水谷章人さんによるスポーツ報道写真展『瞬間を撃て −60年の軌跡−』が、2025年9月29日までキヤノンギャラリーSにて開催中。8月30日には、水谷章人さんと、水谷さんが創設し名誉会長を務める日本スポーツ写真協会所属の写真家たちが集うトークイベントが開催されました。登壇したのは、水谷章人さん、築田純さん、小橋城さん、田中伸弥さん、そして現会長の水谷たかひとさんです。司会は『CAPA』の菅原隆治編集長が務めました。

1965年に山岳写真家としてデビュー後、スキー撮影やスポーツ全般の撮影に取り組んでいる水谷章人さんは、今年85歳。写真家としての60年の歩みを一堂に展示した『瞬間を撃て −60年の軌跡−』について、「60年撮ってきた区切りとして一度写真の整理をしたいという気持ちもあって。60年前に撮った写真から全部見ていったら、まぁこれは大変な作業だったね。簡単に60周年の写真展いいね、なんて言った本人が大変だった (笑)」と、水谷さんらしい口調で会場を沸かせました。

キヤノンギャラリー Sで開催中の本展、そして2階のオープンギャラリー1では『アスリートよ 水の如くあれ』、その奥のオープンギャラリー2では『LOVE SPORTS 2025 準会員展』と、品川のキヤノンギャラリーがすべてスポーツ写真で埋め尽くされました (オープンギャラリー1・2の写真展は9月8日で終了)。この狙いについて水谷たかひと会長は、「名誉会長 (水谷章人さん) が60周年の写真展をキヤノンギャラリー Sで開催されると知り、同じ時期に日本スポーツ写真協会の写真でキヤノンギャラリーをジャックできないかと思い企画しました。『アスリートよ 水の如くあれ』は、報道写真としてのスポーツ写真の中でも、キラッと光るようなスポーツシーンを集めて展示しています。そして、準会員として在籍しているスポーツ写真愛好家54名の作品を集めたのが『LOVE SPORTS 2025 準会員展』となっています。スポーツの世界にどっぷりハマってほしいですね」と説明。

トークイベントのお題は「スッキリ解明! レジェンド水谷章人とワタシの関係」「スポーツ写真の真骨頂! 私のベストショット」「やっちまった! 私の大失敗…」と盛りだくさん。1時間30分の予定が2時間にもおよび、会場は終始笑いに包まれました。ここでは、水谷章人さんの門下生であった登壇者の皆さんから、次々に懐かしいエピソードが飛び出した「スッキリ解明! レジェンド水谷章人とワタシの関係」の一部をレポートします。
手取り足取り教えてもらうのではなく、作品を見て技術を盗む

写真学校に通っていた頃、水谷さんの写真に感銘を受けたという築田さん。水谷さんも同じ学校の卒業生と知って、校長に頼み込んでアシスタントにしてもらった経緯を説明しました。
すると水谷さんが「築田さんはスポーツはやらないんだよね。それでもスポーツ写真家になりたいってのは珍しいよね。頭のほうでスポーツを学んで入ってきた。400のニッパチなんて持たせたらひっくり返るんじゃないかってくらい細くて体力はなかったけど (笑)、3・4年後には個展をやって、東川賞の新人賞も取って。私の弟子の中では間違いなく優秀な人です」と、築田さんの実力に太鼓判を押しました。
築田さんは水谷さんのコメントに恐縮しながら、「アシスタント時代は、事務所が開く30分前に来て、毎日歩道橋の上から車を追いかけてピント合わせの練習をしていました。スポーツの大会など好き勝手に撮らせてもらって、作品として残して勉強できた。それは大きな宝です」と当時を振り返ります。
「手取り足取り教えてもらうのではなく、先生が撮られた膨大な写真を何千枚と暗室でプリントするなかで、どんな写真をセレクトしたのか、どうトリミングしたのかなど、作品を見て盗むという意識が強かったです」。その中で築田さんは光と影、背景の処理、白黒写真のコントラストや逆光を強調する作風を学んでいったそうです。

写真がトリミングされて、どんどん小さくなっていく

小橋さんは幼少期からスキーに親しんでいたこともあり、水谷さんのスキー写真に興味を持ったそうです。また、父親が水谷さんと同じ写真学校で先輩と後輩の間柄だったという縁もあり、1999年から3年間アシスタントを務めました。
「1年目はニュージーランドでスキーのデモ撮影の助手をさせていただいて、2年目にはスイスで1か月間、花畑や山の写真を撮りました」と小橋さん。水谷さんも「よく覚えてるよ。城 (小橋さん) はスキーができて英語も話せるっていうんで、これは楽だったね (笑)。世界でスポーツを撮るのに言葉ができるのはキーポイントだよ」と。
また、思い出に残っているのは水谷さんからのトリミング指示だそうです。「僕はラグビーの撮影が多かったので、週末に撮った写真をモノクロで2Lサイズにプリントして先生に見せるんです。でも、こんなんじゃダメだよと言われて、カッターでどんどんトリミングされて。写真がどんどんちっちゃくなって、このくらいになるんです」と、当時のプリントを見せながら説明。「無駄を早く捨て、良いものを残せ」と指導され、写真をカットされることでフレーミングや構図を学んだとのこと。
水谷さんも「スポーツはどうしても撮影できる場所が限られてしまう。スポーツ写真に許されるのは何といってもトリミング。トリミングのセンスがあればなんとかなる。撮った写真をトリミングしながら構図を学んでいくんだよ」。これには会場の参加者たちも大きくうなずいていました。

