スニーカー日和〈第3回〉下町慕情
コバヤシモトユキさんは今、あえて人の姿の見えない身近な風景写真「スニーカーフォト」を提唱している。過去の記憶や記録を色濃く反映させた、自分自身を振り返る優しい写真撮影に、あなたも出かけてみてはいかがだろうか?
ライカM10とエルマックス50mmがしっくりきたワケ
僕はポートレートを撮る前には、まずiPhoneを手にロケハンしていた。気になっていたけど訪れたことのない街でポートレートを撮るのが好きなのだ。いつしか、そんなロケハン写真がiPhoneに溜まっていた。
僕はロケハン用のカメラを買おうと考えた。それはデータをいちいちiPhoneで見せる必要はなく、カメラを別にすることでより気軽にどんな場所にも行けると思ったからだ。
だが、いくつかのカメラを検討したが「これ!」というカメラには出会えなかった。どれもスナップを撮るには良いが、何か中途半端な気がした。この使い方には何かしっくりこないのだ。
だが時間は待ってくれないので、ポートレート本番に使うつもりのライカM10と愛用のエルマックス50mmを持ち出してみた。すると、ついに感覚がピシッと合った気がした。人を写真に入れないというルールに50mmレンズがちょうどよかったのだ。
それより広角レンズになると、どうしても人が入ってしまう。声をかけて移動してもらったり、同じ場所で人が途切れるまで数十分待つのは、辛い。結果的に、いつもポートレート撮影に使うライカと50mmが標準機材になった。
「ただのロケハン写真が作品になるかもしれない」
そんな気持ちになったのもライカを使ったおかげかもしれない。
以前、風景を撮るときには6×7のネガカラーを使い、中判カメラで撮るザ・作品的な写真に仕上げていたのだが、ライカとビンテージレンズの組み合わせには、どこか風が吹いているような軽快な軽さがあった。歩きながら街を感じているような、そんな作品をいつの間にか目指していた。
「自分の風景」には、どこかその人の性格が出てくる
風景から人を除くと、なぜか撮り手の気持ちが写るように思う。
祐天寺に「PAPER POOL」というギャラリー&カフェがある。こうしたテーマを撮影している仲間を集めて、2021年と2022年の2回「わたしの風景」という合同写真展を開催し、好評を集めることができた。
友人たちの「自分の風景」には、どこかその人の性格が出てくるようだ。自分の先祖を辿る人。いつか見たテレビのロケ現場を再訪する人。どこか閉ざされた都市風景を撮る人。南相馬市、津波の跡の農家を撮る人……。それぞれが自分のテーマで風景を撮っていた。
あなたがカメラを買ったら、そんな自分探しをしてほしいのだ。上手いとか下手とかはあまり関係ない。きっと、記録を残していくことが、写真の基本なのだと思う。
僕は今も時間を見つけては、街の風景を撮影に出かける。それは家族や友人に自分の歴史を残す大切な撮影なのだ。
永井荷風を気取って、今日も下町に向かう
この連載「スニーカー日和」のタイトルは、文豪・永井荷風の作品「日和下駄」にインスピレーションを得た。荷風は背が高いにも関わらず日和下駄という歯の高い下駄を愛した。舗装されていない当時の東京の道は、雨が降れば簡単にぬかるむ。彼は泥の中も、草の中も気軽に入っていける下駄を愛し、散歩の日記をしたためていた。
東京の下町からは年々、下町の面影がなくなっていく。特に東京オリンピックを境に、電信柱は地中に埋められ、古い住宅街は高層ビルに変わっていった。時代を嘆いても仕方がない。失われる儚さを撮りたい、遺していきたい。僕もそんな年齢になったということかもしれない。
そう気が付いてからは、気に入ったスニーカーとライカがあれば、すぐにどこかに出かけてしまうようになった。もう撮れなくなったと思うときに、悔いのないようにしたいのだ。打ち合わせの帰り道や買い物帰りに、気になる場所に出かけていく。そんな気軽さがいい。