キヤノンが人工蛍石結晶を採用したカメラ用交換レンズを発売してから、2019年で50周年を迎えた。
■蛍石 (ほたるいし・けいせき) とは?
蛍石は、フッ化カルシウムの結晶のこと。高温で熱したときに蛍のように美しく発光することから名付けられた。人工蛍石は、カメラ用交換レンズや放送用レンズ、天体望遠鏡レンズなど、幅広い光学製品で活用されている。
■人工蛍石量産への高い壁
蛍石を光学ガラスと組み合わせることで、色収差の補正を理想に近い形で行えることが古くから知られていた。しかし、天然に産出される蛍石の結晶体は小さく、写真用レンズとしての実用は不可能とされてきた。
天然石を原料にして人工蛍石結晶を合成する技術は1950年ごろに発明され、すでに光学材料用途の道が開かれていた。しかし蛍石に代表されるフッ化物結晶は、真空環境下で1000℃以上の高温で結晶を育成しなければならず、高純度の大型結晶の量産化には多くの課題があった。
■蛍石採用レンズを開発する「キヤノンF計画」
キヤノンは、通常の光学ガラスでは得られなかった鮮やかで繊細な描写を実現するために、蛍石の有効性にいち早く着目。1966年8月に蛍石採用の高性能レンズ開発を目指して「キヤノンF計画」を始動し、高性能レンズの研究開発に取り組んできた。
キヤノンの研究者たちは、「蛍石そのものを自らの手で開発し、高性能レンズを開発する」という熱い思いのもと、1967年3月に初めて電気炉内で蛍石の人工結晶を取り出すことに成功。1968年2月には人工蛍石結晶の製造技術を確立した。
さらに、それまでの光学ガラスのような研磨ができないデリケートな素材のため、通常の4倍の時間をかけて研磨する特殊加工技術を開発。1969年5月にキヤノン初となる人工蛍石を採用したカメラ用交換レンズ「FL-F300mm F5.6」の発売に至った。以降、現在に至るまで人工蛍石はキヤノンの高性能レンズを設計する1つの手段として用いられている。
■宇宙観測にも貢献
キヤノンは、人工蛍石結晶の量産技術を事業化するべく、1974年12月にはオプトロン (現キヤノンオプトロン) を設立。キヤノンオプトロンは、人工蛍石結晶の量産化で培った高温真空技術や温度制御技術に磨きをかけながら、さまざまな光学用結晶材料を開発した。
2006年7月には米国・スミソニアン天文台に直径40cm近い大型の人工蛍石結晶を含む大小12枚のレンズを納品し、100億光年というかなたからの信号観測に活用されるなど、銀河の謎解明へ貢献している。
■超望遠レンズに採用される蛍石
蛍石レンズは光学ガラスと比較して「屈折率が著しく低い」「低分散および異常部分分散特性をもつ」「赤外・紫外部での透過性がよい」などの特徴を備えている。この特徴を生かして蛍石の凸レンズを作り、色消しをすれば色収差が極めて小さくなる。
「色収差」はなぜ起こる?
光が屈折する度合いは色によって異なり、同じ光源から発せられた光もレンズの中で色ごとに分かれ、それぞれの焦点位置が異なってしまう。これにより「色収差」と呼ばれる色のにじみが発生する。色収差は、レンズの組み合わせによって2つの波長 (赤・青色光など) の焦点を一致させることで補正するが、緑の焦点にズレが生じるわずかな残存色収差を、二次色収差または二次スペクトルと呼ぶ。
蛍石レンズなら?
蛍石の凸レンズにより赤・緑・青の焦点がほぼすべて合致。色収差の大幅な抑制を実現する。
焦点距離が長いことにより二次スペクトルの影響を大きく受ける超望遠レンズでは、この蛍石の性能が大いに発揮される。蛍石レンズを採用したキヤノンEFレンズは、これまでに28機種を発売し、2019年11月7日時点では11機種を生産。描写の繊細さやコントラストの高さで世界中のフォトグラファーから高い支持を集めている。
〈文〉佐藤陽子