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ウィリアム・ハート公認カメラマン!? 写真嫌いの彼と心を通わせた瞬間

ハービー・山口 You are a peace of art.

CAPA』本誌連動企画としてスタートした、ハービー・山口さんの人気連載「You are a peace of art.」。写真をめぐるエピソードを綴った心温まるフォトエッセイです。

ハービー・山口「You are a peace of art.」第4回
「ヴィム・ヴェンダースと笠智衆」箱根 1990年

第4回「Filling in the gaps」

世の中にあるギャップを埋められたら、どんなに素敵だろう

恵比寿から中目黒に向かう駒沢通り沿いにある「SIKI」という小さなブティックに何気なく入った。全体にダークな色調のコートやジャケットが店内の壁に掛けられていて、私にも着られそうな気がした。そしてお店のスタッフやデザイナーの方がとてもフレンドリーなのが心地良かった。彼らは私の話を真剣に聞き、そのうえ正直な反応をすぐに返してくれた。

彼らと話していると、一つのキーワードが見つかった。それは「ギャップを埋める」だった。製品は元々白地だったのを染め直し、ポケットやボタン、ファスナーなどを外したり、また位置をずらしたりしている。その結果、オリジナルとはかなり違う印象を醸し出し、古着を現代に蘇らせている。それらの服は着る人を選ばず、若者、年配者のどちでもよく、レディースとメンズの差もない。つまり服選びに必ず存在する新旧、性別、年齢のギャップを見事に埋めているのだった。

お店のスタッフやデザイナーに聞くと、服飾の世界に存在する「対立するもの」を可能な限り排除するのがテーマだということだった。服飾で対立するもの、それはファストファッションとハイブランド、丈の長短、ワイドとスリム、色合い、デザインの新旧などだ。こうした対立している両者のギャップを埋めたら、さぞさまざまなことから解放されるだろう。

写真家としても、また人間としても、世の中にあるギャップを埋められたら、どんなに素敵だろうと想像した。知名度の差や、年齢、職業、国籍、価値観の違いを気後れすることなく行き来できたら、人生はもっと楽になるはずだ。それは少しの工夫や勇気ある行動で実現できるのではないだろうか。

写真嫌いのウィリアム・ハート

1990年に経験した、ある出来事の記憶がある。ドイツ人の映画監督ヴィム・ヴェンダースが撮影で来日した。主役はウィリアム・ハートというベテランの俳優だった。日本からは笠智衆さんが出演陣の中にいた。ヴェンダース監督もウィリアムも小津安次郎監督や笠智衆さんをとても尊敬しているという話を聞いていた。

10日ほどの日本滞在で新宿、三軒茶屋、箱根でロケを行なった。私はその中でスチール写真を撮る仕事を担当し、全行程に同行した。ロケ隊は日本に来るまでに、すでにヨーロッパでの撮影を済ませていた。

問題が一つあった。主役のウィリアム・ハートが大の写真嫌いで、ヨーロッパロケでも彼のスチール写真はほとんど撮れていないという状況を知らされていた。映画のプロモーションには、宣伝やポスター用にスチール写真が必要だ。

ロケ隊が日本に到着した夜、新宿の京王プラザホテルで日本側のスタッフと初顔合わせがあった。その席で私はウィリアムに自己紹介をしたあと、彼に聞いてみた。
「スチール写真が嫌いだと伺っていますが……」

彼は少しだけ神経質そうな表情を浮かべながら物静かに答えた。
「そうなんだ、実はね、ムービーカメラが回っているすぐ横で、スチールカメラがカシャカシャと音を立てていると芝居に専念できないんだ。だからもしあなたと私の目が合ったら、撮影はそこで中断してほしい……」

ロケは箱根で300年の歴史を誇る老舗旅館「奈良屋」に数日間泊まり込み、旅館の部屋や庭を使って行われた。秋の箱根の山々は見事な紅葉で埋め尽くされ、秋の日差しを照り返していた。

私の撮影は遠く離れたところから望遠レンズを向けるだけで終わった。迫力ある写真を撮るためには写真家は被写体との距離を詰めたいと願うものだ。お互いに息遣いを感じつつ、そのときの感情やテーマを共有しながら撮影できたら、と。

