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2022/8/13 21:00

田んぼ&歴史+景勝地「秋田内陸縦貫鉄道」の魅力にとことん迫る

【内陸線の旅⑥】鉄道&歴史好きならば阿仁合駅での下車は必須

米内沢駅を過ぎると、左右の山が急にせまり始める。狭隘な土地を阿仁川(あにがわ)が蛇行して流れ、狭い土地に田が広がる。そんな一帯を、路線は川に沿って走り続ける。米内沢駅までは駅と駅の間があまり離れていなかったが、以降の桂瀬駅、阿仁前田温泉駅は駅間が5km以上あり、それだけ沿線に民家が少なくなったことがわかる。前田南駅、小渕駅とさらに阿仁川が迫って走るようになり、ややスピードを落としつつ列車は上り坂を進んでいく。

 

そして内陸線の中心駅でもある阿仁合駅へ到着する。鷹巣発の列車は阿仁合止まりが多い。急行列車や夕方以降の列車を除き、この駅で10分程度の〝小休止〟を取る列車や、燃料の給油のため、車両交換になる列車も目立つ。逆に角館発の上り列車は、この〝小休止〟の時間が短いので注意が必要だ。

 

この阿仁合駅には前述した内陸線資料館や車庫がある。さらに「鉄印」もこの駅で扱っている。売店や休憩スペース、レストランなどもあるので、小休止にぴったりの駅である。ちなみに、筆者は途中の大野台駅で下車、次の列車に乗車して9時10分、阿仁合駅に到着した。9時15分発の急行列車に乗り継げたのだが、同駅でぶらぶらしたいこともあり、その後の列車を待つことにした。

↑三角屋根の阿仁合駅駅舎。1階にはトレインビューカウンターや洋食レストラン、お土産売り場などが設けられ、小休止にも最適

 

とは言っても次は11時30分発と、2時間以上の時間をつぶすことが必要となる。駅周辺をぶらつくものの、時間が余ってしまう。そこで駅舎内2階にある「北秋田森吉山ウェルカムステーション」へ。そこには駅ホームと車庫が見渡せる休憩スペースがあった。

 

この休憩スペースからは車庫で入れ替えを行う車両が一望できて飽きない。

↑阿仁合駅の2階の休憩室から望む内陸線の車庫。次の列車の準備のため、間断なく車両の出入りが行われていた

 

歴史好きには、町歩きもお勧めだ。阿仁合の駅周辺は市が「鉱山街保存地区」の指定を検討しているエリア。駅から徒歩5分のところには1879(明治12)年築の煉瓦造り平屋建ての「阿仁異人館・伝承館」がある。阿仁鉱山の近代化のために来山した鉱山技師メツゲルの居宅として建築された建物で、県と国の重要文化財に指定されている。筆者も本稿を書くために調べていて、この情報に触れたのだが、次回は訪れてみたいと思う。開館時間は9時〜17時までで入館料400円、毎週月曜日休館(祝祭日の場合は翌日休)となる。

 

阿仁合駅に降りてたっぷりの休憩時間を過ごし、11時30分発の列車に乗車する。とはいっても、次は2つ先の萱草駅(かやくさえき)で降りる予定。路線に平行して走るバス便もほぼなく移動に苦労する。

 

【内陸線の旅⑦】萱草駅近くの名物鉄橋の撮影はスリル満点!

