多様化するこれからの社会で、世界共通の重要なトピックである「教育」。新たな教育システムなどが模索される中、世界各地で実施されているのが、米国テンプル大学心理学部教授のキャシー・ハーシュ=パセック教授らが推進する「Playful Learning(遊びを通した学び)」です。日本でも、玉川大学教育学部の大豆生田啓友教授らが推進する「子ども主体の保育」など、“遊び”が重視された教育は注目されています。そこで今回はキャシー教授に、“遊び”の重要性や「Playful Learning」、これからの社会で欠かせないスキル「6Cs」などについて、さまざまな事例を交えながら教えてもらいました。
キャシー・ハーシュ=パセック氏●テンプル大学心理学部教授。ブルッキングス研究所上級研究員。幼児期の言語発達・リテラシー、学びにおける遊びの役割を研究し、16冊の本と数百の論文を発表。著者である『Einstein Never Used Flash Cards』は世界中で翻訳され、2003年に最も優れた心理学書に贈られるBooks for BetterLife Awardを受賞した。
子どもたちの発達を促進する「Playful Learning」
――キャシー教授が推進されている「Playful Learning(遊びを通した学び)」について教えてください。
キャシー 最近の研究から、教育に遊びを取り入れることは、幼児教育における豊かな学習アプローチにつながることが明らかになっています。そもそも遊びとは、子どもたちが主体的に行って楽しいと感じたり、繰り返し行うことで新たな気づきが得られたりする活動のこと。子どもたちの遊びを大人が始めて、大人が主導権を握って進めるものは、もはや遊びとは呼べません。
遊びには、子どもから始めて子どもが進める「Free Play(自由な遊び)」や、大人が遊びの目的や環境を設定し、子どもが進める「Guided Play(大人にガイドされた遊び)」といったさまざまな種類があります。その中でも特に「Guided Play」は子どもたちの効果的な学びにつながるとされていて、私たちが推進している「Playful Learning」でも、「Guided Play」を実践することを重要視しています。
――「Guided Play」を行うとき、大人は子どもに対してどのように「ガイド」すれば良いのでしょうか。
キャシー 「Guided Play」での大人たちの役割は、子どもが主体的に学ぶための環境を整えたり、質問や会話といった声掛けを通して子どもが自分で考えるよう促したりすることです。
例えば公園の中に登り棒があったとします。そのままではただ登って遊ぶことしかできませんが、登り棒に目盛りを付けるという「ガイド」を行い、どの高さまで登ったかをわかるようにするとどうなるでしょうか。子どもたちが「あなたは2フィートまでだったけど、私は3フィートまで登れたよ」と話せば、その瞬間から登り棒で遊びながら長さ比べをして算数も学ぶことができる「Guided Play」になりますよね。このように、「遊び」と「学び」の要素をどのように組み合わせるかを考えることが大切です。また子どもたちが「Free Play」を楽しんでいるときでも、そこから学びにフォーカスしたガイドを行えば、簡単に「Guided Play」に切り替えることもできるのです。
これからの社会に必要なスキル「6Cs」とは?
――「Playful Learning」を実践することで、どのような効果があるのでしょうか?
キャシー 「Playful Learning」は、子どもたちがこれからの社会で“成功”するために必要な6つのCのスキル「6Cs」を身に付けるために重要です。ここでの“成功”とは、よくイメージされるような、良い成績をおさめて優秀な学校に進学したり、年収の高い企業に就職したりすることだけではなく、子どもたちが将来成長するために必要なさまざまなスキルを育てることも意味します。これには知力の発達が含まれていますが、幸せで健康で、思いやりがあり、考える力のある子どもたちが、協調性が高く批判的な思考を持ち、イノベーションを実現する創造性があり、社会のことが考えられる世界市民として育つこと。これが、私たちが考えるこれからの“成功”です。多様化するこれからの社会では、これまでの古い価値観をアップデートして「教育」と向き合っていく必要があると考えています。
――「6Cs」について詳しく教えてください。
キャシー 6Csとは、コラボレーション(Collaboration)、コミュニケーション(Communication)、コンテンツ(Content)、クリティカルシンキング(Critical thinking)、クリエイティブイノベーション(Creative innovation)、コンフィデンス(Confidence)のこと。この順番も重要で、子どもたちは一つずつステップアップしながらこれらの力をつけていきます。それぞれのスキルについて、もう少し詳しく解説しましょう。
キャシー 6Csのモデルを見ながら「次はコラボレーションに関する取り組みを、次はコミュニケーションを」と考えてしまうことがありますが、それは私たちの考え方とは異なります。6つのスキルは相互に関連し、円を作っています。その中から一つだけを取り出すことはできないのです。多くの人が挑戦してきましたが、科学的にも、それはうまくいかないことがわかっています。コラボレーションにだけに、コミュニケーションだけに、コンテンツだけに焦点を充てることはできないのです。
1つめのC.「コラボレーション」(Collaboration)
「コラボレーション」は、1対1やチームで他者と共同作業などを行う力。大人たちには、子どもたちが他の子と「一緒に取り組む」ための環境を設定することが求められます。このプロセスは幼いほど重要になってきます。ですから、「コラボレーション」は、私たちが重要だと考える核となるものなのです。
2つめのC.「コミュニケーション」(Communication)
「コミュニケーション」は、話したり書いたりして伝える能力はもちろん、話を聞いたり相手の立場を理解する力も含まれます。コラボレーションとコミュニケーションは6つのCの中でも土台となる重要なスキルです。
3つめのC.「コンテンツ」(Content)
「コンテンツ」には語彙や算数・数学などの知識に加え、これらを学ぶために必要な問題解決力、記憶力、衝動を制御する力なども含まれます。コンテンツのスキルを習得するためには他人とうまく付き合うためのコミュニケーションのスキルがとても重要です。