もっと感情を撮りなさい、人間の感情をちゃんと写しなさい

スポーツ写真に興味を持ち、インターネットで水谷さんを見つけたという田中さん。水谷さんが教鞭をとっていたジャーナリスト専門学校に通い、その後、水谷さんが主宰する「水谷塾」の6期生として入塾しました。
「ものすごく鍛えらえました。塾では数名の塾生たちと共に毎週異なるテーマの撮影に出かけ、後で写真を持ち寄ってみんなで見るのですが、それがすごくいい刺激になりました。で、みんなが良いと思った写真を先生のところに持って行くんですけど、さっきの小橋さんのようにバシバシ切られるんですよ。そうすると写真がどんどん良くなっていって。同期との切磋琢磨と先生の指導で、ダブルで成長できました」と当時を振り返ります。
水谷さんは、60歳のときから始めて25年目になる「水谷塾」の指導方法について、「塾生ひとりひとりに個性があるので、型にはまってほしくない。入塾1年目は、指導は一切しません。2年目から初めて指導に入るけど、それぞれの特徴を生かす指導法なので、卒業生はこの世界で十分プロとして通用している人が大勢いるんじゃないかな。プロの写真家を育てるのが私の塾。記録写真ではないアートに近いスポーツ写真を撮るってことだよね」と説明。
田中さんは「先生にずっと計算しすぎだと言われていて。もっと感情を撮りなさい、人間の感情をちゃんと写真に写しなさいという指導を受けてきました。それまでは、構図がきれいであればいいとか、カッコよく撮れればいいと思っていたんですが、この雨の国立競技場の写真は、初めてそれが撮れたと思いました」と、指導を受けた成果を語りました。

「とにかく親父はぶっ飛んでいた」親子ならではのエピソードを披露

水谷たかひとさんにとっての水谷章人さんは、スポーツ写真家の大先輩であると同時に父親でもあるという存在。幼少期の写真や、兄弟の写真なども投影しながら、家族ならではのユニークなエピソードも飛び出しました。
「とにかく親父はぶっ飛んでいた」と、たかひとさん。「子供の頃、兄弟も多くてわりと貧乏な生活をしていたんだけど、親父が大きな仕事で100万円だか200万円だかを持って帰ってきたときに、おふくろはこれでやっと楽な生活ができると思ったんだけど、親父はそのお金を握りしめて曇りなき目で、これでまた取材に行ける! と言って一銭も渡さずに取材に行ってしまった」なんていうこともあったとか。
また、約3年間ヨーロッパに住んで勉強をしていた頃は、アシスタントのようなかたちで水谷さんに同行することがあったそうですが、「突然、明日イタリアのドロミテで朝焼けを撮りたいんだという無茶なことを言い出して。ここからイタリアまで何時間かかると思ってるんだ!」といったやり取りが何度もあったそうです。
その後、小橋さんがアシスタントになり、スイスなどに同行するようになってからは、その役目を引き継ぐことができて「ホッとした」と、たかひとさん。「でも、それぐらいぶっ飛んでなければトップになれないんだろうなと思いました」と当時を振り返りました。
たかひとさんは坪内隆直さんを師匠としていたこともあり、水谷さんから直接写真を教わった記憶はあまりないとのこと。それでも水谷さんは「教えたことはないんだけど、遺伝的にオレの写真に似ていると感じることがある。瞬間的な反応や直感的な写真を撮る能力は似てるかな」と。
そんな中、スポーツ写真界に衝撃を与えたのが、2018年にたかひとさんが撮影した、選手から玉の汗がしたたり落ちる一瞬を捉えた写真。当時「父親を超えた!」と話題になりました。水谷さんも「すごい写真が生まれたな」と感銘を受けたそうです。

本イベントには200人以上の参加者が来場。スポーツ写真への関心の高さがうかがえました。
キヤノンギャラリー銀座でも9月13日まで写真展を開催中
キヤノンギャラリー銀座では、9月13日まで日本スポーツ写真協会報道写真展『LOVE SPORTS 2025』を開催中。カメラマンが「この瞬間が撮りたかったんだ」と思った瞬間を集めた、51作品31種目のスポーツ写真が展示されています。品川でも銀座でも、スポーツ写真を楽しめる機会となっています。