乗り物
鉄道
2022/1/29 6:00

三セク鉄道の優等生「甘木鉄道」の気になる10の逸話

【気になる甘鉄⑦】太刀洗駅の駅名のいわれは?

松崎駅、今隈駅(いまぐまえき)と徐々に乗客が増えてくる。車窓には畑が見えるようになってきた。

 

西太刀洗駅(にしたちあらいえき)、山隈駅(やまぐまえき)と進行方向の左側には広々した畑が広がる。そして太刀洗駅(たちあらいえき)に到着した。入口は小さいが、無人駅ながら駅舎も残る。

 

駅舎の前、その頭上には元航空自衛隊の練習機T-33が飾られている。また駅舎内は「太刀洗レトロステーション」という民間の展示施設(有料)になっていた。

↑太刀洗駅(右上)の駅前から南側を望む。国道500号を挟んだ先には「大刀洗平和記念館」がある

 

太刀洗駅の南側、駅前を通る国道500号の先には筑前町立の「大刀洗平和記念館」がある。戦前にこの地にあった大刀洗飛行場の概要や、終戦間際に行われた特攻隊の出撃、さらに特攻攻撃に用いられた陸軍九七式戦闘機などが展示されている。

 

同施設の南側にはキリンビールの福岡工場がある。こちらの工場は大刀洗飛行場の跡地に造られたそうだ。ちなみに、同工場は見学が可能で、ビールのテイスティング体験なども楽しめる。

 

なお地元の町名は大刀洗町となっている。明治期、官報に村名が誤記載され、それ以来、「太刀洗」と「大刀洗」の2通りの地名が混在しているのだという。

 

さて、太刀洗という文字を見るに〝いかにも〟という駅名なのだが、どのようないわれがあるのだろうか。

↑太刀洗駅を発車するAR304。後ろには脊振山地(せふりさんち)が見えた

 

大刀洗の地名は、文字が示すように刀を洗ったという伝説を元にしていた。歴史をひも解くと、14世紀にこの地で南北朝時代、九州史上最大の合戦と言われる「筑後川合戦」があった。南朝、北朝が地元の豪族たちを巻き込んで行われた戦いで、総勢10万人というからなかなかの規模の戦いだったようだ。その戦いで南朝方の武将、菊池武光が川で刀に付いた血のりを洗ったことから大刀洗になったのだという。

 

大刀洗の言われよりも、この地で10万人という軍勢がぶつかった戦いがあったことに興味を覚えた。

 

【気になる甘鉄⑧】甘鉄の路線に近づいてくる線路は?

太刀洗駅まで来ると、もう終点が近い。各駅で多くの中高生が乗車してきたのだが、その様子にちょっと驚いた。乗車する中高生たちは、非常に静かだった。コロナ禍ということもあったのだろうか。みな進行方向を向き、車両の通路に列を作って整然と立っていた。学校の指導方針が浸透しているのかも知れない。

 

太刀洗駅の次の駅、高田駅を過ぎると、県道を立体交差するために設けられた堤を上る。上りきると、右から線路が一本見えてきた。大きくカーブして甘木鉄道の線路に近づいてくる。一度近づいた線路なのだが、交差や平行することもなく再び遠ざかっていく。

 

この線路は西鉄甘木線で、西鉄天神大牟田線の宮の陣駅と甘木駅間の17.9kmを走る。

↑高田駅〜甘木駅間を走る列車。手前の線路が西鉄甘木線の線路。このように近づいた線路だが、また離れて終点の甘木駅へ向かう

 

線路はこの先で小石原川を渡り、鉄橋を通りそれぞれの終点駅、甘木駅へ向かう。

↑前述の甘木鉄道と西鉄甘木線が最も近づく箇所のすぐ東側にかかる小石原川橋梁。この橋梁を渡れば終点の甘木駅までもうすぐだ

 

【気になる甘鉄⑨】風格ある造りの終点・甘木駅に到着した

起点の基山駅から27分ほどで終点の甘木駅に着いた。朝の列車だったこともあり、中高生が多く乗車していたが、降りる時にも騒ぐことなく静かに降りて行く。そのほとんどが、駅舎を通らずにホームの先へ向かい、車庫の横を通りすぎて、学校へ向かう。日々、歩き慣れた道といった趣だ。

 

よそから来た人間にとって、鉄道の敷地との境界がはっきりしない場所を通ることに違和感を感じたが、地元の人たちにとって、これが当たり前のルートのようだった。

↑甘木鉄道の甘木駅。駅舎内に同鉄道の本社がある。鉄印もこちらで扱われる。甘鉄で唯一の有人駅だ

 

甘木駅の駅舎は甘木鉄道の路線内ではもっとも立派だ。実は11駅ある甘木鉄道の駅で唯一の有人駅なのである。徹底して合理化されているわけだ。

 

この甘木鉄道には「甘木鉄道を育てる会」という応援グループもある。本部は甘木鉄道にあるものの、選任の職員はおらず一般会員(ボランティアスタッフ)により運営されている。「のりたい甘鉄」というホームページを設け、沿線さまざまなガイドを行っている。さらにイベント、七夕列車などの運行支援、清掃活動などの多技の活動をしている。

 

こうした活動を見ると地元では〝私たちの甘鉄〟といった思いを強く感じる。乗って支えるという意識が地元の人たちに強いように思った。

↑こちらは西鉄甘木線の甘木駅。甘木駅は西鉄の駅の方が簡素だ。右下は西鉄甘木線で運行される西鉄7000形

 

甘木駅に降りたあと、西鉄の甘木駅を訪ねてみた。甘木鉄道と西鉄の甘木駅は約200m離れている。歩けば3分の距離だが、どちらも「甘木駅」だ。小郡駅のように、甘木鉄道が小郡駅、西鉄が西鉄小郡駅と変えているようなことは、こちらではない。

 

ちなみに、西鉄の甘木駅は1921(大正10)年12月8日に三井電気鉄道という会社の駅として誕生した。1942(昭和17)年に西日本鉄道(西鉄)に合併、同社の駅となっている。

 

国鉄甘木線の開業よりも前なので、駅名も変えなかったのかも知れない。国鉄の甘木線開業当時には甘木駅は「あまき」と読んだそうだ。西鉄の駅との違いを強調したかったのだろうか。とはいえ、「あまき」は地元からも受け入れられなかった様子で、5か月後に「あまぎ」に改称されている。このあたりの経緯も興味深い。

 

甘木駅から西鉄福岡駅(天神)へ両鉄道を使った場合の差を見てみよう。甘木鉄道を利用した場合には52分(列車乗車のみの時間)、対して西鉄甘木線を利用した場合は1時間11分(前記と同じ)かかる。乗り継ぎがよければ、西鉄甘木線でも所要時間はあまり変わらないが、駅近辺の人の動きを見ると、甘木鉄道への乗客の方がより多いように見えた。

↑甘木駅構内にある車庫。右に検修庫とともに給油施設などが設けられている

 

  1. 1
  2. 2
  3. 3
  4. 4