国際協力に従事するプロフェッショナルに、開発途上国の現状やビジネスチャンスについてインタビューする本企画。今回は、幼少期からの20年を南米で過ごし、現在は主に教育分野で途上国の支援を行っている伊藤拓次郎さんにインタビュー。教育分野に興味を持つようになった経緯や、国際協力に取り組むときに大切なマインドなどをお聞きしました。
●伊藤拓次郎氏/1998年から10年以上にわたって、トルコ保健省、教育省、家族省などでODA事業を実施。トルコ以外でもこれまで約40か国でODA事業のさまざまなプロジェクトに携わった経験を持つ。専門は、インストラクショナルシステムデザイン、教育・教材開発、トレーナー育成、国際開発におけるプロジェクトマネジメントなど。現在はアイ・シー・ネットのグローバル事業部でトルコSTEAM教育事業の立ち上げに従事している。
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途上国の人々と同じ目線に立てることが、誰にも負けない強みになった
――まずは、伊藤さんが今のように国際協力の仕事に携わるようになった経緯を教えてください。
伊藤 私は5歳からの20年間を、主にパラグアイで過ごしました。そもそもパラグアイに移住した理由は、私の父親が「現地に学校をつくりたい」という夢を実現させるためでした。しかし父親は、私が小学5年生のときに他界。その後、兄から事あるごとに「父親の夢を引き継いで、一緒に学校づくりをしよう」と言われていたこともあり、私も将来は教育に関わる仕事をするものだと自然と考えていました。
しかし当時の私は、ジャングルのような場所に住んでいて、自宅の近くに学校がなく、自宅の隣町に下宿をしながら通学していました。先生の数も不足していて、まだ資格を持っていない学生の授業を受けることもあり、教育の環境はあまり良いとは言えない状況だったのです。こうした背景もあって私は小中学生の頃、勉強が好きではありませんでした。意識が変わったきっかけは、兄が通っていたアルゼンチンの高校に自分も通い始めたこと。アルゼンチンはパラグアイに比べると教育制度や評価システムが整っていて教育の質が良かったのですが、それだけではなく、先生たちが使命感を持って指導してくれることに、感銘を受けました。そのときに初めて学ぶことの面白さを実感して、大学では教育分野を学ぼうと決めたのです。
その後、パラグアイの大学に入学することはできたのですが、ちょうどその頃に友人から紹介されたのが、JICAのパラグアイ事務所での仕事でした。ここでローカルスタッフとして働くことになり、初めて国際協力に携わることになったのです。
――偶然の流れで国際協力に携わったのですね。その後も国際協力に臨むようになるのですか?
伊藤 いえ、ローカルスタッフとして通訳や翻訳などの仕事を4年間経験したあと、JICAの制度を利用して日本に留学したのです。2年間、日本の大学院で教育工学と視聴覚教育について学びました。そのとき、日本の教育環境がとても恵まれていることを実感し、自分がこれまで受けてきた教育との差にショックを受けました。また私はそれまで、南米で「外国人」として育ってきましたが、日本に戻ってきても、地理や歴史がわからなかったり、会話の内容が理解できなかったりして、母国であるはずなのに外国にいるような違和感を覚えました。自分が孤立しているように思えて、最初はとても寂しい思いをしましたね。
しかし、日本に来て自分の「ディスアドバンテージ」を実感したことが、私にとって頑張る理由にもなりました。レベルの高い教育を受けてきた人たちと対等に仕事をしていくためにはどうしたら良いのか。誰にも負けない自分の強みは何か。そうしたことを真剣に考えるようになったんです。そのときに、これまで南米で生活してきた経験が一つの強みになると気が付きました。生きていくだけで精一杯の過酷な途上国での生活や、外国人材や難民たちが抱える孤独感を、私自身とてもよく理解できる。いくら勉強しても身に付けることができないこの経験は、国際協力の仕事において誰にも負けないアドバンテージになると当時考えたものです。そこから、途上国の人々と同じ視点に立てるコンサルタントを目指すようになりました。その後、日本の大学院でJICAの沖縄国際センターのインストラクターと知り合ったことをきっかけに、私もそこで働けることになり、本格的に国際協力の仕事を始めました。
大学院で培った「専門性」と「学び方」が、その後の指針に
――これまで仕事をした中で印象に残っていることを教えてください。
JICAの沖縄国際センターにいたときに、初めて長期派遣でトルコの技術協力プロジェクトに行った時のことです。トルコでは、保健省職員の能力強化を行いながら、家族計画や母子保健の普及啓発に関するプロジェクトに携わりました。ずっと南米で暮らしていた自分にとって中東の国での生活は、すべてが新鮮に感じたものです。
