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2022/11/12 21:00

この時代に増便?平地なのにスイッチバック? ナゾ多き出雲の私鉄「ばたでん」こと一畑電車の背景を探る

おもしろローカル線の旅98〜〜一畑電車(島根県)〜〜

 

全国の鉄道会社が3年間にわたるコロナ禍で苦しみ、列車本数を減らすなか、逆に増発を行った地方鉄道がある。それは島根県の一畑電車(いちばたでんしゃ)だ。

 

ハロウィン期間中にはヒゲ付き電車を走らせるなど、ウィットに富んだ元気印の鉄道でもある。そんな一畑電車の歴史や車両、路線にこだわってめぐってみた。

*2011(平成23)年8月21日、2015(平成27)年8月23日、2017(平成29)年10月2日、2022(令和4)年10月29日の現地取材でまとめました。一部写真は現在と異なっています。

 

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【一畑電車の旅①】ユーモラスな出雲の電車「ばたでん」

全国旅行支援の効果もあるかも知れないが、一畑電車は毎週末、かなりの賑わいをみせている。一畑電車の会社の愛称は「ばたでん」。会社ホームページにも「ばたでん」の名前がトップに入り、地元の人たちも「ばたでん」と親しげに呼ぶ。そんな一畑電車の概要をまず見ておこう。

 

路線と距離一畑電車・北松江線:電鉄出雲市駅〜松江しんじ湖温泉駅間33.9km
大社線:川跡駅(かわとえき)〜出雲大社前駅間8.3km 全線電化単線
開業1914(大正3)年4月29日、出雲今市駅(現・電鉄出雲市駅)〜雲州平田駅(うんしゅうひらたえき)間が開業。
1928(昭和3)年4月5日、小境灘駅(現・一畑口駅)〜北松江駅(現・松江しんじ湖温泉駅)の開業で北松江線が全通。
1930(昭和5)年2月2日、川跡駅〜大社神門駅(現・出雲大社前駅)が開業、大社線が全通
駅数北松江線22駅、大社線5駅(起終点駅を含む)

 

一畑電車は電鉄出雲市駅〜松江しんじ湖温泉駅間を結ぶ北松江線と、川跡駅〜出雲大社前駅間を結ぶ大社線の2本の路線で構成されている。2本の路線は以前、ほぼ路線別に電車の運転が行われていたのだが、現在は北松江線から大社線への乗り入れが多く行われている。曜日によってその運用が大きく変わるので、利用の際は注意したい(詳細後述)。

 

【一畑電車の旅②】中国地方で唯一! 老舗の私鉄鉄道会社

一畑電車は、路面電車の岡山電気軌道や広島電鉄、第三セクター鉄道の路線を除けば中国地方で唯一の私鉄の鉄道路線である。その歴史は古く、今から108年前に一部路線が開業している。会社の創設は1912(明治45)年4月6日のことで、その時の会社の名前が一畑軽便鉄道株式会社だった。1925(大正14)年7月10日には一畑電気鉄道株式会社と会社名を改称している。

↑1928(昭和3)年、一畑電気鉄道発行の路線図。横長に広がる鳥瞰図で出雲大社、一畑薬師が大きく描かれている 筆者所蔵

 

2006(平成18)年4月1日に鉄道部門を分社化して一畑電車株式会社となったが、今も一畑電気鉄道という会社名は残り、一畑グループを統括する事業持株会社となっている。

 

掲載した古い路線図は昭和初頭のもので、当時人気があった金子常光という絵師の鳥瞰図が使われている。当時からPR活動にも熱心だった。鳥瞰図には出雲大社と共に一畑薬師(一畑寺)がかなりデフォルメされて大きく掲載されており、出雲大社とともに一畑薬師を訪れる人が多かったことをうかがわせる。

 

【一畑電車の旅③】なぜ“一畑”なのか? 会社名の謎に迫る

一畑電車はなぜ“一畑”を名乗るのだろうか。松江、出雲という都市があり、また出雲大社という観光地がありながら、あえて一畑を名乗った。これにはいくつかの理由があった。

 

かつて、北松江線の路線に一畑薬師(一畑寺)参詣用に設けられた一畑駅という駅があった。場所は現在の一畑口駅の北側、3.3kmの位置。ちなみに、以前は一畑口駅(当時は小境灘駅)から一畑駅まで電車が乗り入れており、一畑口駅が平地にもかかわらず進行方向が変わるスイッチバック駅となっているのはその時の名残である。

 

一畑口駅〜一畑駅間の路線は時代に翻弄される。戦時下、鉄資源に困った政府が乗車率の低い路線、時世にあわないと思われる全国の多くの路線を「不要不急線」として強制的に休止させ、線路の供出が行った。一畑口駅〜一畑駅も不要不急線の指定を受けて1944(昭和19)年12月10日に休止。路線が復活することはなく、1960(昭和35)年4月26日に正式に廃止となった。会社名が一畑となった理由のひとつには、この一畑駅があったことがあげられる。

↑昭和初期に発行された一畑駅の古い絵葉書。すでにこの一畑駅はない。停車する電車は今も残るデハニ50形だと思われる 筆者所蔵

 

しかし、調べてみると他にも理由があった。

 

一畑電車(一畑電気鉄道)の前身となる一畑軽便鉄道は、創設当時の大口出資者が経営する会社が破綻し、路線の開業計画が頓挫しかけた。そこで当時、鉄道敷設により参拝客を増やしたいと考えていた一畑薬師(一畑寺)が会社創設の資本金25%を負担して手助けした。また、出雲大社へ伸びる路線計画を国に提出した際、一度は官設の大社線が敷設されていたことから、競合路線として許可がおりなかった。しかし、一畑薬師に行くことを目的とした鉄道だということを強調したことで申請が通ったとされる。つまり一畑薬師(一畑寺)に、たびたび助けられていたわけである。 こうした要因が会社名に大きく影響したのだった。

 

一畑駅は廃止されたものの、会社創設期の縁もあり、長年親しまれてきた会社名は一畑のままになったわけである。

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