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2020/9/6 19:00

希少車両が多い東海・関西出身の「譲渡車両」の11選!

〜〜東海・関西圏を走った私鉄電車のその後5〜〜

 

譲渡車両紹介の最終回は、東海・関西圏から他の鉄道会社へ移籍した電車を見ていくことにしよう。

 

東海・関西圏を走った電車の譲渡例は意外に少なめ。少ないものの、かなり個性的な車両が揃う。本家ではすでに引退し、他社で第二の人生を送る電車も目立つ。そろそろ引退が近い電車も表れつつあり、気になる存在となっている。

 

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【注目の譲渡車両①】今や大井川鐵道だけに残った関西の“名優”

◆静岡県 大井川鐵道21000系(元南海21000系)

↑昭和生まれの電車らしい姿を残す大井川鐵道の21000系。“名車”もそろそろ引退となるのだろうか気になるところだ

 

大井川鐵道を走る21000系は、元は南海電気鉄道の21000系(登場時は21001系)である。南海高野線の急勾配を上り下りする急行・特急用に造られた。 “ズームカー”、または“丸ズーム”の愛称で親しまれた電車で、製造開始は1958(昭和33)年のこと。誕生してからすでに60年以上となる。

 

正面は、国鉄80系を彷彿させる“湘南タイプ”の典型的な姿形。その後の車両よりも、運転席の窓が小さめ、窓の中央には太めの仕切りがある。湘南タイプの後年に生まれた車両にくらべれば、運転席からの視界があまり良くなさそうだ。

 

南海では1997(平成9)年で引退、大井川鐵道へは1994(平成6)年と1997年に2両×2編成が譲渡された。一畑電車にも譲渡されたが、こちらは2017年に引退している。21000系は大井川鐵道に残った車両のみとなっている。

 

さて、大井川鐵道に“後輩”となる車両の搬入が最近あった。

↑南海高野線を走る6000系6016号車。大井川鐵道へやって来たのは写真の6016号車に加えて、6905号車の2両だ

 

大井川鐵道に搬入されたのは南海の6000系2両である。南海6000系は運行開始が1962(昭和37)年のこと。東急車輌製造が米バッド社のライセンス供与により最初に製造したオールステンレス車体の東急7000系(初代)と同じ年に、東急車両製造が造った電車だった。ちなみに7000系は車体が18m、南海6000系はオールステンレス製20m車として国内初の電車でもあった。

 

オールステンレスの車体は、東急7000系の例もあるように、老朽化の度合が鋼製車両に比べて低く、長く使える利点がある。大井川鐵道では、しばらく改造などに時間をかけてから登場となるだろうが、この後に紹介する元近鉄の電車に変って走ることになりそうである。

 

かつて同じ高野線を走った電車が、他の鉄道会社で再び顔を合わせる。鉄道ファンとしてはなかなか興味深い光景に出会えそうだ。

 

【注目の譲渡車両②】近鉄の特急オリジナル色がここでは健在!

◆静岡県 大井川鐵道16000系(元近鉄16000系)

↑大井川沿いを走る大井川鐵道16000系。近鉄から2両×3編成がやってきたが、すでに1編成が走るのみとなっている

 

大井川鐵道の旅客輸送を長年、支えてきたのが元南海の21000系とともに、16000系である。16000系は元近畿日本鉄道(以下「近鉄」と略)の16000系にあたる。近鉄16000系は、狭軌幅の南大阪線・吉野線向けに造られた電車で、同線初の特急用電車でもあった。1965(昭和40)年3月から走り始めている。

 

計9編成20両が増備され、南大阪線・吉野線の特急として長年、活躍し続けてきた。車体更新が行われ、今も一部の編成が残り、走り続けている。

 

大井川鐵道へやってきたのは、初期に製造されたタイプで、1997(平成9)年に第1・第2編成が、さらに2002(平成14)年に第3編成が譲渡された。すでに第1編成は引退、第2編成が休車となっている。第3編成のみが現役で、南海の6000系は、休車となっている第2編成に代わって走り出すとされる。

 

