エプソンは、レンジファインダーデジタルカメラ「R-D1」ユーザー限定のファンミーティング「エプソン R-D1 最後の感謝イベント」を2022年1月21日にオンラインで開催した。一夜限りのイベントだったが、3月にアーカイブ配信される予定になっている。収録の様子をダイジェストでお届けしよう。
登壇者はお揃いの「R-D1」Tシャツで登場。ゲストは写真家の上田晃司さん、コムロミホさん。そして「R-D1」の開発リーダを務めたセイコーエプソンの塩原隆一さんが信州からリモートで参加した。司会進行はエプソン販売の斉田健太郎さんが務めた。
1月21日〜27日には、抽選で選ばれた「R-D1」シリーズのユーザー30名と上田晃司さん、コムロミホさんによる写真展「R-D1 in Focus」がエプソンスクエア丸の内 エプサイトギャラリーで開催された。「エプソン R-D1 最後の感謝イベント」では、前半は会場に展示された30点の作品紹介、後半は「R-D1」の開発秘話。最後には、時間オーバーしながらも突っ込んだコメントに丁寧に回答する時間も用意されていた。
エプソン販売・鈴村社長のビデオメッセージからイベントがスタート
「エプソン R-D1 最後の感謝イベント」は、エプソン販売の鈴村文徳代表取締役社長によるビデオメッセージからスタート。鈴村社長は、「R-D1」の発売当時は販売の課長だったということで、「R-D1」に対する思い入れも強い。当時を思い返しながら、「R-D1」ファンに熱いコメントを寄せてくれた。
エプソン「R-D1」とは?
エプソン「R-D1」シリーズは、2004年3月から2014年3月まで、およそ10年間に渡って販売された世界初のレンジファインダーデジタルカメラ。有効610万画素のCCDセンサーを搭載し、豊かな階調とフィルムライクな色調が特徴で、「R-D1s」「R-D1x」といった派生モデルも登場した。
カメラ部分の製造には、セイコーエプソンと同じく信州を拠点にするコシナが協力している。
イベント開催のきっかけは倉庫で発掘された30台近くの「R-D1s」
「エプソン R-D1 最後の感謝イベント」が開催されることになったのは、倉庫から30台近くの「R-D1s」が発見されたことからだ。すでにサポートが終了しており、バッテリーも手に入らないが、「R-D1」の愛用者に使ってもらえないだろうかということが検討され、廃棄処分されるはずだった「R-D1s」は、ユーザー限定で格安で販売されることに。また、ファンに喜んでもらうことが何かできないかと企画されたのが、ファンミーティングだ。企画の実現には、鈴村社長も積極的に働きかけたということだ。
数々の開発秘話が飛び出した
「R-D1」が登場した2000年代前半は、デジタル写真の黎明期。エプソンはプリンターやスキャナーだけでなくデジタルカメラの製造・販売も行なっていた。そんなエプソンの歴史を振り返りつつ、イベントが進められた。
コシナとの提携をベースに製品コンセプトの検討に入った「R-D1」の開発は大きく進歩。外観はアナログで、中身はエプソンの最新デジタル技術を詰め込んだカメラにしようということが、2002年の夏頃に決定した。発売のわずか2年前だ。発売当初のカタログなども披露された。
開発コードネームは「Yudanaka」だった
「実は開発当時のカメラのニックネームは、Yudanaka (ゆだなか) でした」と語る塩原さんの言葉に、会場は笑い声に包まれた。コシナが本社を置く信州中野の有名な温泉が湯田中だったことから名付けられたもので、コードネームとなったのも納得がいく。
さらに、このカメラに関する社内メールや企画書は「Yudanaka」のタイトルがつけられていたということで、斉田さんも「Yudanaka」の呼び名には愛着があるとのこと。社内からは「信州で生まれるカメラなんだから、製品名も湯田中でいいんじゃないの?」という声も出たとか。
世の中をアッと驚かせるカメラを出そう