この映画の制作や配給は海外の会社で、毎日フランスの事務所から私に電話があった。
「ウィリアムの写真は撮れていますか?」
「いえ、まだです。遠くからのカットならあるんですが……」
「あと数日ですが、幸運を祈ります」

役者の息遣いを感じながら撮影できるのは快感だった

箱根でのロケがあと2〜3日で終了するという日、私はあることを試みた。

庭の一角にはドリンクやおやつ、また昼食時になるとお弁当が置かれるテーブルがある。このテーブルにウィリアムがお弁当を取りに来たタイミングを見計らって、私は彼に声を掛けた。
「実は、昔ロンドンに住んでいたころ、日本の劇団に入って役者をしていたことがあるんです。もちろん、あなたのようなアカデミー賞とは全く無縁な素人役者です。でもそのとき僕はステージの上に出演者として上っていて撮影される側でした。そして現在は舞台に立つ人にレンズを向けています。つまり撮ることと撮られることの180度違うことを経験しました。これはとても大切な経験だと思いました。例えば電車で隣にいた人の足を踏んでしまったとき、足を踏まれた人の痛さを理解していたら、世界は変わると思うのですが……」

すると彼の顔が一瞬にして変わるのが見て取れた。そして目を輝かせて大きな一声を発したのだ。
「That’s the Key!!」

さらに彼は「君の話を聞こう。このお弁当を持って私の部屋に来ないか!」と誘ってくれたのだ。ウィリアムの部屋は離れにあって、私は畳に置かれたテーブルに座り、ウィリアムと向かい合いながらお弁当を開いた。30分ほどだったが、私はロンドンで体験したいくつかの思い出を語った。その一つ一つをウィリアムは大きく頷きながら聞いてくれた。

ウィリアムの部屋を辞してから1時間後、女優のソルベイグが私にウィンクをしながら近づいて来て告げた。
「ウィリアムがね、あなただけ、いつでも彼の写真を撮っても構わないって言ってたわよ! 良かったわね!」

そして、やはりヴェンダース監督が興奮しながら私のところにやって来た。
「Congratulations! 君は映画界の人間じゃないからわからないかもしれないけど、俺だったら自分の名刺に印刷するね、ウィリアム・ハート公認カメラマンって」とうれしそうに笑った。

ウィリアムと私のギャップが埋まった瞬間だった。その日の午後の撮影から、ムービーカメラのすぐ横に私のスチール用の席が用意された。やはり役者の息遣いを感じながらシャッターを切れるのは快感だった。

ハービー・山口「You are a peace of art.」第4回
「ウィリアム・ハートと笠智衆」箱根 1990年

あるシーンで、視力を失った役のウィリアムの顔を笠智衆さんが両手で包み込みながら「漢方だな!」と言う場面があった。何度かのやり直しの末、やっと監督からOKが出た。カメラが止まると笠さんが通訳に声を掛けた。
「すいませんがね、こんな不器用な役者で申し訳ないと、ウィリアムさんに謝ってくださらんか」

その言葉を訳されたウィリアムからすぐに返答が返って来た。
「とんでもない! 笠さんの演技のお陰で、自分はとてもスムーズに目を負傷した旅人という役に入ることができた。もしあなたが今の演技を不器用だと言うなら、いつか私はあなたのような不器用な役者になってみたい……」
彼らは役者同士でギャップを埋めようと努めてしていたのではないだろうか。

このとき、出演者の側近にいたからこそ体験できた興奮を、私はずっと忘れないだろう。世の中や人々の心の中にあるさまざまなギャップを埋めることができたなら、それこそがSDGsの流れに沿う生き方ではないだろうか。

 

ハービー・山口さんからのメッセージ
今年のCP+は各メーカーともオンライン配信という形でさまざまな内容を全国のカメラファンに届けました。私はキヤノンの配信で40分間、モノクロームの魅力について語りました。生配信でしたが、アーカイブされたものがYouTubeでご覧いただけます。
https://www.youtube.com/watch?v=6Y7HFSx1w8A