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2022/9/3 21:00

意外に知らない「青梅線」10の謎解きの旅〈前編〉

おもしろローカル線の旅94〜〜JR東日本・青梅線(東京都)その1〜〜

 

東京の郊外を走る青梅線。立川駅から青梅駅までは住宅地や畑が連なり、その先、奥多摩駅まで「東京アドベンチャーライン」の愛称で親しまれている。130年近い歴史を持つ青梅線には、不思議な短絡線や、謎の引き込み線もある。意外に知られていない一面を持つ青梅線の謎解きの旅を楽しんでみた。

*取材は2019(令和元)9月〜2022(令和4)年7月10日に行いました。一部写真は現在と異なっています。

 

 

【青梅線の謎を解く①】戦前発行の路線ガイドに隠された秘密

青梅線の概要をまず見ておこう。

路線と距離JR東日本・青梅線:立川駅〜奥多摩駅間37.2km 全線電化、
立川駅〜西立川駅間は三線、西立川駅〜東青梅駅は複線、ほか単線
開業1894(明治27)年11月19日、青梅鉄道により立川駅〜青梅駅間18.5kmが開業
1944(昭和19)年7月1日、氷川駅(現・奥多摩駅)まで延伸
駅数25駅(起終点駅を含む)

 

今から128年前に誕生した青梅線は、青梅鉄道により路線が造られた。開業当時は軽便鉄道で線路幅は762mmだった。拝島駅から分岐する五日市線がそうだったように、東京郊外で産出される石灰石やセメントの貨物輸送を主な目的に造られた。青梅駅から先は多摩川沿いに延ばされていった。

 

1895(明治28)年12月28日には日向和田駅(ひなたわだえき)まで、1920(大正9)年1月1日に二俣尾駅(ふたまたおえき)まで路線が伸びている。軌間は1908(明治41)年に1067mmに改軌され、また1923(大正12)年に全線が電化されている。

 

そんな時につくられたのが下記の青梅鉄道の路線ガイドである。当時の人気絵師であり、鳥瞰図作りの作家でもあった吉田初三郎が制作したもので、当時の沿線の様子が非常に分かりやすく描かれている。

↑開くと横に76cmほどの「青梅鉄道名所図絵」。大正末期のもので、沿線の様子が克明に記されていて非常に分かりやすい。筆者所蔵

 

今も人気の吉野梅郷(よしのばいごう)が大きく描かれるとともに、終点の二俣尾駅周辺にあった浅野セメントの石灰石採掘所が詳しく描かれている。吉田初三郎は、鳥瞰図を作る場合に、必ず現地を訪れて書いたとされる(本人が行けない場合は弟子が訪れた)。小型カメラなどがなかった時代、大変だったと思われるが、鳥瞰図により当時の様子が再現され、今見てもおもしろい。

 

青梅鉄道は1929(昭和4)年5月3日に青梅鉄道から青梅電気鉄道と社名を変更。さらに、その年の9月1日に御嶽駅(みたけえき)まで路線を延伸している。そんな青梅電気鉄道時代の春用、秋用のパンフレットが下記のものだ。

↑上が春のもの、下が秋のもの。秋のパンフレットの方が、制作が古いと思われ、お洒落な雰囲気が感じられる。筆者所蔵

 

吉田初三郎作のパンフレットほど豪華さはないが、それぞれ広げると横幅30cmほどで持ちやすいサイズに作られている。細かさは初三郎の鳥瞰図には劣るものの、秋の紅葉や春の新緑などの表現がしっかり描かれている。

 

おもしろいのは時代背景が感じられること。秋のパンフレットは表紙が背広姿の男性と和装の女性の2人が川沿いを散策する姿。対して春のパンフレットは景色のみのシンプルなものになっている。秋のパンフレットは、昭和5年〜10年ぐらいのもの、春のパンフレットは昭和10年代以降のものだと思われる。昭和初期の作のほうがデザインもお洒落で、まだ余裕があった時代らしい作りだ。青梅鉄道のパンフレットは、本稿で以前に取り上げた五日市鉄道(現・五日市線)に比べて多く残されている。それだけ観光路線としても、人気が高かったのだろう。