4つめのC.「クリティカルシンキング」(Critical thinking)
「クリティカルシンキング」は、問題解決のための方法を考えたり、問題解決のためにエビデンスを構築して行動したりする力です。難しいようにも思えますが、適切な環境を整えた「Guided Play」を実践すれば、3歳児でも優れたクリティカルシンキングの力が身に付くことが明らかになっています。
5つめのC.「クリエイティブイノベーション」(Creative innovation)
「クリエイティブイノベーション」は、ただ問題解決の方法を考えるだけでなく、これまでにない新しい解決策を見出したり、従来のパターンやルールを変えたりする力。大人たちには、子どもたちのクリエイティブな発想が生まれやすくなるようなガイドが求められます。
6つめのC.「コンフィデンス」(Confidence)
「コンフィデンス」は、失敗を恐れないこと、そしてたとえ失敗したとしても、そこから学ぼうとする力です。ここまでの5つのCを子どもたちが自信をもって試していくことが重要です。
さらに「6Cs」は学びの環境をつくるときのチェック指標にもなり、「6Cs」に準じて「何を学ぶか」を設定することで、より効果的な環境を生み出すことが可能になります。
――6Csを教育に取り入れた事例を教えてください。
キャシー 子どもたちの教育に「6Cs」を効果的に取り入れているのが、東京都にある「クランテテ」※です。ここでは、2歳から小学6年生までの子どもを対象にモンテッソーリ教育をもとにした幼児保育と学童保育が行われています。
※ クランテテ(東京都港区三田)…2歳から小学6年生までを対象とした幼小一貫教育託児施設。「みずから育つちから」を育むモンテッソーリ教育を基盤とした活動を行っている。https://clantete.com/
キャシー クランテテでは、子どもたちの活動を記録・共有・分析する「教育的ドキュメーション」を行うことで、子どもたち一人一人の現在地を可視化しています。その際に子どもたちの評価に用いるのが、「6Cs」です。現在どの段階の姿まで到達しているのか。どのように指導すればひとつ上の姿にたどりつけるか。共通認識の評価基準として「6Cs」があることで、子どもたちはよりよい学びの環境で成長していくことができます。
キャシー 私は科学的な観点から「Playful Learning」は、アメリカよりも日本のほうが随分進んでいるのではないかと感じています。なぜなら日本のように集団を重んじる社会では、個人で成し遂げることよりも、皆で協力し合いながら一緒に成し遂げることの重要性をよく理解できる傾向にあるからです。また、「6Cs」は子どもだけでなく、ビジネスリーダーが採用したい人材に求められるスキルとも共通しています。そのため「6Cs」は、大人たちにとっても欠かせないものなのです。
いつでもどこでも実践できる「Playful Learning」
――実際に行われている、「6Cs」を身に付けるための「Playful Learning」の事例を教えてください。
キャシー 「Playful Learning」は、園や学校などの教育機関だけではなく、いつでもどこでも実践することができます。例えば、私たちの研究チームでは過去に、スーパーマーケットに子供同士での言語や算数の学び合いのきっかけになるようなポスターを設置しました。その一つが牛のイラストとともに「牛はどんな鳴き声?」という問いが描かれたものです。これを設置した結果、スーパーで学びにつながる会話が増えたことがわかりました。そのほか、カリフォルニア州サンタアナに住むメキシコ人に向けて、街中にそろばんやメキシコ文化に沿ったゲームを設置しました。このように街のいたるところを「Playful Learning」の実践の場にすることが可能です。
――「Playful Learning」をさらに広めていくためにはどうすれば良いでしょうか。
キャシー 「Playful Learning」は、アメリカや日本だけでなく、難民センターや途上国でも実践することできます。さまざまな国で実践するときに大切なのが、その国の文化に適応して現地のコミュニティと協力すること。地域の人たちやコニュニティのリーダーに「Playful Learning」や「6Cs」についてきちんと説明し、彼らの価値観や「Playful Learning」によってもたらしたいことをヒアリングすることが必要です。さらにプロトタイプから一緒に作成していくことで、現地の人たちは自分たちの手で自分たちの環境が豊かになっていくことを実感できるはずです。
過去には中南米の地域で、ラテン文化に適応したそろばんやメキシコのゲームをバス停に設置したことがありました。またそのほかにも、治安のあまりよくない地域で、路地に大きなボードゲームやジャンプの距離を測る目盛りを設置して安全な場所にできないかと考えました。スーパーマーケットやコインランドリーを利用する際に長時間待たなくてはならないという地域では、その待ち時間に何かできないかと考えたりしたこともあります。このようにさまざまな国や地域が抱える課題を解決しながら「Playful Learning」を実践するためのアイデアも次々に生まれています。
――最後に今後の展望を教えてください。
キャシー 私たちは今、園・学校や教育関係者に「Playful Learning」や「6Cs」の考え方を広めていくために、園・学校をはじめさまざまなコミュニティと協力しながらウェビナーやセミナーを実施しています。今後もこれらの教育システムを世界に広く展開し、「子どもたちが21世紀の社会で“成功”するための教育」について考えるきっかけをつくっていきたいです。
『Playful Learning』を実践できる、日本の保育絵本を紹介
「絵本も有効なツールの一つ」とキャシー教授。学研が開発中の保育絵本の英語版プロトタイプについて、基本的なコンセプトをとらえていて、6Csのすべてが含まれていると評価する一方で、一冊の本としてのストーリー性などにはまだ課題があるので、たとえば、子どもたちが小麦粉がどこから来るのかを学ぶために、園庭などで共同作業をする機会をこの本は提供できる可能性があると指摘する。
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