本家の近鉄16000系は近年に大規模な車体更新が行われ、同時に車体カラーも一新されつつある。近鉄の伝統だったオレンジ色と紺色の特急色で塗られた車両が消えつつある。大井川鐵道の16000系は、そうした近鉄の伝統を残した貴重な車両となりつつある。

【注目の譲渡車両③】電車ではないが今や貴重な存在の機関車

◆静岡県 大井川鐵道ED500形(元大阪窯業セメントいぶき500形)

↑SL列車の後押しを行うED500形電気機関車。側面に「いぶき501」の文字が入る。大井川鐵道に移籍後、前照灯などが変更されている

 

大井川鐵道には興味深い譲渡車両が走っている。主にSL列車の後押しに使われているED500形電気機関車である。

 

ED500形の出身は大阪窯業(おおさかようぎょう)セメントという会社だ。大阪窯業セメントという名前の会社はすでにないが、会社名が変わり現在は住友大阪セメントとして存続している。ED500形は大阪窯業セメントいぶき500形で、1956(昭和31)年の製造、伊吹工場の専用線用に導入された。同専用線を使った輸送は1999(平成11)年でトラック輸送に切り替えられたため、同年、大井川鐵道へ2両が譲渡されたのだった。

 

大井川鐵道へやってきた以降に、三岐鉄道へ貸し出された期間があったものの、ED500形501号機のみ戻り、大井川鐵道で使用されている。西武鉄道出身のE31形とは異なる、こげ茶色の渋いいでたちの電気機関車でレトロ感満点だ。

↑1999年当時の大阪セメント伊吹工場の専用線。筆者は最終年に訪れていたが、粘って機関車も撮影しておくのだったと後悔している

 

【注目の譲渡車両④】元近鉄の軽便路線の電車が装いを一新

◆三重県 三岐鉄道北勢線270系(元近鉄270系)

↑三岐鉄道北勢線の主力車両270系。線路幅にあわせ小さめの車体となっている。270系の全車が黄色ベースの三岐カラーで走る

 

国内の在来線の多くが1067mmの狭軌幅を利用している。かつては全国を走った軽便鉄道(けいべんてつどう)は、さらに狭い762mmだった。今もこの762mmの線路幅の路線がある。三岐鉄道北勢線と、このあとに紹介する四日市あすなろう鉄道、そして黒部峡谷鉄道の3つの路線である。線路幅が狭いということは、それに合わせて電車もコンパクトになる。

 

三重県内を走る北勢線と、四日市あすなろう鉄道の2路線は、かつて近鉄の路線だった。三岐鉄道北勢線の歴史は古い。開業は1914(大正3)年と100年以上も前のことになる。軽便鉄道の多くがそうだったように資本力に乏しかった。開業させたのは北勢鉄道という会社だったが、その後に北勢電気鉄道→三重交通→三重電気鉄道を経て、1965(昭和40)年に近鉄の路線となった。

 

2000年代に入って、近鉄が廃線を表明したこともあり、地元自治体が存続運動に乗り出し、2003(平成15)年に三岐鉄道に譲渡された。元近鉄の路線だった期間が長かったこともあり、主力となる270系は元近鉄270系。1977(昭和52)年生まれの電車だ。

 

さらに古参の200系や、中間車の130形や140形は、前身の三重交通が新造した電車だ。ともに三岐鉄道に引き継がれた後には、黄色とオレンジの三岐鉄道色となり、より華やかな印象の電車に生まれ変わっている。そのうち1959(昭和34)年生まれの200系は、三重交通当時の深緑色とクリーム2色の塗装に変更された。軽便鉄道という線路幅は、国内では貴重であり、ちょっと不思議な乗り心地が楽しめる。

 

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762mm幅が残った謎三重県を走る2つのローカル線を乗り歩く【三岐鉄道北勢線/四日市あすなろう鉄道】

 

【注目の譲渡車両⑤】元近鉄電車だがほとんど新造に近い姿に

◆三重県 四日市あすなろう鉄道260系(元近鉄260系)

↑四日市あすなろう鉄道の260系。ブルーと黄緑色の2色の電車が走る。座席の持ち手部分はハート型と、おしゃれな造りになっている

 