 

その後、太平洋戦争に突入すると、青梅電気鉄道も軍国主義の荒波にのまれていく。御嶽駅から先は奥多摩電気鉄道という会社が鉄道路線の延伸工事を進めていたが、青梅電気鉄道とこの奥多摩電気鉄道が1944(昭和19)年4月1日に国有化され青梅線になる。当時の国有化は半ば強制で、支払いは戦時国債で行われた。戦時国債の現金化は難しく、戦後は超インフレで紙切れ同然となっている。太平洋戦争後も元の会社に戻されることはなかった。

 

青梅線の延伸は1944(昭和19)年7月1日に氷川駅までの工事が完了し、全通している。戦時下の物資乏しい中にもかかわらず、軍部がセメントを重要視していたこともあり、路線はいち早く延ばされた。多摩川の上流部に石灰石が多く眠っていたためである。

 

【青梅線の謎を解く②】50年前に青梅線を走った電車は謎だらけ

戦後、落ち着きを取り戻した昭和30年代となると、青梅線は東京から気軽に行くことができる行楽地として脚光を浴びる。週末は御岳山などに登るハイキング客で賑わった。筆者の父もハイキングが好きで、やや無理やりに連れていかれたが、そんな時には、沿線で電車や機関車を撮ることを楽しみにしていた。そんな写真が下記のものだ。

↑1970(昭和45)年ごろの青梅線で撮影した写真。旧型国電とともに電気機関車や蒸気機関車の姿も見ることができた

 

今から半世紀前のものになるが、青梅線にはまだオレンジの101系などは走っておらず、こげ茶色の「旧型国電」と呼ばれる電車だった。当時の青梅線は、古い電車の宝庫だったわけである。

 

この旧型電車は、今調べると非常に分かりにくい。現在のように、体系化されておらず、昭和一桁から戦後間もなくの物資がない時代に、車両数を増やすことを主眼に製造された。整理してみると青梅駅〜立川駅では20m車両の72系(73系と呼ばれることも)や40系が多く走り、それより先は17m車の50系が多く見られたように記憶している。何しろ、異なる形の車両が〝ごちゃまぜ〟で走っていることもあり、車両形式をメモするなどしていないこともあり、筆者の記憶もやや怪しい。

 

青梅線ではこれらの旧型国電が1978(昭和53)年まで走り続けた。他線に比べてもかなり長く生き続けたわけである。旧型国電の姿とともに、青梅線全線で見られたのはED16形電気機関車が牽引する鉱石運搬列車、さらに拝島駅では八高線にSLが走っていたこともありD51やC58の姿を見ることができた。

 

現在、青梅線を走る電車も見ておこう。主力はE233系基本番台で、区間ごとに6両(一部は4両)、10両の電車が走る。2024年度末以降にはグリーン車付き電車も運行予定で、立川駅〜青梅駅のホーム延伸工事も進められている。

 

ほか定期列車として走るのがE353系特急形電車で、平日の朝と夜に特急「おうめ」として東京駅〜青梅駅間が運転されている。

↑通常の電車はE233系0番台だが、一編成のみ「東京アドベンチャーラインラッピング」車両も青梅線内を走る(左上)

 

青梅線には貨物列車が今も走っている(詳細後述)。石油タンク車はEF210形式直流電気機関車が牽引する。これまではEF65形式直流電気機関車で運転されていたが、最近の運用を見るとEF210に引き継がれたようだ。

 

また、拝島駅の入れ替えや引き込み線での牽引はDD200形式ディーゼル機関車が使われている。青梅駅までさまざまな臨時列車が入線することもあり、画一化されがちな通勤路線に比べるとバラエティに富んでいて、それが青梅線ならではの楽しみの一つになっている。

↑石油タンク車を牽引するDD200形式。2022(令和4)年3月のダイヤ改正以降、同車両が入線するようになった

 

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