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2019/12/22 18:00

波穏やかな大村湾を眺めて走るローカル線 「JR大村線」10の秘密

おもしろローカル線の旅58 〜〜JR大村線(長崎県)〜〜

 

JR九州の大村線は長崎県の早岐駅(はいきえき)と諌早駅(いさはやえき)を結んで走る。穏やかな波が打ち寄せる大村湾。路線は「琴の湖(ことのうみ)」と呼ばれる美しい内海にほぼ沿って走る。

 

車窓からもその景色が望め、乗って楽しい路線である。この大村線に来春から新型車が導入され、同線の名物でもあった国鉄形気動車の運行が徐々に減っていきそうだ。今のうちに貴重になった国鉄形気動車に乗っておきたい。

 

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↑ハウステンボスがある針尾島(はりおじま)を横に眺めながらハウステンボス駅を発車するキハ66系。写真のキハ66系は国鉄急行色で塗装された希少な編成だ

 

 

【大村線の秘密①】起点となる早岐駅の線路の構造に注目したい

まず初めに大村線の概要を見ておきたい。

路線と距離JR九州・大村線/早岐駅〜諌早駅47.6km *全線単線・非電化(一部交流電化)
開業1898(明治31)年1月20日、九州鉄道が早岐駅〜大村駅間を開業、同年11月27日、大村駅〜諌早駅間の開通で現大村線が開業
駅数13駅(起終点駅を含む)

 

大村線が開業したのは今から121年前のこと。私設鉄道会社の九州鉄道により、路線が敷設された。開業当時の路線名は大村線ではなく、鹿児島本線の鳥栖駅から長崎を目指した長崎線の一部区間として誕生した。長崎線はその後、長崎本線と名称変更された。大村線は有明海沿いの新ルートが完成するまで、長崎への幹線ルートとしての役割を担ったわけである。

 

1907(明治40)年、九州鉄道は政府により買収され、長崎本線も国有化された。1934(昭和9)年に有明海に沿って敷かれた路線が全通し、この新ルートが長崎本線となる。そして大村湾沿いを通る、路線は大村線と変更された。

 

そうした本線として誕生した名残を今も見つけることができる。早岐駅の造りも、その名残の一つだ。早岐駅で佐世保線と大村線が分岐する。佐世保線は特急列車が走る幹線だが、佐世保線を走る列車のすべてが早岐駅ですべてスイッチバック運転を行う。列車は早岐駅まで入ってきて、進行方向を変更、折り返して佐世保駅、または博多駅へ向かう。

 

一方、佐世保線から大村線へ乗入れる特急「ハウステンボス」や普通列車は、進行方向を変更することなく、そのまま大村線へ入っていく。いわば、大村線の方が“優先”されている造りなのである。大村線が支線となったその後も、線路の造りはそのままで、変更されることはなかった。

↑大村線の駅の中で最も古い1897(明治30)年生まれの早岐駅。2014年に橋上駅舎となった。左上写真は4・5番線ホームで、大村線と佐世保線(左)の列車が向かい合って停まる。佐世保線の列車は折り返して出発。一方、佐世保発、長崎行き大村線の列車はそのまま直進して走る

 

 

【大村線の秘密②】早岐駅近く赤レンガの円筒形の構造物は何?

早岐駅構内には車両基地(佐世保車両センター)があり、大村線を走る車両はすべてこの車両基地に配置されている。駅の東口にはロータリーがあり、きれいに整備されている。駐車場のかたわらに、赤レンガの円筒形の大きな構造物が残っていて目立つ。

 

この構造物は何だろう? 傍らに案内があり、それを見ると「給水塔跡」とあった。かつて給水塔の下まで線路が敷かれ、蒸気機関車への給水を行った。このレンガ造りの構造物の上には、さらに水槽が設けられ、高低差を活かして急速に給水する仕組みとなっていた。

 

静岡県を走る天竜浜名湖鉄道など、古い施設が残る路線には、稀に給水塔が残っている。ところが、ここまで規模の大きい給水塔にはお目にかかれない。それだけ多くの蒸気機関車が、この駅の構内を行き来したということなのだろう。

