スニーカー日和〈第1回〉私的で私的すぎる風景写真
こんにちは、写真家のコバヤシモトユキです。ファッション広告やグラビア、ポートレートを撮影しています。普段の仕事は人や企業の紹介なのですが、ふと「自分を撮っていないなぁ」って気がついたんです。これから8回に渡って紹介する作品には、自分の歴史や好きなものが詰まっています。
さんぽスナップから人物を抜き去ると、自分の記憶や記録になっていく。上手い写真でなくてもいい。自分の風景写真を残していくのって良いと思いませんか? カメラ散歩の参考にしていただけたらと思います。
初回は僕の自己紹介がわりに育った街の作品を見ていただきたい。これはいわば僕の自己紹介作品。こんな感じに、皆さんが私的な風景を撮るきっかけになったらと思います。
自分の歴史を風景写真として残してみよう
僕は「風景写真」が好きだ。ポートレートと同じくらいだろうか。それは「風景」とは「自分の心のポートレート」と思っているからだ。
初めてカメラを買った人が、ひと通り身の回りを撮ると何を撮ればいいかわからなくなってしまう、という話をよく聞く。そんなときは、こんな散歩の風景で自分の歴史を残しておくのはどうだろう?
名所を撮りにいくのもいい。けれど、そこにいくまでの道で「なぜここに道ができたのだろう?」なんて考えながら撮影する。昔この場所であった出来事に思いを馳せながら、風景をコレクションしていくのも楽しいものだ。
自分の故郷であれば周りの友人と話題のネタになる。自己紹介の作品にもなるだろう。歴史の舞台になった土地を撮れば、時代とともに無くなっていく風景の記録にもなるだろう。カメラを持って街を歩く体験は、未来へのかけがえのない記憶になってくれるはずだ。
「スニーカーフォト」
自分の思い出の記録にもなり、自己表現にもなる。そんな、さんぽの風景を、僕は「スニーカーフォト」と名付けた。
仕事撮影のない日はできるだけ時間を作り、ライカ1台とエルマックス 50mm F3.5という愛用のレンズを装着し、お気に入りのスニーカーで撮影に出かける。
僕は、なるべく見知らぬ人物は排除して撮影するようにしている。そのほうが心情が現れる気がするからだ。「スナップ」は群衆が入る作品、「風景」は人物の入らない写真と、個人的には分類している。
知らない街
僕が育った街は、埼玉県の志木市というベッドダウン。新興住宅地のような場所だった。普通なら、学生時代の思い出にあふれた故郷の街だろうが、僕の場合は少し違っている。90年代に区画整理が行われて、僕の育った家はなくなった。その後、両親はそこにアパートを建て、浦和に新しい実家を建てた。
区画整理前に両親から相談があった。
「お前の育った家や思い出がなくなってしまうけど、いい?」
そう言われてもどうにかなるわけではない。市が20年の歳月をかけて動いていた計画だったのだ。そのおかげで僕の幼少のころの思い出の場所は、うちの区画だけがスポッと抜け落ちたように変わってしまった。ウルトラセブンか何かで、そんな話を見たことがある。実家に帰るのだが、自分のことを誰も知らない。アパートの管理などで志木市に来ると、そんな不思議な気持ちになる。
家の周りは変わってしまった。かつての通学路、クワガタを採取した林、土器が出土してよく拾いに行った畑は今もある。身体が覚えている育った場所の磁場。しかし視覚的には別の場所のような不思議さ。
「あの道の突き当たりに仲良しの幼なじみの家があって……」なんて歩いていくと、そこは別の住宅が立ち並ぶエリアに変わったりしている。昔のような風情はもう感じられない。
思い出だけが残る、知らない街を歩く
何人かがカメラを構える僕に気が付く。しかし誰も僕の知り合いはいない。新しい街に生まれ変わっていた。僕の知らない、普通の生活がある街に。
以前に来たのはコロナの前だっただろうか? 生まれた病院、小学校、中学校を中心に歩いてみた。
高校の出口あたりにある、高校時代に憧れていた人を撮影した、こうほね橋に来る。卒業して、またこの場所にカメラを持ち戻って来るなんて、想像もしなかった。あのころの自分を見つけようとするが、もちろんいる訳もない。
草が茂った河原は、夕方から大雨が来そうな気配を漂わせていた。高校裏の橋から周りを見渡す。蝉の鳴き声だけが耳にささる、熱波のコンクリートの道を歩く。橋には誰もいない。
僕はかつての自分に報告するように橋の向こう側に立った。学生時代の自分を橋の反対側から迎えるように。