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2022/8/13 21:00

田んぼ&歴史+景勝地「秋田内陸縦貫鉄道」の魅力にとことん迫る

【内陸線の旅③】旧町名を残す起点の鷹巣駅

内陸線の旅をする時、首都圏や仙台方面から便利な角館駅から乗車する人が多いかと思う。だが、本稿では路線の起点でもある鷹巣駅から旅を楽しみたい。鷹巣側のほうが路線の歴史も古く、エピソードも事欠かない。

 

起点の鷹巣駅は、JR奥羽本線の鷹ノ巣駅と接続している。JR東日本と内陸線の駅舎は別々になっているが、ホームはつながっていて、駅舎を出なくとも、内陸線の列車に乗車することができる。

 

余談ながらJR奥羽本線の鷹ノ巣駅の1番ホームにはレンガ建築の「ランプ小屋」がある。明治32年築と建物に「建物財産標」のプレートが付けられてあり、同駅が1900(明治33)年に開業していることから開業前に建ったようだ。ランプ小屋は、当時の客車の照明用ランプに、補充する灯油を保管していた。歴史ある鉄道遺産が今も残されていたのである。そんな駅舎を出て、右手に回ると、内陸線の鷹巣駅舎がある。

↑JR奥羽本線の鷹ノ巣駅の駅舎。この駅舎裏に明治期建築のランプ小屋(右上)が残る。ランプ小屋が残る駅は非常に希少だ

 

JR東日本の駅は鷹ノ巣駅、内陸線の駅は鷹巣駅となっている。なぜ駅の表記が異なるのだろうか。

 

国鉄阿仁合線と呼ばれていたころは、国鉄の同一駅だったので鷹ノ巣駅という表記だった。当時、駅があったのは鷹巣町(たかのすまち)で、1989(平成元)年4月1日の秋田内陸縦貫鉄道の全線開通に合わせて、同線の駅は町名に合わせて鷹巣駅と改称された。後の2005(平成17)年に鷹巣町は北秋田市となった。そのため鷹巣の名前は、旧鷹巣町を示す地元の大字名と駅名に残るのみになっている。

 

北秋田市は4つの町が合併したこともあり、その面積は広く、内陸線の路線も、鷹巣駅から18駅先の阿仁マタギ駅まで北秋田市に含まれる。その南側は仙北市(せんぼくし)となる。29の駅が北秋田市と仙北市の2つの市内に、すべてあるというのもおもしろい。

↑ロッジ風の駅舎の秋田内陸縦貫鉄道の鷹巣駅。この日、駅に入線してきた車両はAN-8801だった(右上)

 

JR東日本の秋田方面行き1番線ホームの西側に内陸線のホームがある。ホームに停車していたのはAN-8801黄色の車両だった。「秋田内陸ワンデーパス全線タイプ(有料急行も乗車可能)」2500円を購入したかったのだが、朝6時59分発の始発列車に乗車しようとしたこともあり、鷹巣駅の窓口は閉まっていた(窓口は7時20分から営業開始)。なお、車内ではこのワンデーパスは発売していない。

 

週末、しかも朝一番の列車ということで乗客も6人ほどと少なめだった。ディーゼル音を響かせつつ、鷹巣駅を発車する。しばらくは奥羽本線と平行して走り、間もなく左カーブを描く。広々した田園風景に包まれるように走り、西鷹巣駅を過ぎたら大きな川を渡る。こちらは米代川(よねしろがわ)だ。

 

【内陸線の旅④】早速、名物「田んぼアート」が乗客を歓迎!

川を越えて間もなく、テープの車内アナウンスではなく、運転士によるアナウンスがある。何かと思って耳を傾けると、次の縄文小ヶ田駅(じょうもんおがたえき)で、「田んぼアート」が楽しめることを伝えるものだった。

 

田んぼアートとは、田んぼをキャンバス代わりに色の異なる稲を植え、巨大な絵や文字を作るアートで、全国で行われているが、特に北東北各県で盛んだ。

 

多くが道の駅や観光施設などに隣接した田んぼで披露される。内陸線では鉄道車両からこの田んぼアートが楽しめる。しかも5か所で。こうした試みは珍しい。内陸線では沿線の有志が協力し、列車の乗車率を高めようと田んぼアートで協力しているわけである。

↑この夏の内陸線の4か所の田んぼアートを紹介したい。鷹巣駅から2つめの縄文小ヶ田駅の田んぼアートは左上のもの

 

縄文小ヶ田駅から見えたのは「秋田犬といせどうくんと笑う岩偶」と名付けられた作品だ。内陸線沿線は秋田犬の故郷らしく、秋田犬が登場するアートが多かった。

 

ちなみにいせどうくんとは、縄文小ヶ田駅近くの伊勢堂岱遺跡から出た土偶をモチーフにしたキャラクター。岩偶(がんぐう)は縄文時代後期の石製の人形のことだ。田に描かれたどの作品も、植えられた色違いの稲が作り出したとは思えないほど、見事なものだった。内陸線の田んぼアートは6月上旬から9月上旬まで楽しむことができる。

 

【内陸線の旅⑤】路線そばに縄文遺跡さらに防風雪林にも注目!

縄文小ヶ田駅付近から少しずつ上り始めるが、このあたりは米代川の河岸段丘の地形にあたる。駅を過ぎるとすぐに木々が生い茂った森林の中へ列車は入っていく。

 

このあたり、古い歴史を持つエリアだ。路線の進行左手すぐのところに田んぼアートでもテーマになった伊勢堂岱遺跡がある。内陸線(当時は阿仁合線)の新設工事でも縄文時代の土器などが出土したそうだ。ここは縄文時代の葬祭場だったと推測される遺跡で、国内でも珍しいそうだ。

 

次の大野台駅まで秋田杉やブナの林が続く。こちらも古い歴史を持つ森林だ。この付近は秋田藩の御留山(おとめやま)と呼ばれる場所で、秋田杉を計画生産していた地域だった。藩の重要な財源でもあった秋田杉は大事に育てられ、御留山ではみだりに伐採できないとされた。そうした藩政時代の歴史が残る森林なのである。

 

大野台駅もホームが森林に面している。背の高い秋田杉を中心にした森林で、前述したエリアと同じように古い時代に防風雪林として植えられたもののようだ。

↑大野台駅の周辺は写真のように木々が生い茂る一帯が続く。この付近には秋田藩の藩政時代に植えられた秋田杉やブナ林が残る

 

そんな樹林帯が大野台駅から合川駅(あいかわえき)付近まで続く。合川駅から先、上杉駅、米内沢駅と列車の進行方向左手に森林、路線に平行して集落とケヤキ並木、阿仁街道(現在の県道3号線)が続く。そして右手に田園が続く。

 

調べると、この地域の北側に大野台台地があり、台地の南縁に総延長4〜5kmにわたる防風雪林が設けられていた。街道筋に連なる集落は「並木集落保存地区」、田園は「農地保存地区」として保存地区とすることが市により検討されていることも分かった。要は古くに植えられた防風雪林により、長い間、集落と街道、農地が守られてきた一帯だったのである。

 

並木集落保存地区の南端にあたる米内沢駅は、阿仁合線が誕生した最初の終端駅で、この駅から路線が徐々に延ばされていった。

↑旧阿仁合線は最初に鷹ノ巣駅から米内沢駅まで線路が敷かれた。今は使われていない屋根付きホームがぽつんと残る(右上)

 

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