↑早岐駅の東口、公共駐車場の横に残る給水塔跡。赤レンガの巨大な造りとなっている。現役時代には、この上にさらにタンクが付き、蒸気機関車への給水に使われていた

【大村線の秘密③】次のハウステンボス駅までは希少な電化区間

ここから大村線の旅を少しずつ進めていこう。

 

早岐駅から、大村線の路線はひたすら南下していく。乗車したのはキハ66系だった。大村線では、国鉄時代に生まれたキハ66系と、JR九州が製造したキハ200系(キハ200形とキハ220形がある)の2タイプの気動車が走っている。その大半がブルーを基調とした「シーサイドライナー」色で塗装される。

 

さらに、特急「ハウステンボス」が次の駅のハウステンボス駅まで走る。特急列車には783系特急形電車が使われる。

↑早岐駅の南を流れる小森川を特急「ハウステンボス」が渡る。隣のハウステンボス駅まで電化され、同特急列車が乗入れている

 

ハウステンボスは1992(平成4)年に誕生したテーマパーク。オランダの街並みが再現されている。ハウステンボスが開園した同じ年に大村線のハウステンボス駅が開業した。この駅まで博多駅から直通の特急列車を走らせるために、早岐駅〜ハウステンボス駅間の一駅区間のみの電化工事が行われた。

 

 

【大村線の秘密④】特急ハウステンボスは前後で形が大きく異なる

特急「ハウステンボス」に使われる783系はJRグループとなって最初に造られた新型特急車両だった。783系は九州全域を走る複数の特急列車に使われているが、ハウステンボス用の車両はオレンジ色に塗られていて華やかだ。

 

ハウステンボスが開園25周年を迎えた2017年から、順次、オレンジベースの車体に、ゴールドのエンブレムなどを入れた塗装に変更、2018年度中に、すべての列車が同カラーに変更された。

↑水戸岡鋭治氏がデザインした特急「ハウステンボス」783系。早岐駅〜ハウステンボス駅間のみ、前後が異なる造りの4両編成で走る。ハウステンボス駅のホームに停まるのは、博多駅行きの上り列車。正面が平坦な切妻タイプとなっている

 

さて特急「ハウステンボス」は、他の路線を走る783系と車体色だけでなく、異なるポイントがある。

 

早岐駅〜ハウステンボス駅間を走る4両編成は、前後の姿形が異なっているのだ。ハウステンボス駅側の先頭車は783系のオリジナルな姿の非貫通タイプ。一方、早岐駅側の先頭車は、平たい切妻タイプで、貫通扉が付いている。

 

早岐駅〜博多駅間は特急「ハウステンボス」と、佐世保駅着発の特急「みどり」と連結して計8両編成で走る。早岐駅で両特急を連結、または切り離し作業が行われる。連結して両列車の間を通り抜けできるように、片側が切妻タイプとなっている。早岐駅のホームでは、そうした連結、切り離し作業を見ることができる。

 

ちなみに特急「みどり」は、早岐駅〜博多駅間は「ハウステンボス」を連結せずに運転される列車もあり、平たい切妻タイプの正面のままで一部の列車は走っている。一方、ハウステンボスのみ単独で走るのは、ハウステンボス駅〜早岐駅間のみで、切妻タイプの姿もこの区間でしか見ることが出来ない(ごくまれに「ハウステンボス」単独で運転される臨時列車をのぞく)。

 

 

【大村線の秘密⑤】国鉄形気動車キハ66形の引退が近い?