開発を手掛けた塩原さんは。プリンターやスキャナーとは違うカメラとしての色作りが必要だったことから、「いい写真とは何か」を考え続けていたのだという。「エプソン=フォト」を目指していた当時、写真メーカーとして認知されるには、カメラを出すことが必要だと考えていたのだそうだ。そのためには、画像を作り出すハイグレードなカメラがなければいけないという思いもあって、世の中をアッと驚かせるカメラを出そうと企画したのが「R-D1」だった。
さらに、いい写真の条件は高解像度やカラーマッチングなのか? という疑問を持った塩原さん。キレイで品位のある画作りが重要という観点から、むしろどのようにデータを圧縮するかが課題だったという。最終的に「いい写真は階調性とコントラスト」というところに行き着き、それが「R-D1」の画作りにも生かされている。「忠実な色再現をしようとすると、どうしても階調性を犠牲にしないといけない部分が出てきてしまいます。R-D1は階調性を大事にしました」と塩原さんは語った。
「R-D1」で撮った写真は、CCDセンサーを使っているせいもあってか、独特の空気感が捉えられていて、特別な一枚のように感じるというコムロさん。「R-D1」が目指した画作りの説明を聞いて、納得ができたと語る。
ノイズを消すのではなく「ノイズで諧調をつくる」ことを目指した
最近のデジタルカメラはCMOSセンサーが主流だが、「R-D1」は600万画素のCCDセンサーが採用されている。センサーのノイズを抑えるにはセンサーを冷やす必要があるが、中途半端な大きさの放熱版では効果がないと考え、可能な限り大きな放熱版を採用して、自然なノイズを残した。こうした画像が披露されるのもファンミーティングならではだ。
CCDセンサーを搭載した「R-D1」では、ダイナミックレンジの広さを生かすとともに、ノイズをコントロールして「ノイズで諧調をつくる」ことを目指したのだという。「デジタルフィルターをなるべく使わずに、ノイズを消すのではなく、キレイに整えてキレイに乗せることを考えました。簿妙なノイズが乗っているからこそ、深みのある階調表現ができるのです」との塩原さんの言葉に納得。ダイナミックレンジの広い「R-D1」のモノクロは諧調が豊富で非常にキレイ。ぜひ撮ってみて欲しいと塩原さんが力説するのもわかる気がする。
逆光シーンでの撮影が多いことから、ハイライトの描写を気にするという上田さん。逆光でも攻めた撮影ができるのが、広いダイナミックレンジを持つ「R-D1」の魅力でもあると語った。
作例は斉田さんによるもの。階調再現の良さが伝わるようなシーンを探して撮った撮影の苦労話も披露された。
量産化に不安もあった
開発でもっとも苦労したのが、CCD面の位置調整技術だったという。「開発に着手して最初に悩んだのが、量産できるのかということでした」と塩原さんは語る。「R-D1」はMFレンズを使うカメラだったことから、きちんと無限遠が出るようにする必要があったからだ。それを一台一台調整することが難しかったという。センサーの中のピント面にどうピントを合わせるのか、量産工程でどうやったらできるやるのか、こうした開発を新人と2人で始めることになったというのも驚きだ。結果的に位置調整装置の開発で、社長賞を受賞することになった塩原さん。本当に嬉しかったと当時を振り返る。
ちなみに、開発のベースになったレンズは、後にレンズキット「R-D1sL」のキットレンズにもなったコシナの 「COLOR-SKOPAR 28mm F3.5」。最初はライカのレンズを集めまくったそうで、さまざまなレンズを装着して画質を評価していったということだった。
なんと修理担当は1人だった