四日市あすなろう鉄道も、前述したように762mmの線路幅だ。始まりは1912(大正元)年と古い。三重軌道という会社により部分開業。大正期に現在の路線ができ上がっている。その後に三重鉄道→三重交通→三重電気鉄道を経て、1965(昭和40)年に、近鉄の内部線(うつべせん)と八王子線となった。

 

長年、近鉄の路線だったが、近鉄が廃止方針を打ち出したことから、公有民営方式での存続を模索、2015(平成27)年4月から四日市あすなろう鉄道の路線となった。

 

電車は260系が走る。元近鉄260系で、近鉄が1982(昭和57)年に導入した。車体は三岐鉄道の北勢線を走る270系を基にしていて、その長さは11.2m〜15.6mとまちまち。長年パステルカラーで走っていたが、四日市あすなろう鉄道となって、電車をリニューアル。現在は、すべて車両が冷房化、車体が更新された。中間車の一部を新造したが、この新造車は鉄道友の会ローレル賞を受賞している。

 

元の近鉄車はかなりの古参車両といった趣だったが、電車が更新されたことにより、新車のような輝きに。車内の照明はLEDを利用、化粧板は木目調とおしゃれ。リニューアルにより大きく生まれ変わっている。

 

【注目の譲渡車両⑥】元近鉄路線に残る近鉄電車が徐々に減少中

◆三重県・岐阜県 養老鉄道600系・620系(元近鉄1600系など)

↑養老鉄道養老線を走る元近鉄車両。正面に524号車という数字があるが形式は620系。近鉄マルーン一色の伝統色で走る

 

三重県の桑名駅から岐阜県の大垣駅を経由して揖斐駅(いびえき)まで走る養老鉄道養老線。近鉄の元路線で、さらに養老鉄道が、近鉄グループホールディングの傘下の会社ということもあり長年、近鉄の電車が使われてきた。

 

これまで走ってきたのが近鉄600系・620系で、さまざまな種車を元に改造され、1992(平成4)年に養老線に導入されている。養老鉄道となった2007(平成19)年以降も走り続けてきた。そんな養老鉄道に、東急の7700系15両が2019年に導入され、状況がかわりつつある。それまで600系、610系、620系と、3タイプが走っていたが、すでに610系の全編成が引退となった。

 

600系と620系が16両ほど残る。従来の近鉄マルーン色の車体だけでなく、オレンジ色に白線のラビットカラー、赤地に白線の車両と、車体カラーはいろいろで、元東急車とともに沿線をカラフルに彩る。東急7700系は15両で導入は終了しているが、その後に、どのような電車が導入されるのか、元近鉄車は今後どうなるのか、気になる路線となっている。

 

【注目の譲渡車両⑦】京阪の名物「テレビカー」が富山の“顔”に

◆富山県 富山地方鉄道10030形(元京阪3000系/初代)

↑立山山麓などの山々を背景に走る2両編成の10030形。車両数が多いため富山地方鉄道の路線では良く出会う電車となっている

 

富山平野を走る富山地方鉄道の複数の路線。自社発注の電車、元西武鉄道の電車、元東急電鉄の電車、といろいろな電車が走りなかなか賑やかである。

 

そんななか、ややふくよかな姿形で走る電車を見かける。富山地方鉄道での形式名は10030形。形式名を聞いただけでは、元の電車が何であるかは分かりにくいが、この電車は京阪電気鉄道(以降「京阪」と略)の元3000系(初代)だ。

 

京阪3000系は、京阪の車両史の中でも革新的な電車だった。製造されたのは1971(昭和46)年からで、大阪と京都を結ぶ特急専用車両として生まれた。大阪と京都を結ぶ路線はJR東海道本線、阪急京都線などライバルが多い。そのため乗車率を少しでも高めるべく登場した電車で、オールクロスシート、冷房を装備、後には2階建ての中間車を連結した。また編成の一部車両の車内にテレビを備えていたことから「テレビカー」とも呼ばれた。40年にわたり走り続け2013年3月に京阪の路線から引退している。

 

そんな京阪3000系を大量に引き取ったのが富山地方鉄道だった。1990(平成2)年から17両が移籍している。ちなみに大井川鐵道にも2両が移籍したが、こちらはすでに引退している。