阿仁合駅を発車し、荒瀬駅、萱草駅とホーム一つの小さな駅が続く。萱草駅で下車すると、徒歩12分ほどのところに景勝地、大又川橋梁がある。駅に掲げられた貼り紙やポスターには日本語以外の橋のガイドもあり、訪日外国人も、多く訪れていたことがわかる。猛暑となったこの日はさすがに降りる人がいなかった。

 

内陸線を代表する風景として阿仁川に架かる大又川橋梁の写真がPRに使われることが多い。多くが平行して架かる国道105号の萱草大橋の歩道から撮影したものだ。筆者も川の流れが見える定番の位置を目指したのだが、国道に平行して架かる電線が垂れ下ってきていて断念。やや駅側の位置で列車を待つ。

↑大又川橋梁156mを渡るAN-8808「秋田またぎ号」。列車も同橋梁を渡る時はスピードを落としてゆっくりと渡る

 

大又川橋梁と同じように国道の萱草大橋は川底からかなり高い位置に架かる。手すりなどもしっかりしているものの、見下ろすとスリル満点。極度の高所恐怖症の筆者は、1本の列車を撮影しただけで腰が引けてしまい、早々と引き上げるのだった。ちなみに国道の萱草大橋の下に旧道の橋が架かるのだが、そちらへ向かう道は閉鎖となっていた。下から見上げるアングルならば、高所恐怖症を感じることなく、撮影できただろうにと思うと残念である。

 

【内陸線の旅⑧】笑内の読みは「おかしない」。その語源は?

萱草駅でまた2時間ほど次の列車を待つ。内陸線は朝夕がおよそ1時間に1本の列車本数だが、日中は次の列車が1時間半から2時間、空いてしまう時間帯が多く途中下車がつらい。もし途中下車する場合には、綿密なスケジュールをたててからの行動をおすすめしたい。さて萱草駅の次は笑内駅だ。笑内と書いて、「おかしない」と読む。

 

アイヌ語の「オ・カシ・ナイ」が語源とされ、意味は「川下に小屋のある川」という意味だそうだ。この駅の近くに流れる阿仁川にちなんだ言葉だったわけだ。オ・カシ・ナイにどうして「笑」と「内」をあてたのか、昔の人が当て字を考えたのだろうがなかなかのセンスと思う。

↑笑内駅(左上)のすぐ目の前には「ひまわり迷路」が設けられている。「どこでもドア」風にピンクの出入り口があった

 

ちなみに笑内駅には8月中旬までの限定で「ひまわり迷路」が設けられている。今年、楽しめるのはあとわずかな期間だが、お好きな方はチャレンジしてみてはいかがだろう。

 

【内陸線の旅⑨】比立内駅の近くには転車台の跡があった

筆者は行程の最後の下車駅に比立内駅を選んだ。この駅は阿仁合線だった当時、終点だった駅で何か残っているのでは、と思ったからである。比立内駅ができたのは1963(昭和38)年10月15日のこと。当時はSLで列車牽引が行われていた。阿仁合線ではC11形蒸気機関車が走っていて、タンク機関車のため帰りはバックのままの運転も可能だったが、距離が鷹ノ巣駅まで46kmあったため、この駅に転車台が設けられた。

↑比立内駅の近くに設けられた転車台の跡地。左手奥の道の先に比立内駅がある。右下は比立内駅の駅舎

 

その転車台の跡が比立内駅の近くに残されていた。転車台そのものは残って無いが、跡地は空き地となり全面アスファルト舗装されていた。何も使われていない、ただの空き地だが、SLの運転のためにこうして敷地を用意して機械を導入して、と大変だったことが分かる。

 

阿仁合線のSLは1974(昭和49)年3月に運転が終了している。わずか10年しか使われずに転車台は不用になったわけで、何とももったいない話である。転車台跡を見た後は、多少の時間があったので、近くの「道の駅あに・マタギの里」で小休止、上り列車を撮影して駅へ戻る。

 

道の駅の名前になっているように、北秋田のこの付近は「マタギの里」である。マタギとは、伝統的な方法を使い集団で狩猟を行う人たちを指す。現在、猟を行う人たちは減っているものの、この北秋田の阿仁地方では、マタギ文化が今も伝承され、また地域おこしとして活かす取り組みが行われている。

↑「道の駅あに・マタギの里」近く、ヒメジョオンが咲く畑を横に見ながら上り列車が走る

 

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