レンジファインダーカメラのキモともいえるファインダーだが、「R-D1」は等倍ファインダーを採用した。しかし、後にファインダーの縦ズレが問題になる。塩原さんもそれについては深く反省しているとのことで、改めてお詫びの言葉があった。なお「R-D1」シリーズの縦ズレの調整は、破損の恐れがあるので自身で行なわないようにと注意があった。「R-D1」と「R-D1s」「R-D1x」とでは、距離計の構造が違うため、分解しないと調整ができない。修理対応が終了しているため、二度とファインダーでピントを合わせられなくなる可能性があるとのこと。
「R-D1」の修理を担当していたのが、エプソン製品の修理を行なっているエプソンサービスの大沢さん。2010年頃から距離計の調整や修理などを1人で担当していたそうだ。「R-D1x」の修理も2021年3月で終了となってしまったので、これからも大切に使って欲しいとのこと。
実は後継機の開発も進められていた!「幻の後継機種」のデザイン画を公開
なかなか後継機が出てこなかった「R-D1」。2008年に「R-D1s」の液晶パネルが枯渇する事態となって、液晶の仕様を変えた「R-D1x」を発売するなどして、後継機の登場を期待させた。
実はその陰で、「R-D1」の後継機種の開発が進められていた。正式に開発に着手したのは2010年のことだったという。しかし、デジタルカメラ市場が急速に縮小していき、「R-D1x」の販売も急速に落ちていった時期と重なったこともあって、プロトタイプまでできていたにもかかわらず開発は中止。そのニュースはカメラ誌でも大きく取り上げられた。
デザイン画が公開された「幻の後継機種」のレンズには、なんと「EPSON ZOOM LENS」の文字がある。塩原さんによると「エプソンのプロジェクター技術を応用して、エプソン製のEVF (電子ビューファインダー) を搭載。さらにレンズの販売も視野に入れていました」とのこと。今見ても古さを感じさせないデザインのカメラだ。
ビューファインダーの縦ズレがあったことの反省もあって、表示遅れのないEVFの開発を進めていたのだという。プロ写真家に試用してもらったところ、ファインダーは好評だった。コンパクトにしたいという思いから、必要最小限のダイヤルにして、操作系を集約。ボディは「R-D1」よりもひと回り小さいサイズだった。レンズマウントは専用のものを考えていたのだそうだ。
「あと少しというところまで来ていただけに、とっても残念でした」と、塩原さんも悔しい思いを滲ませた。斉田さんも「久しぶりに後継機の画像を見ましたが、最高のスナップカメラになっていたかもしれませんね」と当時を振り返った。視聴者からも幻となったことを惜しむコメントが数多く寄せられていた。
デザインへのこだわり
軍幹部やシャッター周りなどのカメラ部分をコシナ、センサーや画像処理関係をエプソンが担当して作られた「R-D1」シリーズ。エプソンが出すカメラとして、エプソンらしさを示すのが“腕時計”ではないかということで、腕時の針がデザインされている。
また、バッテリーを小さくする必要があったので、電磁寿命を延ばすために巻き上げレバーを装備した。シャッターを切ってひと呼吸置くという意味もあるのだそうだ。ちなみに「R-D1s」の“s”はセカンドモデル (Second Model) の頭文字。「R-D1x」は終わりという意味で“x”を付けたのだそうだ。
電源を入れたときのドキドキ感を味わってもらいたい
「R-D1」に電源を入れた時の針の動きは、クルマのエンジンをかけたときのメーターの動きをイメージしたとのこと。「F1マシンやクラシックカーのエンジンをかけたときに、メーターの針がギュイーンと振れる、そんなドキドキ感をカメラの電源を入れたときに感じてもらいたかった」と塩原さん。チューニングには1か月以上かけたそうで、塩原さんの強い思い入れが込められたものになっている。
2時間を超えて、多くのユーザーとともに盛り上がったファンミーティング「エプソン R-D1 最後の感謝イベント」。披露された多くの開発裏話から、カメラ開発に挑んだエプソンの熱い想いが伝わってきた。すでに販売が終了したカメラにもかかわらず、多くのユーザーが使い続けている理由がわかる気がした。