↑2階建て中間車を連結して走る10030形「ダブルデッカーエキスプレス」。車体カラーもヘッドマークも京阪当時を再現した編成だ

 

京阪は線路幅が1435mm、富山地方鉄道の路線は1067mmという違いもあり、入線の際には台車を履き替えるなど改造を施している。

 

富山地方鉄道に多くの元3000系が移籍したこともあり、同鉄道ではよく見かける存在となっている。移籍した中で異色なのが3000系の8831号中間車で、2013年に譲渡された。この8831号中間車は、富山地方鉄道の10030形では唯一の2階建て車両だ。他の10030形は2両編成だが、この8831号車を組み込んだ編成は3両編成となり、また塗装も京阪当時の色に塗り替えられた。編成名も「ダブルデッカーエキスプレス」となり、有料特急列車に使われ走り続けている。

 

編成こそ、京阪当時のような長大ではないが、3両編成になろうとも、往時の姿が楽しめるのは、鉄道ファンとしてはうれしいところだ。

 

【注目の譲渡車両⑧】意外な出身のえちぜん鉄道の主力電車

◆福井県 えちぜん鉄道MC6001形(元愛知環状鉄道100形・200形・300形)

↑えちぜん鉄道の勝山永平寺線を走る6101形。元愛知環状鉄道の電車で前後に運転台付けるなど改造され、同鉄道の主力車両として生かされる

 

福井県内を走るえちぜん鉄道。勝山永平寺線と三国芦原線の2本の路線に列車を走らせる。両線とも歴史は古い。勝山永平寺線(旧越前本線)の開業が1914(大正3)年のこと、三国芦原線が1928(昭和3)年に一部区間が開業している。両線は創業当時こそ別会社だったが、太平洋戦争中に京福電気鉄道に引き継がれている。

 

長年にわたり両線の運行を続けてきた京福電気鉄道だが、経営状態が徐々に悪化していき、2003(平成15)年に第三セクター経営方式のえちぜん鉄道が路線の譲渡を受け、今に至っている。譲渡以前の電車、路線の設備は、かなり旧態依然としていて、2000(平成12)年、2001(平成13)年と2年続きで、電車の正面衝突事故が起こっている。2回目の事故後の2001年から、えちぜん鉄道の路線に移管された2003年にかけて全線運行休止となっていた。

 

こうした経緯もあり、えちぜん鉄道になるにあたって、急きょ、古い電車の入換えが行われた。ちょうど同じ頃、愛知県内を走る愛知環状鉄道の100系が、新型車への切替え時期で、引退間近だった。この100系を引き取ったのがえちぜん鉄道だった。

 

100系は愛知環状鉄道の路線開業時の1988(昭和63)年に導入された。細かくみると3形式に分けられる。2両編成の電車が100形と200形、増結用の300形がある。えちぜん鉄道では計23両を引き取り、改造を施して入線させている。制御付随車だった200形は、運転台のみを移設用に使われた後に廃車となっている。

 

えちぜん鉄道での形式名はMC6001形とMC6101形の計14両で、同形式は1両で走れることから利用客が少ない時間帯などに有効に生かされている。

 

ちなみにえちぜん鉄道には他に2両編成のMC7000形が12両ほど走っているが、こちらは元JR東海の119系で、飯田線での運行終了後に、改造され、えちぜん鉄道に譲渡されている。両タイプは、正面の姿がほぼ同じで、見分けが付きにくいが、側面の乗降扉が1枚扉ならばMC6001形、MC6101形、2枚扉ならばMC7000形である。

 

【注目の譲渡車両⑨】全車両が阪急電鉄からの譲渡車の能勢電鉄

大阪平野の北部に妙見線(みょうけんせん)と日生線を走らせる能勢電鉄(のせでんてつ)。路線の開業は1913(大正2)年と古い。ところが開業後の翌年に早くも破産宣告を下されるなど、多難な創業期だった。1922(大正11)年に阪神急行電鉄(現阪急電鉄)の資本参加以降は、阪急色が強まり、現在は、阪急電鉄の子会社となっている。

 