車両の話が出たところで、キハ66系気動車の紹介もしておこう。

 

キハ66系は1974(昭和49)年から翌年にかけて製造された。山陽新幹線の博多駅開業に合わせ、乗継ぎ列車用に開発された。当初は筑豊、北九州地区の非電化路線で運用された。それまでの主力車両だった急行列車用キハ58系より優れた接客設備を備え、また冷房装置を当初から装備、高出力エンジンを搭載した。鉄道友の会が選ぶ第16回のローレル賞を受賞した優れた車両でもある。

 

しかし製造コスト高に苦しめられた。経営難に陥りつつあった国鉄には荷が重く、計30両のみで製造が打ち切られた。現在残る28両が大村線に集結、今も活躍している。

↑国鉄急行色のキハ66系は第10編成のみが残る希少な車両だ。すでにキハ58系はJRグループから消えているが、このカラーを見ると、そうした国鉄の急行列車全盛期の時代を彷彿させるかのようだ

 

キハ66系を製造された後に、今も全国で多くが活躍するキハ40系が造られた。同時期に造られた車両だけに、姿形なども良く似ている。しかし、乗った印象は異なる。キハ66系は、実際に乗車してみると、キハ40系よりも重厚なイメージ。キハ40系のエンジンは誕生した当初、非力だった。その後に改造されパワーバップが図られたキハ40系が多くなっているものの、キハ66系の方がやはりパワーがあるなと感じる。乗り心地もキハ66系の方が良く感じられた。

 

優秀な車両だったとはいえ、国鉄時代に造られ、現在も稼働する旅客用気動車としては、最古参となっている。JR九州では後継車両としてYC1系ハイブリッド車をすでに開発しており、2020年春、大村線へ6両が投入される予定だ。

↑大村線のキハ66系の大半は、写真のシーサイドライナー色に塗られる。正面には「シーサイドライナー」の文字が、また乗降扉は赤く塗られる

 

↑白・黒・オレンジで塗られたハウステンボス仕様のキハ66系。第12編成がこのカラーで塗られている

 

今後、YC1形は徐々に増車されることが予想される。数年後には大村線も大きく変って行くに違いない。消えていく前に、国鉄時代の趣が色濃く残るキハ66系の魅力を、ぜひ乗って確かめておきたい。

【大村線の秘密⑥】大村線の難読駅、南風崎は何と読む?

車両の話がつい長くなったが、大村線の旅に戻ろう。

 

ハウステンボス駅の次の駅は南風崎駅だ。南の風の崎と書いて「はえのさき」と読む。早岐(はいき)も難読駅だが、南風崎を最初からしっかり読める人は、かなりの鉄道通と言って良いだろう。他に大村線には彼杵(そのぎ)、諌早(いさはや)と読み難い駅名が複数ある。

 

ちなみにこの駅名が付いた理由は、地元の南風崎港(はえのさきこう)が知られていたことからだそうだ。明治時代に唄われた「鉄道唱歌」にも難読駅ということで「南の風をはえと読む 南風崎過ぎて……」と読まれている。

↑南風崎駅(はえのさきえき)の背景にはハウステンボスが見える。隣のハウステンボス駅から南風崎駅へはわずかに900m。同駅付近から急にローカル線の趣が強まる。ちなみに太平洋戦争後には多くの引揚者が同駅から列車に乗り込み故郷へ向かったとされる

 

 

【大村湾の秘密⑦】大村湾が目の前に!千綿駅が超人気な理由

南風崎駅の先、小串郷駅(おぐしごうえき)付近から、進行方向、右手に大村湾が見えるようになる。さらに川棚駅の先からは、ほぼ大村湾沿いを線路が走っている。国道205号も平行して通っているが、大村線は国道よりもさらに海側を走る箇所が多く、車窓から障害物が無く広がる海景色が存分に満喫できる。

 

彼杵駅(そのぎえき)を過ぎれば、いよいよ次は千綿駅(ちわたえき)だ。この駅、大村湾の目の前にある駅として、大村線の駅の中で特に人気が高い。

↑大村湾に面した千綿駅。駅が開業した1928(昭和3)年に建てられた小さな木造駅舎が残る。ホームには長崎駅行きキハ200系列車が停車中。訪れた日はあいにく雲が多めで、夕景色が楽しめなかった

 

海岸にそって緩やかにカーブする線路。ホームの目の前には大村湾と対岸に連なる西彼杵半島(にしそのぎはんとう)の眺めが広がる。

 