例えば、私はそれまで、南米で白人たちと接するときには、東洋人の自分が「下」に見られていると感じることがよくありました。逆に仕事で東南アジアに行ったときには、日本は豊かな国だから丁寧に接していれば何かいいことがあるのではと「上」に見られた経験もあります。常に下か上の存在として接されてきた中で、トルコでは初めて対等に付き合ってくれる人たちがいたんですよね。蔑まれることも見返りを求められることもない、相手と対等な関係を築くことができて、とてもうれしく思いました。だからこそ、私自身が持つ専門性や強みがより試されるような感覚もあり、さらに仕事を頑張りたいと思うきっかけにもなったのです。
しかしトルコで4年間仕事をした後、新たなインプットを求めて大学院で学ぼうと考え始めました。そのきっかけは、アメリカで調査の仕事を手伝っていた際に、アメリカの大学の先生たちとの懇親会。そのときに隣に座っていた先生から、ふと「あなたの専門分野は何ですか?」と質問されたんです。私は今までやってきた国際協力の仕事については、いくらでも話すことができたのですが、この単純な質問には答えることができませんでした。私自身の本質を問われたようにも感じ、自分は35歳にもなって「これが専門です」と言えるものがないことにとてもショックを受けました。この経験をきっかけに何か一つ極めたいという気持ちがより強くなり、大学院に通う決意を固めました。
その後、日本の大学院に進学して、インストラクショナルデザインについて学び、自分の専門性を磨いていきました。仕事をしながら通っていたこともあって、卒業には9年かかりましたが、この9年間の中で得た一番の学びは、「学び方」を学べたこと。大学院では基本的に自分で研究を進めなければならず、最初は「もう少し教えてほしい」と思ったこともありました。しかし結果的には自分で主体的に学んだからこそ、その大切さや楽しさを知ることができたのだと思います。そして同時に、「自分で学ぶことの楽しさ」を一度味わうことができれば、どんなに教育環境が悪いところでも、子どもたちの学力は伸びていくはずだと確信しました。子どもたちが自分で学ぶ方法を身に付けられる環境をつくり、学ぶことの楽しさを伝えたい。この気持ちが、今の私が国際協力に取り組む原動力になっています。
――現在はどのような仕事をされているのでしょうか?
現在は、アイ・シー・ネットのグローバル事業部で民間ビジネスの分野にチャレンジしています。今はちょうど、トルコでSTEAM教育の事業を立ち上げようとしているところです。これから経済成長が期待されるトルコのような新興国では、国を支える新たな産業をつくっていく必要があり、その担い手として「産業人材」の育成が急務になっています。私たちは、技術研修などを行いながら、初等教育からSTEAM教育を取り入れていくためのお手伝いをしています。将来の国を支える、新しい価値を創造できる人材を育てていくために、これからも力を尽くしていきたいと思っています。
「与える」のではなく「お返しする」気持ちを持って支援する
――伊藤さんがお仕事の中で大切にしていることを教えてください。
最初から自分のやりたいことができなかったとしても、まずは今、自分が与えられた環境の中でベストを尽くすことを意識しています。私は以前から、教育の分野に携わりたいと思っていたものの最初はチャンスがなく、違う分野で仕事をしていました。しかし、経験を積んだことでチャンスが訪れてやりたいことができましたし、自分の力が活かせる場所もさらに広がったと思います。自分の中に揺るがない軸を持って、今いる場所でできることに真摯に取り組んでいく。そうすれば自ずと道は開けてくると考えています。
また国際協力の仕事では、その国と人を「好きになること」が一番大切。好きになることで「この国の、この人たちのために何かをしたい」という気持ちが自然と生まれてくるはずです。私の経験上、「一緒に何かをしたい」という素朴な気持ちがあることで、現地の人たちもより協力してくれますし、仲間に入れてくれるように感じます。そしてもう一つ大切だと考えているのが「使命感を持つこと」です。国際協力の仕事をするには、学歴や語学力だけでなく、「自分は何のためにこの仕事をやるのか」という自分なりの使命感を持つことも欠かせないと考えています。
――最後に、国際協力の仕事をしたいと考えている人たちに向けて、メッセージをお願いします。
国際協力の仕事では、「してあげる」のではなく、支援する国のおかげで私たちも生きていくことができる、という意識を持って取り組んでほしいと思います。
私自身がこれを特に実感したのは、東日本大震災のときでした。この震災で私の生まれ故郷である岩手県も大きな影響を受け、大勢の人が亡くなりました。私はこのときミャンマーで教育プロジェクトに関わっていたのですが、震災のことを知ったミャンマーの学校の先生たちが、お金を集めてJICAの事務所に届けてくれたのです。当時の先生たちの給料は日本円にして1000円ほどですが、彼らが集めてくれたお金は30万円。余裕があるわけではないのに、必死にかき集めて「少しでも役立ててほしい」と用意してくれたのです。
これはあくまでも一例ですが、私たち日本人は自分たちの力だけで生きているわけではなく、多くの国から支えられています。そのため国際協力は、私たちが共存して生きていくために当たり前のことであり、欠かせないこと。この考えを常に忘れないことが大切だと考えています。