阪急の子会社であり、さらに線路がつながり阪急路線内に直通電車が走るということもあり、走る電車はすべて旧阪急の電車だ。子会社とはいえ、異なる会社に移籍しているものの、これまで見てきた譲渡車両と同一には評しにくい部分もある。とはいえ今では親会社の路線で見ることができない車両も走り、阪急ファンの注目度が高い路線となっている。ここでは希少な車両のみ触れておこう。

 

◆大阪府・兵庫県 能勢電鉄1700系(元阪急2000系)

↑能勢電鉄では最も古参車両の1700系だが徐々に車両数が減りつつある。写真の1753編成(1703号車)は2019年5月に廃車となった

 

阪急の2000系として登場した電車で、誕生は1960(昭和35)年のこと。阪急での2000系単独編成は1992(平成4)年に運用が終了、他形式の中間車としてその後も使われていたが、2014年に姿を消している。

 

2000系の能勢電鉄への譲渡は1983(昭和58)からとかなり古く、1500系として走り始めた。その後に2000系を種車とした1700系が生まれ、1990(平成2)年から走り始めている。かなりの古参電車ということもあり、先輩格の1500系はすべてが引退、後輩にあたる1700系も近年は徐々に運用終了となりつつある。

 

◆大阪府・兵庫県 能勢電鉄3100形(元阪急3100系)

↑能勢電鉄でわずか4両×1編成のみの3100系。阪急マルーンの塗装に加えて、正面にステンレス製の飾り帯を付けて走る

 

能勢電鉄の希少車といえば3100系が代表格だろう。能勢3100系の元は阪急の3100系だ。同編成は1997(平成9)年に能勢電鉄に譲渡された。

 

元となる阪急の3100系は宝塚線用に造られた形式で、ほぼ同形式の神戸線用の3000系は1964(昭和39)年に登場している。以降、両形式あわせて154両と多くの車両が造られた。1960年代半ば以降、阪急の神戸線・宝塚線の輸送を支えた電車と言って良いだろう。長年にわたり走り続けてきたが、2020年2月を最後に阪急での運行を終了している。

 

阪急の代表的な車両だった3100系が今も能勢電鉄を走り続けている。車両数は少なくわずかに4両。能勢電鉄に入線してから、正面の尾灯付近にステンレス製の飾り帯を付け、能勢電鉄では目立つ電車となっている。

 

ほか能勢電鉄には5100系(元阪急5100系)、6000系(元阪急6000系)、7200系(元阪急7000系・一部6000系付随車)が移籍している。

 

【注目の譲渡車両⑩】変貌ぶりに驚かされる和歌山電鐵の電車

◆和歌山県 和歌山電鐵2270系(元南海22000系)

↑和歌山電鐵の「たま電車」。貴志駅の初代名物駅長のたまにちなんだ車両で、車体全体にたまのイラスト、正面がたまの顔となっている

 

和歌山駅〜貴志駅間を結ぶ貴志川線(きしがわせん)を運営する和歌山電鐵。岡山市を走る岡山電気軌道の子会社であり、両備グループの一員である。2006(平成18)年4月から、南海電気鉄道の貴志川線を引き継いで電車の運行を行う。

 

すでに14年の年月がたち、ネコ駅長、さらに「たま電車」「おもちゃ電車」などユニークな電車を走らせていることなど、全国にその名前が広まり、訪れる人が絶えない。ここでは、南海からの譲渡車両を中心に見ていきたい。

 

和歌山電鐵の2270系は元南海の22000系である。22000系は南海の高野線の混雑を緩和するための増結用車両として1969(昭和44)年に誕生した。高野線の看板電車は「ズームカー」と呼ばれたが、先輩格の21000系(大井川鐵道の章で紹介)に対して、混雑区間の増結用の車両ということで、「通勤ズーム」、さらに丸みがやや薄れたので「角ズーム」と呼ばれた。

 

南海は長く電車を使い続ける傾向があることもあり、同系統は今も、2200系や2230系に改造され、南海の路線で走っている。ちなみに高野線を走る観光列車2200系「天空」も22000系を改造した電車だ。

↑地元・和歌山の特産「南高梅」から作られる梅干しをモチーフに生まれた「うめ星電車」。和歌山電鐵運行開始10周年を記念して走り始めた

 

