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2020/6/7 21:05

今は珍しい「鉄道絵葉書」で蘇る明治〜昭和初期の東京の姿

【蘇る東京の風景⑤】当時の最先端技術がやはり注目の的だった

東京の絵葉書には当時、先端の鉄道技術や建造物を紹介する絵葉書も多い。

 

中でも多く残っているのが、新橋駅〜上野駅間に造られた高架線だった。「東京市街高架線」と名付けられ当時としては画期的な建造物だった。東京市街高架線は1889(明治22)年に計画され、ドイツのフランツ・バルツェル技師を招いて建設された。だが、日清戦争による中断などにより計画は長引き、1910(明治43)に全通した。

 

高架線をアーチで支える構造で、今も京浜東北線、山手線の路線用に使われている。高架下は新橋駅などで飲食店として生かされているので、ご存じの方も多いことだろう。できた当時は最先端の構造物で、一世紀以上も使われ続けてきたわけである。造られてから間もなくの沿線の様子を知る上で、今残る絵葉書は貴重な資料となっている。

↑数寄屋橋付近の高架上を列車が走る。向かい側に見えるのは帝国ホテル。手前の河川(外濠)は現在、埋められ首都高速道路が上を走る

 

最先端の鉄道技術として注目を浴びたのが、日本初の地下鉄路線だった。現在の東京メトロ銀座線の浅草駅〜上野駅間が1927(昭和2)年の暮れに東京地下鐵道により開業している。そうした地下駅の様子や、最初に使われた車両の絵葉書が多く発行された。

 

やはり当時の地下鉄は東京を訪れた時に、土産話としてうってつけで、絵葉書とともに各地に持ち帰られたのだろう。

↑東京地下鐵道が最初に走らせた1000形電車。現在、1001号車は国の重要文化財に指定され、地下鉄博物館で大事に保存されている

 

【蘇る東京の風景⑥】駅の廃止で消えてしまった繁華街

絵葉書は街の栄枯盛衰も記録している。千代田区の万世橋が顕著な例だ。

 

中央本線には、かつて万世橋駅という駅があった。開業は1912(明治45)年4月1日のこと。初代の駅舎は赤レンガ建ての豪華なものだった。設計は東京駅と同じ辰野金吾である。館内には食堂やバーがある当時の最先端をいく駅だった。

 

駅前には日露戦争の英雄、廣瀬武夫(廣瀬中佐)と杉野孫七の銅像が立っていた。さらに駅前を市電が行き交って賑やかだった。

↑大正中ごろの万世橋駅。レンガ建ての立派な建物で、中央本線のターミナル駅として機能していた。駅正面に廣瀬中佐の銅像が立つ

 

↑広瀬中尉の銅像が名物だったようで絵葉書に解説が入る。駅前を多くの市電が行き交う様子が見られ賑わいぶりが分かる

 

初代の駅は豪華だったものの、中央本線が1919(大正8)年に東京駅まで延伸。万世橋駅はターミナル駅でなくなってしまった。さらに1923(大正12)年の関東大震災で駅が消失、簡易駅舎となってしまう。

 

長く東京市電の乗換駅として機能していたものの、交差点が移転し、1929(昭和4)年には市電が走らなくなった。その後に鉄道博物館が万世橋駅に併設されるが、太平洋戦争中の1943(昭和18)年11月1日に駅は営業休止してしまった。

 

今は、交通博物館跡が整備されて、商業スペースとして使われている。だが、近くの秋葉原駅の周辺が大変な賑わいを見せるのに対して、万世橋付近は静かだ。ここに駅がかつてあり、賑わっていたとは、多くの人が知らずに通り過ぎているのでは無いだろうか。

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