このロケーションが好きで、筆者もたびたび訪れたが、今回、実は初めて列車に乗って訪れた。2016年暮れから変ったことがある。待合室が「千綿食堂」というカフェになった。ひと休みにうってつけの場所もでき、さらに多くの人が立ち寄るようになっている。

↑千綿駅の駅舎を利用する千綿食堂。日替わりスパイスカレーが人気だ。残念ながら訪れた日は売り切れ、コーヒーで我慢した。営業は11〜18時(17時LO)、火・水曜日休

 

これまでも人気だった駅とはいえ、時間帯によってはひとけがなく、寂しさが感じられた。その千綿駅が一新され、列車を待ちつつ、駅舎内でひと休みできるようになった。またこの駅を訪れる楽しみができた。

 

 

【大村線の秘密⑧】夕暮れ時に憧れの列車が通り過ぎていった

そんな千綿駅。下車したのは良かったのだが、時刻表を良く確認せずに降りて大失敗。快速列車が同駅を通過することを見過ごしていた(停車する快速列車もあり)。写真を撮り、では、次の列車に乗って帰ろうかなと思ったら……あれれ、次の列車まで1時間半以上も待たなければいけない。

 

取りあえず千綿食堂でひと休み、食堂の方たちと会話を楽しんでいたら、「今日は『ななつ星in九州』が通りますよ」とうれしい情報を教えてもらう。えっ、ななつ星? ネットで調べたものの、運転日が不明確だったのだが……。想定外の列車待ちの時間が思わぬ幸運をもたらしてくれたのだった。

↑赤く染まる大村湾を眺め彼杵駅〜千綿駅間を走る「ななつ星in九州」。千綿駅通過は土曜日の17時30分過ぎ。毎土曜の運行ではないので、走る日は事前に確認してから訪れたい

 

ラッキー!とばかり、駅から徒歩5分ほどの撮影スポットへ。大村湾がやや赤く染まるころに「ななつ星in九州」が通過していった。こうした豪華列車を走らせることができるのも、大村線が幹線として造られたから。明治期の鉄道人たちが残した財産がこうして活かされているわけだ。

↑千綿駅を通過する「ななつ星in九州」。77系客車が夕陽を浴びてキラリと輝いた

 

この日は、「ななつ星in九州」だけでなく、JRKYUSHU SWEET TRAIN「或る列車」にも出会うことができた。大村線は、普通列車だけでなく、こうしたJR九州自慢の列車にも出会うチャンスがあるわけだ。

 

ちなみに「或る列車」は2020年2月末まで検査があり運行されない。その後の運行予定は3月14日〜5月6日が博多駅〜ハウステンボス駅間。5月15日〜6月29日は佐賀駅〜長崎駅間を走る予定となっている。

↑千綿駅近くを走るJRKYUSYU SWEET TRAIN「或る列車」。この列車は大村線を開業させた九州鉄道が、アメリカ・ブリル社から輸入した豪華客車をモチーフに造られた

【大村線の秘密⑨】途中から付かず離れず走る高架路線は?

大村線は、千綿駅からもしばらくの間、大村湾に沿って列車は走る。海の景色が変らずに素晴らしい。

 

大村湾が迫る区間、進行方向、左手の山側は残念ながら傾斜地が続き、大村線の列車からはあまり良く展望できない。しかし実は、千綿駅から松原駅にかけて、山の上には江ノ串の棚田と呼ばれる見事な棚田が広がる。ここから見下ろす大村線の風景も名物となっている。次回は、棚田を見下ろす場所から、ぜひ大村線の写真を撮りたいと思った。

↑大村線の松原駅から諌早駅までの区間、ほぼ平行して九州新幹線西九州ルートが延びている。同路線の武雄温泉駅〜新鳥栖駅間が、今も運行方法が確定しないのが、気掛かりなところだ

 

松原駅を発車してしばらく、左手に建設中の高架路線が見えてくる。大村線は手前の彼杵駅(そのぎえき)付近から長崎自動車道とほぼ平行して走る。この高速道路が時々、車窓からも見えるが、この高架橋と異なるものだ。

 

