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道に迷ったとき、どうしますか? ハービー・山口が救われてきた、あの日の場面と言葉たち

ハービー・山口 You are a peace of art.

CAPA』本誌連動企画として、ハービー・山口さんの人気連載「You are a peace of art.」が今回よりスタート! 写真をめぐるエピソードを綴った心温まるフォトエッセイです。

ハービー・山口「You are a peace of art.」vol.1
「セルフポートレート」ロンドン 2017

第1回「Are you lost?」

道に迷ったとき、あなたはどうしますか?

2017年の暮れ、ライカの新製品「ライカCL」の発表会の一部として、小山薫堂さんと私との掛け合いのトークショーが企画され、京都に向かった。かなり肌寒い季節になった。恵比寿で買ったばかりの濃いグリーンのコートを羽織って東京から新幹線に乗った。小山さんは京都に前泊しているのだろうか、会場で集合の予定だった。

新幹線は京都駅に滑り込み、私はタクシー乗り場に向かった。トークショーの開始時刻まで、あと1時間少々と迫っている。そのタクシー乗り場の近くに、あたりを見回している外国人の女性が目に止まった。どこへどう行けばいいのか、にわかに行く先を迷っている様子だ。近づくと、彼女が背中に担いでいる小型の三脚が見えた。私は思わず「Are you a photographer?」と声をかけた。彼女はフランスから来た写真家で、東京での仕事が終わり、京都、比叡山に行く旅の途中だという。「私はこれからライカの京都店でトークショーがあるんです」。そんな会話の末、彼女も興味を示し、私たちは一緒にタクシーに乗った。

車中、彼女の話が興味深かった。彼女には11か月の子どもがパリにいて、夫が子どもの面倒を見ているとのことだった。「このまま子育てだけで、これからの自分の人生の大半が終わってしまうかと思うと何か引っかかるものがあって、所属しているパリのエージェントに東京での仕事を作ってもらって日本に来たんです」。

人生の中で、これで本当に良いのだろうか? とふと迷うことが誰にも少なからずあるものだ。パリで母親として子育てするのは立派なことだし、苦労はあるだろうが母親の視点で写真作品を撮り続けることだってできる。しかし、若くて自由な青春はやがて終わっていく、そうした彼女の葛藤は多少なりとも理解できる。

私は特に幼少のころから病気を抱えていたこともあり、いつも迷子になったような行き先の見えない不安な毎日を送っていた。中学2年になったときだった。新しい担任の先生が、ずっと黙りこくっている私の肩に手を回し、顔をくしゃくしゃにした笑顔で抱き込んでくれた。体育の授業を常に見学している私に優しい態度を取ってくれる周囲の人間はごく稀で、ましてや先生という立場の人が私に笑顔を向けてくれたのは初めてのことだった。迷子だった14歳の私は、このときの先生の笑顔によって確かに救われたのである。

ハービー・山口「You are a peace of art.」vol.1
「タクシーの中のポートレート」京都 2017

人生を諦めない限り、どういう状況になろうとも チャンスは回って来ますよ。きっと、あなたにも

鴨川沿いを、そして裏道に溢れる観光客をかわしながら走るタクシーの中で、彼女に向かって数回のシャッターを切った。「人生を諦めない限り、どういう状況になろうともチャンスはいつか回って来ますよ。きっと、あなたにも」。そういう私の言葉を聞きながら、彼女の表情には先程とは違う明るさが浮かんでいた。

私は目的地に着くまでの間、かつてのロンドンで偶然に出会った人々から発せられた言葉が自分を救ってくれた場面を思い出していた。その一つが、1976年、私が26歳のときだった。サンタナの2代目だったドラマー、マイケル・シュリーヴがサンタナを辞め、新たに結成した彼のグループを連れてロンドンで公演したときに私に言った言葉がある。「お金や名誉だけが人生の目的ではないさ。自分の力でどれだけのことができるかを試すのも人生なんだ。私はドラムスティックで試しているし、君はカメラで試しているんだろ? だから君も私も同じ人生なんだよ」。レコードの中でしか知らなかった彼からの直接の言葉が、ロンドンの街でどう生きていこうかと迷っていた私に大きな希望を与えてくれたのだった。

また1974年のことだった。イギリスのビザが切れ、ハンブルクにいる友人を訪ねてドイツに一時滞在し、再びロンドンに戻ろうとしたことがあった。そのイギリスに渡る船上で、あるアメリカ人の家族と出会い、仲良くなった。しかし楽しい時間も束の間、私はイギリスに着いた港で入国を拒否されてしまった。理由は所持金が少なかったからだ。「イギリスでの生活はこれで終わりか」と途方に暮れていた私だったが、このアメリカ人の家族が、「この日本人は私たちの知り合いだから大丈夫です」と言って助けてくれた。彼らの親切で私は入国を許されたのだった。

そして1980年、地下鉄に乗り合わせたパンクロックバンド「ザ・クラッシュ」のジョー・ストラマーの「撮りたいものはすべて撮るんだ、それがパンクだろ!」と投げかけてくれた一言が、自信を失くしかけていた30歳の私の背中をポンと押してくれた。そのほか、家賃が払えない私を居候としてかくまってくれた多くの友人たち。公園で優しい瞳を見せてくれた子どもたち。そうした人々のさまざまな温かい行為や示唆に富んだ言葉がここに書き切れないほどあって、人生の迷子になりかけた私を救い上げてくれた。そして私はそのときのその場面を、素のまま、ありのままの気持ちで写真にしてきたのが、現在の自分の写真なのだと実感するのだ。

タクシーはライカ京都店に到着し、たくさんの人々がイベントの開始を待ち受けていた。ライカの社主であるドクター・カウフマン氏とカレン・カウフマン氏ご夫妻、ライカCLの開発担当の女性、そして会場にいた主だった人々にフランスから来た写真家を紹介した。このことが彼女の未来にとって、どれだけ有益なものになるかはわからないが、日本を旅した一つの土産話になったのではないかと想像している。

人生の迷子になりかけたとき、どうやって人と人は出会い救われるのだろうか。私の経験からすると、純粋な心と心が磁石のように引き合う不思議な力がどこかに存在するのではないかと思われる。いつ諦めてしまうのか、いつまで諦めないでいるのか……。諦めるとせっかくの磁力は消えてなくなってしまうのは、ほぼ確かなことだろう。

 

追記
フランスの女性写真家からはその後、お礼のメールが届き、ファッション誌に掲載された作品などの資料が添付されていました。また、パリの自宅内で撮影したという幼い娘さんの写真はどれも素晴らしいものでした。ArtStickerの「STAY HOME展」で見ることができます。Bojana Tatarskaという名前で、ぜひチェックしてみてください。
https://artsticker.app/share/events/detail/157