乗り物
2020/10/18 18:30

1960年竣工の「貨物船」から商船の興味深い歴史をひも解く

【貨物船再発見⑤】1960年に竣工した代表的な船を見る

さて前降りが長くなったが、今回の企画展、1960(昭和35)年に竣工した貨物船に関して触れてみたい。

 

1960(昭和35)年という年はどのような年だったのだろうか。政治では池田勇人内閣が誕生し、「国民所得倍増計画」を打ち出した。ここから高度経済成長への道がスタートしたわけだ。この年にアメリカと「日米新安保条約」を調印している。人口は1億人に達しない9341万8501人で、5年前に比べて414万人増加した。

 

一方、三井三池炭鉱争議が起き、石炭から石油へのエネルギー転換の真っ盛りだった。安保闘争も激化していた。世情は多少の混乱はあったものの、政治主導の成長経済へ変わりつつあり、日本経済の飛躍を遂げつつある時代だった。そんな時代に造られた船舶はどのような特徴を持っていたのだろうか。

↑1960年に竣工のMクラス貨物船「三原丸」。当時の荷物の積み下ろしは、はしけを多く使っていたことがわかる

 

1960年という年は船にとって大きな転機となった年でもある。同時代の日本郵船の貨物船は、同形船ごとにアルファベット別にAクラス、Iクラス、Sクラスなどのクラス別に分けられ、それぞれ日本名も、Aクラスならば「有馬丸」、「有田丸」、Iクラスならば「伊勢丸」「伊豫丸」、Sクラスならば「瀬田丸」、「隅田丸」というように船名が付けられていた。また日本郵船では新造船を用意するだけでは間に合わず、「平戸丸」「双栄丸」といった他社からの購入船も揃え、急造していく輸送量に対応している。

 

ちなみに1960年に竣工した船が多いSクラスは平甲板型の高速貨物船である。例えば「瀬田丸」は最高速力が20ノット(時速37.04km)を越え当時の商船としてはかなりの快速を誇る。

↑Sクラス貨物船「瀬田丸」。総トン数9271.65トンで、三菱造船長崎造船所で造られた

 

【貨物船再発見⑥】専用の運搬船も造られるように

貨物船では高速な船が出現する一方で、各種の専用船が導入されていった時代でもある。重量運搬船や、鉱石専用船、原油タンカーなども次々に竣工していった。要は汎用性の高い貨物船から、積み荷に合わせた専用船が多く取り入れられ、多角化していったその分岐点が1960年だった。この専用船の導入は、エネルギー源が石炭から石油へ転換していったことも大きかった。

↑台湾バナナの輸送に従事した貨物船「玉山丸」(左)と、原油タンカー「水島丸」の進水式風景。いずれも1960年竣工の日本郵船の船だ

 

この1960年当時の商船の外観を見ると艦橋、またはブリッジとも呼ばれる船の操舵室などがある部分が、船の中央部にある貨物船が多い。

 

しかし、その後に登場し始めた貨物船は積み荷を載せやすくするように、また重量物運搬船、鉱石運搬船といった船は、前方に運搬物を載せやすくするために、ブリッジを中央から後方にずらす船が表れている。このあたりの姿形の変化も興味深い。

↑重量物運搬船の「若戸丸」。甲板に載せた重量物は何だろう。同船は甲板にあるヘビーデリックで重量物の積み下ろしを行った

 

なお、重量物運搬船として1960年に竣工した「若戸丸」は、甲板上にデリック(荷役作業用のクレーンの一種)が設けられていた。この装備は世界でもトップクラスのつり上げ能力を誇ったとされる。港湾にクレーンがなくとも、重量物の積み下ろしが可能だった。同船は日本と欧州、インド、南米東岸などへの航路で活かされていた。

 

こうした専門性を持つ船が次々に導入が計画され、1960年竣工の貨物船に目立ち始めたわけだ。ちなみに日本郵船では、初の原油タンカー「丹波丸」を1959(昭和34)年に、1962(昭和37)年には日本初の大型LPG専用船「ブリヂストン丸」。1968(昭和43)年に日本初のフルコンテナ船「箱根丸」を就航させている。1960年以降、海運業界は大きく変わっていったのだった。

 

【貨物船再発見⑦】1960年は客船の氷川丸が引退した年だった

太平洋戦争中にも戦禍をくぐりぬけ生き延びた日本郵船の“幸運な船”といえば「氷川丸」である。ちょうど1960年に引退している。この氷川丸引退により日本郵船は客船事業から撤退することになった。

 

1950年代に新型ジェット機が次々と登場しはじめていた。その後に、世界の航空会社から採用されることになるボーイング707は1957(昭和32)年に初飛行をしている。ダグラスDC-8も翌年に初飛行を行った。ちょうど1960年ごろは、飛行機を使っての海外旅行が、一部のセレブ向けの旅から一般大衆化が始まったころだった。もう客船を使っての海外旅行は、流行らない時代となっていたわけである。その後にクルーズ客船の旅が人気となっていくが、それは30年も後のことになる。

 

氷川丸は現在「日本郵船氷川丸」として公開されている。

 

■日本郵船氷川丸(横浜市中区山下町山下公園地先)

↑1960年に引退し、山下公園に係留される氷川丸。国の重要文化財に指定され、現在は博物館として公開されている(データ参照)

 

開館時間10〜17時(最終入館16時30分)
休館日月曜(祝日の場合は翌平日)
臨時休館日:1/4〜2/28休
入館料300円
※日本郵船歴史博物館とのセット券あり(500円)
交通みなとみらい線・元町・中華街駅4番出口から徒歩約3分

 

余談ながら、日本郵船はそうした航空機の隆盛をじっと眺めていたわけではない。1978(昭和53)年に成田空港が開港した同じ年に、日本貨物航空株式会社の発足に参加している。時間がかかったものの1985(昭和60)年に初飛行が実現している。現在、日本貨物航空は日本郵船グループの一般貨物輸送事業に携わる一企業となっている。

 

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