「ライカI」誕生100周年記念イベントのために来日していたライカカメラ社の監査役会会長であるアンドレアス・カウフマンさんが、パウル・シュミットさんの顕彰碑がある箱根を訪問するというので、同行取材をさせてもらった。

ドイツ人のパウル・シュミットさんは1895年 (明治28年)、24歳のときに来日し、ライツをはじめとするドイツ製品の輸入代理店「シュミット商店」を設立。「ライカI」を輸入販売するなどして、国内でのライカ製品の普及に大きな役割を果たした人物だ。1935年 (昭和10年) に63歳で亡くなるまで、箱根の自然を愛し、芦ノ湖の湖畔に別荘も建て、約40年にわたり箱根に暮らしていたことなどから、彼の遺徳を偲び、湖畔の一角に顕彰碑が建立されている。


「ライカI」誕生100周年を機に、その地を訪れたいというカウフマンさんの意向を受けて企画されたのが、今回のプレスツアーだ。

箱根神社でライカカメラ発展祈願の祈祷を受ける
朝早く東京を出発した一行は、開運厄除で知られる箱根神社に立ち寄り、ライカカメラのますますの発展を願って祈祷を受けた。




顕彰碑前でセレモニー
箱根神社を出発すると、ほどなくして芦ノ湖畔にあるパウル・シュミットさんの顕彰碑に到着した。建立された当時は別荘の敷地内にあったという顕彰碑は、のちに湖畔へ移設されたという経緯がある。移設された当時は、まだ説明板も設置されていなかったのだそうだ。

芦ノ湖を臨む顕彰碑の前で、カウフマンさんがパウル・シュミットさんの功績を讃え、献花や記念撮影といったセレモニーが行われた。


現在、「箱根駅伝ミュージアム」が建っている場所が、通称「赤門別荘」と呼ばれていたシュミットさんの別荘があった場所にあたる。1930年に建てられた別荘は、1951年に富士屋ホテルに買い取られ従業員宿舎として利用されていた時期もあったとのことだ。のちに別荘は解体されてしまうが、1986年に「レストラン・シュミットハウス」が建てられて営業を開始。2005年からは「箱根駅伝ミュージアム」となって、新たな歴史を刻んでいる。


昼食会ではトークショーや和楽器の演奏会も
箱根ホテル 富士屋ホテルレイクビューアネックスに会場を移して、昼食会が行われた。ちょっとビビるほどのナイフとフォークの数が、通常のプレスツアーとの違いを物語っている。

日本カメラ博物館の市川泰憲さんと、「一冊の本を売る書店」をテーマにしている森岡書店の代表・森岡督行さんの2人による、パウル・シュミットさんにまつわるトークショーも行われた。MCはライカカメラジャパンの米山和久さんが務めた。

和楽器・篳篥 (ひちりき) 奏者との記念撮影にも大満足で、終始にこやかな表情を見せて箱根行を楽しんでいたアンドレアス・カウフマンさん。「ライカI」誕生100周年イベントの最後の地となる日本での滞在は、記憶に残るものとなったことだろう。
