列車が折り返す。駅舎内にはうなぎ店がある。養鰻業を営む人が自ら開いた店とあって国産鰻が美味しく、しかも手ごろな価格で楽しめるとあって人気も高い

 

新所原駅は静岡県最西部にある駅。駅の西側すぐの所に県境があり、越えると愛知県豊橋市となる。そのせいなのか、天浜線の列車を下車した多くが、そのまま東海道本線を豊橋方面への列車に乗り換える人が多かった。推測するに、新所原駅がある湖西市は、静岡県内の都市ではあるものの、豊橋市の経済圏に含まれるのかも知れない。

 

新所原駅から豊橋駅まで、東海道本線の列車でわずか2駅、約10分で到着する。もし天浜線の列車が国鉄時代と同じように豊橋駅まで直通運転していたとしたら、より便利だろうし、利用者がもっと多くなったのかも知れない。

 

↑静岡県の最西部にある東海道本線の新所原駅。2016年に橋上駅舎と自由通路が造られ、より快適に。天浜線の列車が右奥に見える。この駅のすぐ西側に愛知県との県境がある。ちなみに静岡県の最東部、熱海駅までは177.8km(営業キロ)とかなり離れている

 

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