和歌山電鐵には同22000系の2両×6編成が、路線の引き継ぎに合わせて譲渡された。そして水戸岡鋭治氏のデザインにより刷新された。1編成ごとに外観や車内の設備を変更し、「たま電車」、「おもちゃ電車」、「うめ星電車」、「いちご電車」などに生まれ変わっている。

 

電車をここまで思いきったリニューアルさせる、いわば水戸岡ワールド全開の電車たち。やはり地方の路線を存続させるためには、こうした思いきった策が必要であることを、今さらながら示してくれた成功例と言って良いだろう。

 

【注目の譲渡車両⑪】元名古屋の地下鉄電車が讃岐路を走る

◆香川県 高松琴平鉄道600形(名古屋市交通局250形・700形など)

↑志度線の600形が瀬戸内海沿いを走る。元の車両が地下鉄用の中間車を改造されたこともあり、平坦な正面の形をしている

 

最後にちょっと珍しい譲渡車両が四国を走るので見ておこう。高松琴平電気鉄道(以下「琴電」と略)は高松を中心に、琴平線、長尾線、志度線(しどせん)の3路線を走らせている。この琴電に、他所であまり見かけない電車が走っている。

 

琴電の主力の電車といえば、主に元京浜急行電鉄の電車が多い。1070形(元京急6000形)、1080形(元京急1000形)、1200形(元京急700形)、1300形(元京急1000形)などといった具合だ。さらに元京王電鉄の5000系(初代)が1100形として走る。

 

琴平線、長尾線、志度線に正面が平坦で、車体の長さが他の電車よりも短い電車が走っている。この電車はどこからやってきた電車なのだろうか。この電車は琴電600形で、元名古屋市交通局(名古屋市営地下鉄)の250形などだ。

 

名古屋市営地下鉄の東山線を走っていた電車で、1965(昭和40)年の登場時には、それまで東山線を走っていた100形、200形の中間増備車として64両が製造された。100形、200形に比べて後から造られたこともあり、この中間車を活かそうと、生まれたのが250形だった。250形は地下鉄車両としては異色の中間車に運転台を付けた電車だった。

 

そのために正面が平坦な形となっている。250形は1983(昭和58)年から18両が改造を受け、東山線を走った。1999(平成11)年まで使われた後、琴電に譲渡されている。

↑車体の長さが15mと短い長尾線の600形。各扉に乗降用のステップがついているところが長尾線、琴平線を走る600形の特徴

 

名古屋市営地下鉄250形はサードレールから電気を取り入れる方式の電車だったために、琴電に移籍するにあたって、パンタグラフを取り付け、さらに冷房装置を付けるなどの改造工事が行われている。ほか名古屋市営地下鉄の700形・1600形・1700形・1800形・1900形の同形タイプの電車も運転台を取り付けられて、琴電600形となった。ちなみに名古屋市営地下鉄の東山線と、琴電の路線の線路幅は同じ1435mmで琴電用に改造は必要なものの、共通点があったこともこの電車が譲渡された一つの要因となったようだ。

 

琴平線や長尾線を走る電車の大半は車体の長さが18mの車両だ。しかし、600形のみ車体の長さが15.5mと短い。同路線を走る電車の中ではかなり特異な存在となっている。

 

◆香川県 高松琴平鉄道700形(名古屋市交通局300形・1200形)

↑志度線を走る700形。600形と比べると丸い姿で、地下鉄を走った当時の姿を色濃く残す。前照灯の形状といいレトロ感満点の電車だ

 

志度線には平坦な600形が正面に比べて、丸い顔立ちをしている電車も走っている。こちらは700形で、名古屋市交通局の300形と1200形が種車となっている。

 

300形は250形と同じく東山線を走った電車で、1200形は名城線・名港線を走っていた。この先頭車が琴電用に改造されて使われている。丸みを帯びた独特な姿で、琴電に入線するにあたって冷房装置を取り付けるために、名古屋時代に比べると、前頭部がやや削られた状態になっている。それでもかなり丸みを帯びたレトロな形状の電車で、当節あまり見かけない趣のある顔立ちとなっている。