次の竹松駅までの間には、大村線の線路に隣接して車両基地らしき箇所も確認できる。ここが建設中の九州新幹線西九州ルートの、武雄温泉駅〜長崎駅間(2022年度暫定開業の予定)で、車窓から見えるのは、嬉野温泉駅〜新大村駅(いずれも仮称)間の高架橋となる。

 

一部には架線柱も建ち、だいぶ工事が進んでいるように見える。一世紀以上前に、大村線は長崎への幹線ルートとして建設された。長崎自動車道も、九州新幹線の西九州ルートも大村線に沿うように造られている。大村線は残念ながら、やや遠回りしているため、幹線の座は別ルートに譲ったが、明治期の人たちにやはり先見の明があったというということなのかも知れない。

 

 

【大村線の秘密⑩】築100年を越え、趣深い大村駅の駅舎

九州新幹線の西九州ルートが見え始めると、大村線の車窓の景色を一転し、沿線には民家が多くなる。そして列車は大村市の市内へ入った。

 

大村市の玄関口が大村駅だ。大村駅の駅舎、古風な造りだ。駅が開業したのは1898(明治31)年1月20日だが、当時の駅舎はシロアリにより被害を受けて解体。現在の駅舎は1918(大正7)年8月に建て替えられたものだ。建て替えたとは言ってもすでに築100年。今もきれいな姿に維持されている。

↑今から約100年前に建てられた駅舎が残る大村駅。白ワク格子の窓や、白地の壁にピンクの支柱、軒先が張り出した姿は、当時の最先端のデザインだったのだろう

 

大村駅は長崎空港が近く、大村駅前から路線バスも運行されるため、乗降客が多く、賑わいをみせている。

 

大村駅から諌早駅までは、あと2駅。次の岩松駅近くで、大村湾の眺めとお別れ、あとは内陸部を走る。進行方向、左手に長崎本線が見えれば、間もなく諌早駅へ到着する。早岐駅から諌早駅まで通して乗車すれば、約1時間。風光明媚な大村線の旅は終わる。

↑2018年8月に橋上駅となった諌早駅。この駅で、長崎本線の特急「かもめ」や、島原鉄道に乗り継ぐことができる(左写真)

 

JR九州の駅は、大村駅のような古い駅が、大事にされる一方で、諌早駅のように、ターミナル駅が新しい橋上駅に変更される例も目立つ。諌早駅の場合は、やはり九州新幹線西九州ルートの開業に合わせての模様替えなのだろう。

 

島原鉄道の駅入口も新しくなり、ちょっとびっくりさせられた。ちなみに同線の諌早駅には10月1日から諌早(雲仙・島原口)と“副駅名”が付けられている。

 

なお大村線を走る列車はほとんどが諌早駅の先、長崎駅まで走る。佐世保駅〜長崎駅間を直通運転する列車が大半で、大村線内のみを走る列車はごくわずかしかない。大村線はローカル線ながら、長崎市と佐世保市という県内の都市間輸送という大切な役割を担っているわけだ。

↑長崎本線旧線の東園駅(ひがしそのえき)〜大草駅間を走るキハ66系。この区間でも大村湾の景色が楽しめる。大村線の列車は大半が長崎駅まで直通運転される。旧線と新線を走る2通りの列車があるが、日中は新線を通る列車が多い

 

ちなみに諌早駅〜長崎駅間を走る長崎本線は喜々津駅〜浦上駅間は2ルートがある。海側を走る路線が長崎本線の旧線(長与支線)で、山側を走る路線は長崎本線の新線とされる。海側を走る路線は大村線と同じく九州鉄道が線路を敷設、新線は1972(昭和47)年と、近年になってから造られたルートだ。

 

大村線から長崎駅へ直通する列車は、両路線を走る列車があるが、もっと車窓を楽しみたい時には旧線を走る列車への乗車がお勧めだ。旧線は非電化で、喜々津駅から大草駅までの2駅間、再び大村湾の眺めが楽しめる。

 

時間に余裕がある時には、ぜひ長崎本線の旧線を走る列車に乗って、大村湾の違う角度から眺めて旅を終わらせたい。

 

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