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2019/4/5 21:00

一歩間違えればギャングになっていたーー。アメフト選手から宇宙飛行士になった唯一の男が語る人生論

人生は思い通りにならない。計画通りに行くことなんてほとんどない。でもだからこそ、そのとき、そのときの可能性に賭けて全力でチャンレンジすることが大事――。

 

SOLIDWORKS World 2019に登壇した元NASA宇宙飛行士Leland D. Melvin(リーランド・D・メルビン)氏の背中がそのように語っていました。

Photo courtesy of Dassault Systèmes

 

NFLのアメフト選手にして唯一の宇宙飛行士。しかし、彼は順風満帆に宇宙飛行士になったわけではありません。アメフト選手としての挫折。聴力の喪失。様々な苦難を乗り越えて宇宙飛行士になったのです。

 

自分が道を踏み外さなかったのは「環境」に恵まれていたからだ、とリーランド氏は振り返ります。環境が悪かったらギャングになっていた可能性すらあった。自分の可能性を常に信じてくれている人が周囲にいたことに救われてきたと言います。

 

興味深いのが、リーランド氏は元々、宇宙飛行士になるとは考えていなかった点。その都度全力でやりたいことにチャレンジしてきた結果、それらの経験がすべて活き、宇宙飛行士になったのです。そんな彼の経歴は、まさに故スティーブ・ジョブスの「点と点がやがてつながる」話を彷彿させます。

 

「将来を見据えて点と点をつなぐことはできない。後で振り返って始めてつなぐことができる。いまやってることが将来つながると信じるしかない」

 

リーランド氏の講演から、非連続なキャリアの紡ぎ方、成功するための「環境」の重要性について考察します。

 

ロールモデルの存在

リーランド氏は1964年、バージニア州の小さな街リンチバーグ市で教師の黒人の両親のもとに生まれました。それから5年後の1969年、リーランド氏がまだ幼いころ、アポロ11号が月面着陸。世界中で大きな話題となりました。

 

しかし、宇宙飛行士になるのが夢だと語る子どもが多くいたなか、リーランド氏は特に宇宙飛行士になることに興味がなかったそう。周りの大人から「宇宙飛行士になりたいかい?」と聞かれても、「いや僕はテニス選手のアーサー・アッシュになりたい」と返したと言います。

 

故アーサー・アッシュはリーランド氏の家の近所に住んでいました。黒人差別が残る1960~70年代に黒人の選手として初めてテニスの4大大会の男子シングルスで優勝しています。人柄も「練習熱心で謙虚だ」とたたえられていました。

 

そんな偉大なテニス選手を自らのロールモデルとしたリーランド氏も、何かスポーツを始めるということでアメフトの練習に打ち込み、頭角を現します。

 

一方、リーランド氏は幼いころ母親から化学実験キットをもらいました。彼はその実験キットを使って実験をするようになります。リビングで実験中に爆発を起こして、カーペットを焦げさせてしまうなんてことも。しかし、この化学への興味関心が後にNASAで働く際に役立ちます。

 

また、父親と一緒にパントラックをキャンピングカーに改造。自ら手を動かして電線や水道管を設置する経験を通してエンジニアリングにも興味を持つことになりました。

 

リーランド氏は幼いころから周囲の人から「必死で勉強し、努力すれば何だってできる。日の目を見るのだ」と言われ続けて育ったと語ります。常に自分の可能性を信じてくれる人がそばにいたんですね。

身体能力の高さと化学の知識がNASAでつながる

高校卒業後にはリッチモンド大学で化学を専攻。また勉学の傍ら大学のアメフトチームにおいてワイドレシーバーとして活躍。1986年にはNFLチームのデトロイトライオンズにもドラフト指名されました。

 

しかし、デトロイトライオンズでのトレーニングキャンプでハムストリングスを負傷し、NFLでのキャリアを早期に閉じることになりました。その後、大学院に進学してマテリアル工学を学びます。

 

大学でNASAのブース(おそらく就職説明会みたいなもの)に行ったところ担当者から働いてみないかと誘われました。ただし、リーランド氏は当初宇宙飛行士としてではなくエンジニアとして採用されました。1989年のことです。

 

リーランド氏の友人は彼の元アメフト選手としての身体能力の高さを知っており、「君はきっと素晴らしい宇宙飛行士になれるよ」と言ってきました。リーランド氏は「まさか自分が宇宙飛行士なんか」と思っていたそうですが、ある友人がNASAの宇宙飛行士の最初の選抜を突破したのを目撃。

 

リーランド氏は「あんな間抜けが突破できるなら」と自分も宇宙飛行士に応募したそうです。リーランド氏のエンジニアとしての経験、身体能力、アメフト時代に培ったチームワーク経験が買われ、宇宙飛行士の候補としてトレーニングに参加することになりました。まさに点と点がつながった瞬間です。

 

このまま順調に宇宙飛行士になるかと思われたリーランド氏に突如、悲劇が襲います。あるとき、水中での訓練でアクシデントが発生。鼓膜を破り聴力を失うことになったのです。宇宙飛行士として宇宙に行くのはもう難しいだろう、と医者から宣告されます。

 

知人のなかにはリーランド氏に「NASAを訴えるべきだ!」と説得してくる人もいました。しかしリーランド氏は両親から常々「正しいことをすべき」と言われており、NASAを訴えることはありませんでした。

 

その後、奇跡的にも少しずつ聴力が回復し始め2年間かけて聴力は完全に回復しました。本人によると、脳が失った聴力をカバーするよう機能したのではないかということ。その後は宇宙飛行士として活躍することになります。

 

2008年、スペースシャトル「アトランティス号」に搭乗。ミッションは欧州宇宙機関の「コロンバス」(実験棟)を打ち上げて国際宇宙ステーションに結合させるというものでした。翌年にも同じくスペースシャトル「アトランティス号」に搭乗。「エクスプレス補給キャリア」を2台、国際宇宙ステーションに運んで取り付ける作業を行いました。

 

リーランド氏は宇宙飛行士としての体験が自分の人類全体に対する認識を劇的に変えたと語ります。「宇宙から地球を見たとき、人類に対する認識が大きく変化しました。米国リンチバーグを見たと思ったら、わずか5分後にはフランス・パリを宇宙から見ています。すべての国のすべての人種の人々が地球という1つのコミュニティで”共同生活”しているんだと心の底から実感したのです」

 

若い人たちに伝えたい思い

Photo courtesy of Dassault Systèmes

 

リーランド氏は2010年からNASA教育担当アソシエイト管理者として未来の科学のために全米中で講演活動を行っています。活動の趣旨について彼はこう語ります。

 

「どんな才能を持っているかに関わらず、生涯学習し続け、成長することはあなたに与えられた機会です。努力すれば道は拓ける、次世代がそう思える環境を作らなくてはなりません」

 

人生は思い通りにならないことも起きる。計画通りに行くことなんてほとんどない。でも、どんなときも、与えられた環境で自分ができることを見つけて努力すると点と点がつながり道は拓ける。リーランド氏からそんな教訓を学ぶことができました。

 

また、行き詰っていたり、自信を失ったりしている人がいたら、周囲がその人の可能性を信じ続けてあげることも大切なのではないでしょうか? そういったささやかなサポートが、その人の人生を大きく変えることになるかもしれないのですから――。

 

(取材協力: ダッソー・システムズ)